<20世紀憲法としての「日本国憲法」が、保障してくれている「当たり前(?)」> |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

Project99%掲示板より、一部引用します。
(以下、PARC会員MLより転載、拡散歓迎)
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会員の皆様

シンガポールに来ていることはすでにお伝えしましたが、
昨日、同じく活動をともにするNGOのメンバーの協力も得て、
米国の交渉担当官が
日本の参加問題について公式の場で言及していた

という事実がわかりました。

米国の交渉担当官が、
シンガポール会合のオフィシャルな交渉の場で
日本の参加問題について言及
日本には
一切の議論の蒸し返しは許さない

字句の訂正も許さない

事前にテキストも見せられない

それでも日本は参加するだろう

だから各国は7月まで
(参議院選挙が7月
日本との二国間の事前協議を
済ませておくように

また日本の参加は9月が初めてになる

という内容です。

もちろんこのこと自体は、
これまで多くの人がそうなるだろうと理解してきた内容ですが
しかし改めて、今回の交渉の場で
具体的な日付まで切って
各国の担当官にいった

ということの意味は大きいと思います。許せません。

9月の交渉は米国であるので、議長国も米国。
だから仮に日本がごちゃごちゃいっても、ねじふせられる
と思っているのだろう。
あとは10月のバリでのAPECでサインをみんなでして終わり、
という恐るべきシナリオです。

文面など詳細は下記をご覧ください。
http://www.parc-jp.org/teigen/2011/syomei201303.html

―――――――――――――

いまは、どうしてもTPPのことが気がかりで、
何も考えられずにいます。

戦前・戦中の日本の軍国化への反省から、
<国>と<地方自治体>とを、
対等な関係に置くように、
『戦後憲法』が定めているならば、
どう考えても、
沖縄の(人々と自然が)置かれてきた立場は、
憲法どおりにはなっておらず、
さらに
『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』を
読んでいる方からだと、
冷笑を受けるかもしれませんが、
それでも、
対米従属/日米地位協定からの脱却の必要がある
他方で、
しかし同時に『戦後憲法』も死守し、
そして『憲法』を形骸化・空洞化させてしまう
地方分権道州制」/地域主権改革」も、
グローバル化成長戦略も、退ける必要があると思います。

今回は、前回の暫定チラシの内容は、
いま進みつつある動きは、
21世紀の<日本>を、
戦前の『明治憲法』下の日本に改悪”しているかのような印象を抱いてしまったり、
あるいは、
どうしても『明治憲法』のことを連想してしまうので、
『戦後憲法(1946年制定憲法)』と
『明治憲法』とを対比したり、
なぜ、1946年に、
新たに『日本国憲法/戦後憲法』が制定されたのか、
を把握すれば、他のテーマも、
鮮明・明確になると思い、
前回の暫定チラシに、
当初は盛り込む予定だったのですが、
あまりにも長大になってしまうために、
カットすることになりました。

その『戦後憲法』に関しても、
何回かに、分かれての記事展開になります。


いま現在の憲法は、なぜ大事なのか
いま現行の憲法は、なぜ死守するに値するのか
を伝えようとして、トライしたものです。

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20世紀憲法としての
日本国憲法」は、
なぜ掛けがえがなく
私たちは
死守すべきなのか




日本国憲法戦後憲法1946年憲法)』の中身を
お読みになった事は
ありますでしょうか
(以下、『戦後憲法』とも表記)

いま現在、当たり前や当然と思っていて、
意識すらしていないほど、
当たり前だと思っている基本的人権は、
今から、たった70年ほど前の
1946年に制定された『日本国憲法』に
保障されてこそのものであり、
その当たり前だと思っている基本的な権利も、
そして基本的人権を保障する憲法が、
根底から壊され
私たち国民から奪われようとしています


憲法に保障されてはいるけれども、
しかし『憲法』が保障しているとおりに
実際の日本社会は確かになっていません
それは、
<実際の現実>と
<『憲法』に書かれてある事>とが違うから
憲法』は時代遅れなのではなく
すこしでも
憲法』に書かれてある理念に近づけるべく
多くの日本国民が、大事に大事にして来
徐々に自分たちのものにすべく奮闘して理念に
近づけてきている
途上ものが『戦後憲法』であり、
憲法』に基づき、『憲法』を便(よすが)にして
憲法訴訟を起こして憲法が保障する権利
ひとつひとつ獲得して現実社会
憲法理念近づけてきたのが、
もう一つの側面の戦後史でもあるようです。


現実の社会は、どうやら真相や真実を
私たち国民知らさない事で
はじめて成立していることが多い
のですが、
たとえば、1990年代の経験から、
税や社会保障の負担失政のシワ寄せを、
一般国民困窮者>に負わせることになり、
構造改革」「規制緩和」に導くことになった
グローバル化政策」も、
ホワイトカラー・エグゼンプション」や
サービス残業」「過労死」をもたらしたり、
格差二極化貧困賃金や収入の抑制」をもたらす
緩和」や「構造改革」も、
消費税増税どころか、「一般消費税自体も、
”すべて国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、
社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に
努めなければならない。 ”
という憲法25条反するものであるはずです。
敗戦の焦土化にある当時では
理想に過ぎないと思われていた憲法25条を、
実際の法的権利にしてくれたのは、
”社会保障費全般の削減は、憲法25条に反する”
として「憲法裁判を起こした重度の結核患者で、
生活保護受給者の(故)朝日茂氏という、
一人の勇敢な国民その多くの支援者・協力者たちが、
憲法訴訟を起こして闘い続けてきたからでした。



さて『戦後憲法』は、
1946年制定までの

それまで人類が辿ってきた悲惨な経験努力
反映させた「人類の叡智と努力の結晶の一つ
と言われる場合があります。


そのことを物語る内容として、
在の『憲法』第97条には、
こう書かれています。

この憲法
日本国民に保障する基本的人権は、
人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果
であって、
これらの権利
は、
過去幾多の試練
に堪
(た)

現在およ将来の国民に対し、
侵すことができない永久の権利
として
信託
されたもの
である”と。


というのは、
つぎのような来し方(こしかた)
人類歩んできたからです。



18世紀末に、
人の自由・平等を説く「啓蒙思想」を背景にして、
<市民階級(ブルジョワジー)>が<民衆>と組んで、
君主など<旧体制>を倒して、
近代国家を形成
するのですが、
旧体制
の「絶対王政」の下のように、
特定の同一人物機関>が、
国民に対して
恣意的な支配・権力行使専制政治ふるう
――好き勝手に法律をつくり、好き勝手に裁き、
わがままに政治を行なう――こと無いように
国の基本構造を定める
基本法」である「憲法」に、
個人を尊重する人権保障」と、
権力の恣意的な裁量ふせぐ
権力の分立三権分立)」を、「憲法」に”保障させるのでした。
フランスの『人権宣言』(1789)など
18世紀末に成立した、
その
古典的近代憲法以降のヨーロッパ社会では
資本家階級>と<労働者階級>とに二分されてしまうような「貧富の差が拡大・固定化」するようになり、
また「不況」や「失業」という
近代資本主義の仕組みならではの歪み」が
どうしても起こってしまい、
しかも産業革命以降の「機械化」からくる
健康被害をひきおこす過重労働」から脱するために
<就労者>による”血汗にじむ
労働境遇賃金の改善のための運動」などが起こるのでした。


そうした努力奮闘は、
たとえば、労働者使用を監督し、
9歳未満の雇用を禁止し、
子供の労働時間に上限を設ける、
1833年のイギリスでの「工場法」、
労働時間の上限を10時間とする
1847年の「10時間法」、
そして20世紀に入り、
旧ソ連の憲法での「8時間労働制」や
社会保障などの制定反映されます
そしてこの頃に誕生する「国際労働機関(ILO)」も
”労働時間は、
1日8時間週48時間を超えてはならない”とする
第1号採択を、1919年に採択しています。
この旧ソ連による保障の動きは、
資本主義各国強い影響をもたらします
というのも、「不況」や「格差」、「失業」という
社会問題をかかえる資本主義各国は、
労働者(階級)>による運動が燃えさかり
押さえ込むことが出来なくなるのを恐れた
からです。

その事から、資本主義各国は、
自国の労働者たち>をなんとか取り込んで
資本主義国家を維持・運営すべく

企業・資本家の営利活動への一定の制限化」や
労働者子供・女性など社会的弱者への
社会権の保障
」を、
憲法』などに新たに書きこむのでした。

ロシア革命の2年後に制定される
ワイマール憲法(『1918年8月11日のドイツ憲法』)では
所有権の制限」、
企業の社会的責任の義務づけ
人に値する生活すべての者への保障
「<労働者団結権・経営参加」などが
書き込まれるのでした。

18世紀末に誕生した
古典的近代憲法』には
保障されてはいなかった

生存・生活など社会権の保障」という
福祉国家的性格

企業>や<資本>による
自由放任的で傍若無人な営利活動経済活動

国家制限を加えることで
働き手>や<その家庭><社会を守るため
企業の社会的責任の義務づけ規制」や
労働者保護規制」や「所有権の制限」が、
20世紀になって
ようやく憲法』に書き込まれるようになるでした。
 さきほどの「働き手たちの奮闘」の他方で、
さらに資本主義各国政府政策的都合上
20世紀になって
福祉国家路線模索する必要

出てくるのでした。
19世紀からの「帝国主義になってしまうような
政治経済の在り方
が、
20世紀初頭の第一次世界大戦に繋がってしまったり
また「社会全般の貧困化」と、
そこからくる「全体主義」「ファシズムの台頭」を、
そして「戦争国家」を生み出してしまったので、
自由競争自由貿易を是とする
自由放任主義政策を棚上げにして
戦争国家」や「全体主義国家
対抗するための手段
としても、
福祉国家目指す必要が出てきたようです。

自由放任主義経済資本主義経済の中でならば、
必然的に発生してしまう貧困」が、
全体主義」や「ファシズム」そして「戦争国家」の
温床”になってしまうのであれば、
それを未然に防ぐため

福祉国家路線を講じる必要がある、という訳です。

したたかな政策”としての「福祉政策」という点では、
日本の一般消費税にあたるヨーロッパの「付加価値税」が、19世紀後半から広がったようですが、
その「付加価値税の導入には、「戦費の調達」の他に
成人男性>が
戦争に<
兵士>として駆り出されてしまう事で
残されたその親老人たち)><女性
子供たち>の生活
脅かされないため
福祉政策
」、
つまり「帝国主義政策の“補完政策としての
福祉政策」があった”シビアな側面”も、見逃せません。


さて、もう一度、
敗戦後の1946年に制定された
『日本国憲法/戦後憲法/1946年憲法』
第97条
を見てみると、

”この憲法が
日本国民に保障する基本的人権
は、
人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果
であって、
これらの権利は、過去幾多の試練(た)
現在および将来の国民に対し
侵すことができない永久の権利として
[主権者である国民から]信託されたものである”

とあるように、
日本国憲法戦後憲法』には、
それまでの人類が経てきた悲惨な体験」と、
生存権などをふくめた基本的人権
苦心惨憺努力奮闘”して獲得してきた
歴史的人類遺産の恩恵とを受けて、
反映されている
ことを、
私たちは汲み取ることができます。

しかし、
そうして努力奮闘して獲得してきた「汗の結晶」が
チリでクーデターを起こし、
チリ国民たちの虐殺を続けた1973年誕生の
チリのピノチェト政権をはじめとして、
世界各国で実施され
中流階級貧困層に落としてきた
新自由主義市場原理主義」政策によって、
途上国でも先進国でも奪い取られてきています

この「新自由主義市場原理主義」政策は、日本では
「官僚省庁利権バッシング」を起こして
追い風にして断行された
規制緩和」や「構造改革」という名前で呼ばれます。

この「新自由主義/市場原理主義」を、
何十年も追ってきた、
国際的に著名な経済地理学者の
デーヴィッド・ハーヴェイ博士
(ニューヨーク市立大学教授)は、
新自由主義(=規制緩和構造改革)について、
つぎのような総括をしています。

いわく”新自由主義主たる実績
富や収入を生みだしたことではなく
再配分したこと
であった”と。
<中流階級>が貧困に叩き落とされることで消滅して
世の中には
負け組の貧困層>と<勝ち組の上層階級>としかいない「格差・二極化社会」をもたらすような「富の再配分」を行なう「新自由主義市場原理主義」の基本的なメカニズムを、
ハーヴェイ博士は、”略奪による蓄積”と言い当てています。
略奪」の対象は、
様々な形態の所有権>であり
公共財産>であり
労働力>である、と。


これは、どういう事なのでしょうか?

ハーヴェイ博士は言います。
今日の新自由主義政策においては、
特許知的所有権でもって、
使用料を引き出してみせる
こと」
何世代にもわたる
階級闘争を通じて勝ち取ってきた

様々な形態の共有財産公的年金有給休暇
教育医療を受ける権利など)>を、
縮小縮減または廃止すること」が、
国家の手政策介入)>行なわれ
本来庶民>が(あずか)るべき権利恩恵
略奪”されて、
上層階級>に”再配分されることで
はじめて蓄積された富”なのであり、
これが「新自由主義」政策の
カラクリ内実なのだ、と。

この<一般国民庶民>を貧困に落とす
破壊的”な「新自由主義市場原理主義」が
実現化されるのに

決定的な役割を果たしてきた
のが

本来、近代憲法に基づく限りにおいて
権力を行使すること

主権者である国民>から許されている
国家>なのだ
といいます。

どの国でも
本来、
主権者であるはずの国民>が
自分たちを”貧困叩き落とすような
新自由主義政策
なぜ支持してしまったのでしょうか



それは、
新自由主義市場原理主義」政策の内実や、
それによってもたらされる恐ろしい結末
知らずして
それを行うつもりの政権政党
支持賛成してしまう
ように
腐心されたからのようです。

新自由主義政策自体への支持ではなく
伝統や文化的価値観
に訴えることで
支持を獲得するなど「問題のすり替え」で、
国民の合意を取りつけてみせたのだ、と。


「20世紀憲法」の流れを汲む一方で、
現行の憲法への制定改正)には、
GHQの或る腐心も、含まれていたようです。


つづく

<GHQの憲法草案に込められた三つの国家構想>(2)


(参考文献)
小林武『憲法「改正」と地方自治』
斎藤貴男『消費税増税で日本崩壊』
デーヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』