あたり前に考えること | ドリーム・トレーナーの挑戦日記
1月No.13(13年No.13)
2013年「超」世界恐慌 ドル消滅のハルマゲドン津波をこう逆用せよ!(超☆はらはら)/ヒカルランド
先日、霧島を回ったときに行った止上神社

ドリーム・トレーナーの挑戦日記

凛としたたたずまいで
普段誰も参拝には来ないんだろうな、と思いながらも
この参道を通ると、それはそれで心地よく
祭神は…オンパレード

ドリーム・トレーナーの挑戦日記

山幸彦さんから始まり
天孫降臨の邇邇芸命などなど
そのお孫さんのうが草葺不合尊さん

ゆかりやこの霧島の地というものを考えたとき
鹿児島神宮との絡みなどなど
それはそれで色んな物語が浮かんでくる

ドリーム・トレーナーの挑戦日記

正八幡宮

とある
その意味は?
大分の宇佐神宮との絡みなどなど
この神宮で好きなのは、このご神木とこの祀どころ

ドリーム・トレーナーの挑戦日記

ドリーム・トレーナーの挑戦日記

何か惹かれるものがある
樹齢800年、この木は何を見てきたんだろうか?

こういうこと好きなんだろうか?
このブログにしてもそうだけど
読書にしてもそうだけど

そんなに書くことも
行くことも、読むことも嫌いではない
でも、初めて本を1冊最後まで読み切ったのは?
リハビリの専門書以外では…29歳のときだった

好きか?
やりたいことか?

ずっと続いて
これまでほとんどイヤだと思った事がないこと
それは…

車の運転

それ以外は、何らかの理由で
イヤだなって思う事がある

あとは、

色んな各地を巡ること
そして
釣り
これも下手だったときもあったけれど
イヤだと思ったことはない

それ以外は
イヤだなぁと思ったことは多々ある
それは、ヒトから見てではなく、自分でそう思う

それってなんでだろう?と
長男を明け方学校に送りながら考えていた
長男を見ていると
バスケが嫌いになったことはほとんどない様子で
羨ましく思う

私は…野球をやっているときも、バスケをやっているときも
案外、イヤイヤやっているとき合った気がする
走ることも、好きなのではなく
いつも一番だったけれど、走る前はプレッシャーで
押しつぶされそうだった

走ること、というよりも負けたらどうしよう…という気持ちで
バスケにしても、シュート入らなかったら、上手くいかなかったら
それは
いつもやっているセミナーや講演も同じこと

いっつもイヤだなぁ~と直前まで思っている自分がいる
それは、20年ほど前初めて介護の開放講座やったときから
なんら変わらずに

気楽にって感じでやったことがない

理学療法をしているときも
トレーナーをしているときも

治せなかったら?
満足してもらえなかったら?
テーピング上手く巻けなかったら?

ケガをして対応出来なかったらどうしよう…
といつも心配していた

読書にしても
新たな分野を学ぶときなども、どうしても頭に入らずに
めげてしまう

朝起きるとき
…一瞬、なんで?起きなきゃいけないんだ
ゆっくりしたい
そう思うときもある

でも
結局、すべてトコトンやってきた
好きか?嫌いか?
それは、今でも分からない

講演やセミナー
正直、好きではない
やらないで済むならば…という気持ちもどこかであるし

どれだけ
聴く側でいたい!
と思ってきたことか

でも、こうやって今日も大阪へ行き
楽しそうに、みんなをいじめるんだと
プレッシャーもある
毎回、どんなセミナーになるか?予想つかないところもある

でも、慣れてしまって
毎回同じことの繰り返しだったとしたら?
それは

もっとイヤなこと

出来るようになったと思ったら
次のステップに進んできた
常に、そのまま留まることができる立場や地位にいたのに
あえて

セミナーも確立したノウハウもある
でも、敢えてそれを壊し新たなものを求めている

車を走らせると
毎回走っている場所なのに、感じることが違う
色んなことを考えることができる
旅先に、出張先にいっても見るものが変わるから
考えることが変わる

読む本で、考えることが変わる
思いつくことが変わる

そういうことが好きなのかもしれないし
神社参拝においても
ただ、パワースポット巡りって感じではなく

そこのたたずまいで、その場で何を感じるか?
を楽しんでいるような気がする

そんなことを考えると
案外、何かをやりたいっていうよりも

何かを思い出そうとしているような
そんな気もする
生まれてから、ここに来るまで
色んなことを置いてきたのかもしれない

前世っていうものがあるのであれば
その前世に
それを感じたいのか?
それも分からないけれど

世の中の仕組みに関すること
これが、一番興味あることのような気がする
そういう本に出逢うとワクワクする

その中の1つ
神話にも、太古にもヒトがいた
そのヒトにも興味あるから、そのヒトと関わることを
どこかで求めながら
形を変えながら

仕事をしているのかもしれない

関わりかた
理学療法士だから、トレーナーだから、経営者だからといって
あんまり変えてきたことがない

相手が、年をとっているから、先輩だから
相手が、若いから、未熟だから

それで変えることもない

仕事になりそうだから?なりそうにないから?
でもない
それは、逆になりそうもないところから
なっていったりすること
知っている

それは、会ったときの感覚でしかないけれど
つき合って行きたい
そう思うときがある

そうやって
自分というものを見つめてみると
それは、それで面白いのかもしれない

答えは常にない

ないからこそ
考える
答えがないから…解釈に苦しむ
その繰り返しだった
それは、これからも変わらないんだと

でも、答えはもうソコに見えつつあるのかもしれない

その答えを求めて
答えだと思って、ソコだけを拾って取り入れても
なんら
自分を理解することはできないし
自分が満足できることはない

それは
この数十年やってきて確信していること

でも、ヒトは外に何かを求めてしまう
内に求めるのではなく

そんなところを
自分の経験や体験を通じて
相手に伝われば

今日もそう思い
1日取り組んで行こうかな