明治政府の“統治的都合”から、なぜ《夫婦同姓≒一家一氏》に「変更された」のか?【21】 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。



前回記事では、
江戸時代では“禁じられていた”「苗字公称」が、
御一新により「四民平等」の明治時代になると
苗字使用」が“許可される”ようになり、
そして「富国強兵」が、
いよいよ本格的に国家目標となると、
陸軍省〉からの要請により、
臣民”たる〈日本国民の成年男子〉の
兵籍登録確実なものにする」ために、
苗字公称が“強制化”されることになるのですが、
しかし例えば、〈〉が、
嫁ぎ先の家に入り夫の戸籍に入ろうとも”、
夫の家を相続などしない限りは
それまでの伝統的な慣例から、基本的に
依然として自分の実家/苗字/を、
終生において持つものであった」こと
――その事から、
明治憲法復古派〉みたいな人らが
声高に主張するような、
同姓同名/同性同氏》は、
日本古来からの伝統的慣習」では、
まったく無かった”ことを見ました。


今回のブログ記事では、
なぜ明治政府〉は、
一戸別姓/一戸別氏夫婦別姓/夫婦同氏
だった制度を、1889年の旧民法により、
夫婦同姓/夫婦同氏一戸同氏/一戸同姓》に
変えたのかその背景事情を押さえることで、
夫婦同姓夫婦同氏)≒一戸一氏》の背後にあった
当時明治政府統治支配的都合の事情」あるいは「当時日本政府統治的回路」を
遠藤正敬戸籍と国籍の近現代史』を通じて
把握してみたいと思います。


がしかし、その前に、
明治政府に限らず、〈近代国家〉が
〈人民〉を統治するのに当面する「課題」と
それに対処するのに〈国家〉がとる「動き」とについて
今回は見てみたいと思います
――「家の原理」について批判的かどうか、
あるいは
家の原理」について肯定的かどうか、
という価値判断を挟まずに
ただ単に、できるだけ公平的かつ妥当に
この当時政治的都合の回路」を
把握するつもりでいるので、
邪推の必要はありません――。


“   《国家による国民登録――権力装置としての戸籍


そもそも戸籍は、個人の身分関係の変動について記録し
国家管理する公文書である。
東西古今を問わず、国家というものは
一般的に自らの管理下にある人民統一的に登録し
諸種の目的のためにその記録を管理するものである。
国家国民登録する場合目的としては、
国内人口の静態および動態把握するという人口調査と、
個人の身分関係把握するという個人識別二つに集約できる。
 古代国家においては前者[=人口調査]が先決課題であった。
徴兵、徴税、労役といった国家に対する義務
人民賦課するために、
男女別成年未成年別職業別世帯数など
単純な人口構成把握できれば事足りたのである。
そして近代以前、
まだ「国籍」というものが法制度として存在しなかった時代、

戸籍への登録は、
国家が個人を「国民」として認証する意味をもったと考えられる。

 18世紀以降近代国家においては
産業革命の成功資本主義の発展伴って
人びとの職業形態も多様化し、
労働者保護や社会保障などの社会問題発生したことで、
個人の福祉安全を保障する国家の広範な役割
要請されるようになった
これによって近代国家
立法・行政の対象となる分野増大させ
夜警国家から福祉国家へ」と変容を遂げた

 こうした国家の職分拡大伴って
人民把握する制度より精密なものへ発展すること
要求された
まず、主権国家として
国家の構成員たる資格を決定する法的な規範として、
国籍法を定めた。
これに基づいて国籍という法的基準を満たした・・・・国民に対して
義務を賦課するのみならず
参政権社会保障就学といった権利を保障するという
福祉国家としての任務十全に実施するためには、
単なる人口調査とどまらず
個人の家族関係および居住関係という生活実態
詳細に把握すること不可欠となったのである。

 かくして近代国家は、
国民の人口住所記録するだけでなく
出生結婚離婚死亡といった
個人の一生における身分関係の変動について
明らかにするための制度必要とするに至った
これが身分登録制度である。
身分登録制度は
その編製単位を個人とするか、家族とするかによって
かなり性格異なっている

 戸籍
家族単位登録簿を編製する方式を採用している点に
特色がある。
戸籍身分登録という機能は、
個人の「私的身分」――出生死亡親族関係――と
公的身分」――「日本国民であること――という
二通り「身分」を証明するものである。

 だが、政治学的に考えてみれば、
国家による国民登録という行為
近代における国家個人緊張的関係無縁ではいられない
丸山真男に従えば、近代国家
国家主権の絶対性という国家理性の思想と、
個人権利の主体とみなし基本的人権を天賦のものとする
近代自然法思想という、
二つの価値観相克を宿命としていた。
・・・・・所掌すべき事業拡大した近代国家においても、
私的な領域、とりわけ結婚離婚など家族の領域への介入
抑制すること当然と考えられていた。
これは
ベンサム(Jeremy Bentham)やミル(James S. Mill)を先駆とする、
自由主義思想の流れを汲むものであった。
この思想に立てば、
個人の行動能力最大限に開放することにおいて
人間の自己実現が達成されるという目標の下に、
私的領域における国家の干渉必要最小限に抑えられる
よって、近代国家
家族の対社会的な部分
――一夫一婦制の維持や近親婚の禁止など――について
統制するにとどまり
家族の共同体としての根本的役割については、
その自治性尊重すべきものという立場をとってきた。

 こうした近代国家における葛藤のなかで、
イギリスの政治学者ラスキ(Harold J. Laski)は
国家の権力について、
国家人民に対して服従要求するには、
彼らの欲求最大限に保障するという国家の意思能力いかん
かかってくると述べている。
つまり、国家自発的服従常態的に確保するには、
被治者服従による見返りしばしば提示し
説得教化によって同意を引き出さなくてはならない

 戸籍
個人に対する登録の強制という権力関係前提とするものである。
だが、権力はたえず強制力を用いて服従を強いることを控え
個人自発的な服従喚起すること支配の安定つながる
戸籍も、
届出という当事者による自発性があって
はじめて機能するものである。
そのため、国家戸籍の編製事業円滑に遂行するには
個人に戸籍登録へと向かわせるための積極的根拠求められる
換言すれば、戸籍への登録
いかなる恩典もたらすものであるか人民教化する必要がある。

 そこで国家は、
個人国籍を保持していようとも
戸籍への登録通じて
国民」としてのさまざまな便益を保障されるのだという図式
つくることをもって登録への能動的態度醸成する
近代日本統一戸籍法となった
1871年公布の壬申(じんしん)戸籍について、
立法者には
「我戸籍法
身分証書の質あらずして
多く行政上人民取締の点にあり
(これ)為す政府義務として社会の幸福を保全する
(ほか)ならず

という評価があった。
すなわち、戸籍なにより人民統制の道具であるが
これによって
社会の幸福」が保障されるという恩顧的な機能伴うべきもの
という理解があったといえる。

 ここにおいて戸籍は、
国民に対する警察的装置から
市民権の保障をもたらす恩顧的な装置へと主要機能を転換し
単なる身分登録とどまらない
さまざまな社会関係における構成原理源泉となっていったのである。”
(遠藤正敬 『戸籍と国籍の近現代史』 P.10-13)


政治社会および国家はもともとは
自由で平等で独立した個々人どうしの間の
契約によって成立したのだ
、という
社会契約説」を理論的基礎や思想背景にして、
市民革命が起こり、
そして君主の恣意裁量で
裁きや政治が行なわれるのではなく、
憲法というルールに基づいて政治を行なう
立憲主義》の下で、
民主主義政治が行なわれる近代社会
――君主制近世国家から近代国家へ――が、
18世紀に生まれるのでありますが、
この〈近代国家〉は、当初においては、
外敵からの防御のための軍隊や、
また国内の治安維持のための警察を抱えるだけで、
経済に対しては、
放任資本主義の《夜警国家》だったのですが、
しかし産業革命化した社会の下での
放任資本主義」では、
さまざまな社会問題が発生するのでした。

たとえば、労働問題を取り上げれば、
機械化が進むことによる単純労働増えた事から、
女性〉や〈児童〉を、安い賃金で、
労働力として使うことが可能になり
未成年の少年も女性も、
そして雇用の不安定に脅かされる〈男性〉も、
過酷な労働環境に晒(さら)されることになります。
「単なる労働力」として、 毎日14~15時間にも及ぶ労働を 強いられることが可能になり
そうした過酷労働が成立します。

過酷労働に、
時間のほとんどを奪われる労働者の食事は、
眠気を飛ばしてくれるカフェインが含まれた
たった一杯紅茶」と、
その紅茶のなかに溶かす「砂糖」という
エネルギー吸収が早いけれども、身体に悪いものだったので、
当時の労働者層の寿命は平均的に、
20歳だった、と言います。

そんな《劣悪な労働環境》で、
しかも《低賃金であるが故に
スラム街などの劣悪な住環境》で、
上下水道などのインフラ整っておらず
栄養不足慢性過労状態
伝染病にも罹りやすいために、
平均年齢は20歳に満たない低寿命人生》という
希望なき人生”や“閉塞的貧困”の中では、
犯罪》も発生し、
社会全体治安にとっても、望ましくありません

また工場稼働による環境汚染などのほうの公害
発生します。

過労死労働災害など日常茶飯事により、
労働者たちが「組合を組織する形で対抗」して、
「労働運動」などを展開して、
自分たち境遇改善に取り組む一方で、
為政統治側の統治的都合」の立場に立って
考えてみると、
国ぐるみで国内の大資本を助けるための
帝国主義経済政策展開するにも、
兵士として駆り出す人口
減っていってしまうためもあってか、)
様々な社会問題起こってしまのに当面して、
それに対処すべく、〈国家〉が、
社会保障労働者保護安全を確保するには、
性別成年・未成年別世帯数という
単純な人口調査」という粗い記録・把握では、
間に合わない”ので、
出生、結婚、離婚、死亡といった
人民の一人ひとりの人生における出来事や、
親族関係生活実態を、
ちゃんと把握することができるような、
もっと精緻な人民把握”の必要が出てきて、
その為の「国民身分登録制度」を設えるのでした。


ところが、この「身分登録制度」を、
国家〉が“強制する”のではなく
“〈国民みずから登録させるようにするのが、
国民一人ひとりの実態親族関係
精緻に把握するための、
国民全般に及ぶ戸籍/身分登録制度》を
成功成立させるための肝要で、
国民みずからに、身分登録/戸籍登録
自発的に足を運ばせる”ためには、
身分登録/戸籍登録》が、
市民権の保障の恩恵を受けることができる
入口/前提》であるように、
「〈為政側/行政側〉が意識していた」ことが、
うえに引用させてもらった文章による叙述で、
私たちは知ることができました
――尚更に、国民本位や国民主権の憲法と、
それが反映される手続き制度が求められますね――。


明治国家戸籍制度である「壬申戸籍」でも、
人民統制/人民に対する取締り成立させるには、
戸籍登録に、人民みずからが参加することで、
はじめて社会的保障を受けることができる資格を、
獲得することができる」ようにしていたことが、
引用文を通じて、私たちは知ることができます。


この《戸籍制度/身分登録制度》が、
日本の場合は、1890年ぐらいからは、
自分が属する戸籍ひとつの氏を名乗る
ように定められるようになるのですが、
この《一戸一氏
あるいは
戸籍における「一家一籍」》に変わって以降は、
近代日本国家」を「ひとつの家国体」とする
国家観が、
日本国民の間根づく”ことになる「装置」として、
この《「一戸一氏」の戸籍制度》が機能するのでした。


本書の基軸をなすのは、
近代国家の政策において国籍のみならず
民族」「血統」といった概念
戸籍制度いかに結びついて操作されてきたという視角である。
ここから、
日本の近代国家としての出立から戦後の帝国解体を経て現代に至る
道程において、
戸籍いかなる思想機能をもって
日本人なるもの
観念実態の両面において支配しようとしたのか
歴史的に検討するところへ向かう”
(同書 P.24)


日本人の中には、
問答無用の自明の根拠とする場合がある
日本民族」や「日本人の血流」という枠組みが、
それについての歴史的検討をもって、
その表面の皮をめくってみると、じつは、
戸籍制度機能によって生み出されたようだ、
というのでした。



(つづく)



追申、heart♪さんが、
ブログを閉じてしまうのは、個人的に寂しいです。
しかし、ただただ感謝感謝ですよね。

熊本県という県自治体と、熊本の市民の方々が、
殺処分ゼロにできるということは、
他の自治体も、不可能ではない、
という事であるはずです。

でも、保護期間の期限日=殺処分決定日に、
地元の動物保護のボランティアの方が、
保健所で、
いのちのカウントダウンを数えられていた仔を、
何とか保護して、そのいのちを救い、
里親を探して助けようとするするのには、
本当に脱帽します。
この保護ボランティアの方の
並々ならぬ愛情と犠牲と努力が
熊本県の殺処分ゼロの下支えになっているのでは
と思っているのですが、想像するだけですが、
動物殺処分ゼロ達成に必要な条件や状態は、
想像を絶するでしょうね。

どうぞ、お仔たち、ボランティアの皆さま、
御健勝と御多幸と御果報とを祈念してやみません。
ありがとうございました。


(追申2)
8月15日終戦記念日に
カンタ!ティモール】上映会が表参道で
開催されます。


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