禅タロット小アルカナ考察:雲の9・SORROW | 穂積の覚書

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雲のスートに入ってからイタイ話が続くけど、がんばれーあと2枚だー。


それは後2枚でどんぞこまで落ちるってことだけどな。



雲の9・SORROW(嘆き)です。

題名からもう……。



穂積の覚書-気まぐれ屋本舗-67

アナンダさん。

聖☆おにいさん読んでる人はきっと分かる。神も羨む呪われた顔面の持主。(笑)

そのアナンダさんが、仏陀の死の時に嘆き悲しんだ、というその嘆き。



嘆きというと雲の3の、凍りながら泣いてる人を思い出します。

でもあれとはちょっと違うかな。

雲の3は身動きが取れない程がちがちに凍りついて、泣くことだけが自由をもたらすって感じ。

この雲の9は、束縛されてない。自分に痛いことが起こってるわけでもない。

行動力の赤の服を羽織って、嘆いている。嘆くことで何かを悟ろうとしてるみたいだ。


背後には星が見える。まだ夜明けは遠そうだ。

でももう一つ思い出す。

雲のAのブッダが見おろす星。両脇にある雲の開き具合。似てる!

他のカードのように、女性、男性、ではなく、ブッダの弟子のアナンダという繋がり。

こういうことからも、ただの意味のない嘆きじゃなくて、光明を得るための、何か心にとって大事な物を得るための嘆きなんだな、と感じる。



すっぱいぶどう、という童話がある。ぶどうときつね、とも言う。イソップ童話。


「キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。」

(Wikipedia:すっぱい葡萄 より引用)


嘆きとはちょっと違うけど、これを思い出すんだー。

感情を押し殺すときにやりがちなんだよね。

「別にコレが欲しかったわけじゃない」とか、「そんな大したことじゃない」って平気な顔するの。

感情が大きく振れすぎる時には、特にこれが意識外で働いて、「……何が?」って感じになる。


祖母が亡くなった時、従兄や友人が若くして亡くなった時、泣けなかった。泣こうとも思わなかった。

幸い、その時私は「悲しいときに泣けないのは何らかのブロックが働いてるんだろう」と考えることが出来るくらいにはなってたので、頃合いを見はからって泣くことにした。泣けた。ちゃんと。

それがなかったら、今でも私は泣いてないだろうなあと思う。

その、泣けなかったときの方が感覚としては辛くないんだけど、悲しみを感じる今の方が「あっ、今辛い」って分かる感じなんだけど、あの頃に戻りたいかと言われればそうではないな。

今のほうが良いな。


誰かがいなくなった後で、「悲しいんだ!」って訴えても、そのいなくなった人には伝わらない。

それでも泣くってことは、他の誰かのためじゃなくて、自分の感情を大事にして、優先して、認めてるってことなんだろうと思う。

押し殺さないで、消さないで、見ないふりをしないで、感情を解放すること。

その上で、少しずつ動いて背後の、頭上の星を見ること。

そこに希望があって、失ったと思ったブッダさんがいるんだろう。



あ、別に誰かが死ぬとかいうカードではないです。

死の時期を予言したって、タロットを引いた人は幸せにならないもの。

あくまでタロットは、幸せになりたい人を背を押したり手を引いたりして助けになろうとするツールだからね。