「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

その危機意識の普及・共有が、私達の存続の手がかりで、
必要なのは、あなたの機転と勇気とクチコミです。
https://twitter.com/AntiBilderbergs

2015年9月19日
安全保障関連法案の強行採決についての
平 哲也 新潟弁護士会会長のコメント

それぞれの画像をクリックすると、リンク移動できます
《希望のまち東京をつくる会》へリンク

「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」

「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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Ⓒ 「国公労新聞」 $「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!
Ⓒ 財務省



テレビや新聞など大手マスコミは、


私たちに真相本当の動き


教えないばかりでなく、誘導・扇動さえしています


「憲法全面改悪」や「廃民的な政権運営」


「原発=核の権力構造」内部被曝被害の拡大


原発被害の野放図・拡大状況」


市場原理主義/新自由主義」の存在自体


グローバル化の真実


TPP等」や「道州制地方分権/地域主権改革)」


国民主権民主主義実質的な破壊・空洞化の動き


秘密保全法案」や「国家安全保障法案


マイナンバー法/国民総背番号制」など


1984化”の動きなど


マスコミを情報源とする多くの火宅の人々」に


こうした絶体絶命の火急の危機を広めないと
私たちはオシマイで、


風前のともしびの状態になります!


でも、”クチコミが困難である”アナタ
よ~く共感できます。



アナタの近所など周辺住民にとっては、
見ず知らずの顔である<知り合い>と


<アナタ>とで、
それぞれ相手の近所周辺を、
チラシを投函して回る「交換ポスティング」作戦
(”交換サツジン”みたいな格好)は、いかがですか?


知人と交互での交換ポスティング作戦」だと、


”御自身で御近所を投函しまわる”よりは、


御近所に、アナタの顔がさす事なく、
はるかに気楽に、
真実や危険性を広める
事ができませんか



ちょっと御検討をお願いいたします。
Twitterアカウントは
https://twitter.com/AntiBilderbergs です。


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『種子 みんなのもの? それとも企業の所有物?』予告編

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
30分に1人が自殺・・・苦しむインドの農民たち
Democracy Now !


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
インドの綿花生産者自殺とモンサント
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

前回記事〉では、
インド農業に降りかかった
《「緑の革命」技術を含めた
バイオテクノロジー》の導入により、
現地のインド農民が
「作物を生産する」には
アグリ多国籍企業〉から供給される
種子や農薬一式や灌漑施設
購入せざるを得なくさせる依存させる
根源的独占」》を見ました。

今回も、その続きで、
〈生態環境と調和させた持続可能的な農業〉
にとっての構成要素

成長経済に‟徴発”される現代技術》と、
成長経済が要請する「均一性」や「多様性排除」》により、
‟排除される”ような《単一栽培方式》が
〈地域経済〉や〈生態系環境〉を《破壊》する
悪循環”で‟矛盾”したものであることを
以下に見て行きます。

では、何のために
債務苦からくる自殺者を量産》さえする
悪循環”で‟矛盾”し‟高コスト・高価値”の
バイオテクノロジー》が推進されるのか?
なぜ西欧の研究機関正当化するのか?

を可視化しています。
――その答えは、
ベンヤミンによる技術観
技術進歩条件づけているのは資本主義
ではないか?と読んで記事を書いています。――

次回は、
A)中間的まとめ記事か、
B)《バイオテクノロジー》と
《WTOはじめメガFTA》との”繋がり”
を書きます
――中間的まとめ記事を書く選択を取った場合、
《経済のグローバル化》と
《戦争および資源大国アフリカでの内紛》との
関連性について書いていきます――。

以下は、例のごとく、
ヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』より引用します。


‟緑の革命を推進している世界の各地域
大規模な乾燥化が起こること
現実に可能性がある
ここでも豊かさ不足を生む

 水、肥料、殺虫剤の使用が増えること
金銭的な意味で
アジアの農民にとっては反生産的
である。
国際稲研究所(IRRI)で行なわれた調査によれば、
フィリピンの平均的な米作農民
在来種農法で栽培した総生産コスト
1ヘクタール当たりおよそ20ドルであったが、
新しいHYVを栽培すると
このコスト
220ドルにはね上がった


 農場のエコシステムの諸要素分断して、
遠い市場や産業と結びつくことが、
現代の「科学」的農業の特徴である。
この食糧生産システム導入するための
もっとも一般的な正当化の論理
は、
農業の生産性が上がるということである。
しかし、現代農業の高い「生産性」は、
全部の資源のインプットを考慮した場合
神話でしかない

その生産にともなう社会的および生態的なコスト
肥料殺虫剤労働力にかわるエネルギーや装置の使用
考慮に入れずに
このシステム生産的であるように意図的に描かれている
現代農業にすべてのインプットを与えるのに
使われるエネルギー
を、
生産された食物のカロリーから
差し引いたなら、
現代農業反生産的である。
今世紀の変わり目には、
北の諸国においてさえも、
1カロリーの食物
1カロリー以下のエネルギーの投入で生産していたので
純益があったが、
今日では
同じ1カロリーの食物を生産するのに
10カロリーを使っている


 工業化された農業高い生産性や効率は、
豊かな人々や豊かな国の財産
ふさわしインプットとアウトプットを選ぶことによって、
状況的に決定される
(引用者中略)

 農薬を多用し、労働力を排する農業のみ生産的である 
という神話は最近、
アメリカの全米研究協議会の大規模な研究によって
問い直された
この報告は「代替農業」というタイトルで、
代替農業システムは、
化学農業がもたらす健康と環境の危険減らし
経済的にも発展性があることを示している。
(『緑の革命とその暴力』P.257-259)

――・――・――・――・――・――・――

バイオテクノロジーと生物多様性の保存

 緑の革命バイオテクノロジーの開発
もたらしている大きなパラドクスは、
現代の作物改良は、
その原料として使っている生物多様性
破壊することもとづいている
ということである。
動植物の育成皮肉なところは
技術よって立っている土台そのもの
破壊していること
である。
農業の近代化計画新たな均一の作物
農場持ち込んで
在来種の多様性絶滅に追い込む
マサチューセッツ大学のギャリソン・ウィルクス教授の言葉を借りれば、
建物の土台から石をとって
屋根を修理しているようなもの
である。

 ブライアン・フォード・ロイドとマイケル・ジャクソンは
次のように説明している。


  「植物の遺伝資源をとりまく現在の国際活動は、
 逆説的な問題立ち向かおうとしている

 それは、
 世界中の科学者
 良質で高収量品種の作物を開発すること従事しており
 ますます大規模にそれら使用しようとしていることである。
 しかし、それに伴い
 遺伝的に変わりやすく、収量が低く
 伝統的に地元で栽培されている品種
 現代農業の商品によって駆逐される
 すなわち、
 均一性多様性取ってかわるケースである。
 我々がパラドクスと見るのはこの点である。
 なぜなら、
 これらのまったく同類の植物育種家が
 成功するかどうかは、
 多様な遺伝物質のプールがあるかどうかに
 かかっている
からである。
 彼らは、
 自分たちが知らないうちに
 破壊しているもの依存しているのである。


 このパラドクスは
価値と有用性の割り当てを
根本的に間違っており、
現代の品種のほうが、本質的に優秀である
と考えるところから出てきているのだが

それらの品種優れているのは
植物の遺伝資源に対して強い支配権をもち
市場のためにある種の商品を限定生産する
という状況においてのみ
なのである。

 1990年代の課題は、
自然社会大部分を絶滅させること
正当化するような間違った時代遅れ」と生産性の考え方から
脱却すること土台となる。
同質性と均一性
多国籍企業が市場を支配するためには
商品均一にしなければならないから
である。
このこと現代の研究制度
市場反応する形で発展してきた
という性格にもその一因がある

ほとんどのバイオ研究
多国籍企業から指示されている
ので

求められている解決策また
国際的であり、同質的である

という特徴をもたざるを得ない

多国籍企業
小さな市場のために活動する
という傾向
もたず

大きな市場シェアを目指す

さらに、研究者
単純化して、系統的に取り組うことができ、
安定的に広範囲に応用できるような成果がでる課題を好む

多様性科学研究の規格化反する

 しかしながら、
市場単一栽培測定する場合のように
部分的な生産高が増えたとしても、
自然の経済暮らしの経済多様性で測定するなら
たいていは生産減である。

多様性の文脈においては、
生産の増加や生産性の向上は、
生物多様性の保存と一致する。
それどころか、
多様性に依存している場合が多い


 しかしながら、
バイオテクノロジーの開発
自動的に生物多様性の保存につながるかのような誤解が広がっている

バイオテクノロジー
生物多様性の危機奇跡的な解決策として見なすこと大きな問題は、
バイオテクノロジーというのは本質的に
均一な動植物をつくるための技術
である
という事実に関連している
ところが、
バイテク会社
遺伝的多様性に寄与すると宣伝している

 チバガイギーのジョン・デューシングは
次のように述べている。


 「特許を保護することによって
 競争的多様な遺伝的解決策の開発促され
 こうした多様な解決策のアクセス
 バイテク・エコロジー種子産業
 自由市場勢力機能することによって
 確保される



 しかしながら、
企業戦略多様性」と、
地球上の生物多様性
同じものではなく
企業の競争を、
遺伝的多様性をつくる自然の進化
代替手段として扱うこと
できない


 企業の戦略生産物は、
商品を多様化することはできる

自然の多様性を豊かにすることできない

商品の多様性と生物の多様性保存の混同は、
原料の多様化と似ているところがある。
育種家は
多くの場所から採った遺伝資源を
原料として投入しているけれども、
農民再び売りつける種子商品は、
均一性という特徴をもっている。
均一性独占的種子販売
手をつないでいる

この独占支配
還元主義的に実行される時には、
多様性破壊さらに加速される


 クロッペンバーグは
次のように警告している。


 「種の間で遺伝物質を異動させる能力は、
 新たな品種を導入する手段であるけれども、
 それは
 種を超えて遺伝的な均一性を
 操作する手段でもある」


 このように生産
多様性破壊する方向で進められており
あらゆる生物多様性その移植地で失われる
均一性にもとづく生産は、
生物多様性の保存脅かす
主たる脅威となっているのに、
市場の複雑な政治経済のなかでは、
それ保存の理由としてあげられる
作物改良のための遺伝的多様性の利用を、
遺伝資源の探求と保存の最終目的とすべきである
と論られている

 生殖質の地位不平等を持ち込むことによって
生産保存とが恣意的に分離されている
一部の人々[がもつ]生殖質
最終商品となり、「生産物となる
のに対して、
他の生殖質は、
その生産物のため
たんなる原料となる
企業の実験室における「商品製造」は
生産と見なされる

自然第三世界の農民による
原料の再生産

たんなる保存である。
ある領域における付加価値
別の領域で盗んだ価値」を
ベースにつくられている

このように
バイオテクノロジー発展

生物多様性破壊貧困創出に変わる


 生物多様性の保存のため大きな課題は、
多いものを少なく見せかけ
少ないものを多く見せかける
ような
還元主義目隠し

撤去することである。
この偽りの「成長生産性」の社会的構成
次のようにして達成される


 1.作物と作物の一部
 「望ましくないもの」として排除する

 2.資源と知識の偽りの階級つくり
 多様性二分法分断する



 〔自然物の〕生産の論理でなければ
多様性を保存することできない
もし生産均一性と同質性ベースにしてゆくなら
均一性多様性排除し続けるであろう
(引用者中略)
生産様式としての均一性は、
支配収益性という文脈においてのみ 必然的となる

 持続可能な農業のすべてのシステムは
過去のものであれ、
未来のものであれ、
多様性と相互依存の
永久的な原則をもとにして動いている

二つの原則
独立しているではなくて、相互に関連している
多様性は、
ギブ・アンド・テイク、
相互関係や相互依存のための
生態系なスペースをつくりだ

多様性破壊
単一栽培生みだしたこと原因
であり、
単一栽培つくりだしたこと
多様なシステムの自己管理や分権的な組織
退けられて

外部の投入外部の中央集権的な支配
道をあける

持続可能性と多様性
生態的には結びついている
なぜなら多様性は、
システムのいかなる部分の
生態的な変動も
癒すことができるような
複数の相互作用をもつ
からである。
非持続可能性均一性は、
ひとつの部分に起こった変動
が、
他のすべての変動に変わること
意味する
生態的な不安定性
抑制されるどころか
増幅する可能性がある

生産性の問題
多様性均一性の問題
密接に結びついている
収量の増加生産性の増加
均一性の導入主たる動因であり、
組み立てラインの論理である。

成長の必要性
単一栽培の必要性生みだす

しかし、この成長は、
ほとんどの場合、
社会的に構成された価値観をともなうカテゴリーである。
これは、
多様性や多様性を通じた生産の事実
排除し抹消することによって
事実として存在する
したがって、
持続可能性多様性分権的な自己組織化
結びついており

同じように
非連続可能性均一性中央集権化
結びついている

(P.260-267)

 

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今回は、
中途半端な形で切った〈前回記事〉からの続きとなります。

前回記事では、

 
生物の多様性技術的に変えることが、
改良という言葉と「経済的価値の増大
ということで正当化されている

しかし、「改良」と「価値」は中立的な言葉ではない
この言葉自体状況とかかわっており価値観が入っている
ある状況での改良は、別の状況における退行であることがよくある。
ある視点からの価値の付与が、別の視点から見ると価値の喪失である。

と、【価値】に対する認識の仕方について
これまで自分が持ってきた意味あいや捉え方とは
違うために、
戸惑ってしまうようなシヴァの言葉を目にしました。


そこで改めて、【価値】という言葉について
『広辞苑』(第3版、岩波書店)をめくってみると、


①物事の役に立つ性質・程度。
経済学では商品は使用価値と交換価値とを持つとする。ねうち。効用。
②【哲】「よい」といわれる性質。・・・・

と書かれてありました。

そこで今度は、
『現代経済学事典』(2004年、岩波書店)で、
【価値】という言葉について、めくってみると、


封建制度下の共同体が崩れ、
新しい経済・社会が生まれようとする西欧の古典の時代には、
市場で売買される商品の価格の正常値を律するものが存在するにちがいない という考えが生まれた。
それは自然法の思想にも影響され、
神によって平等につくられた人間が、
その商品の獲得のために要した平均的な労働であるとされた。

古典派経済学の祖アダム・スミスは、
商品には、
人々の欲望を満たす使用価値と、
他の商品と交換できる交換価値とがあり、
この交換価値の正常値を決めるのが
その獲得に要した労働量であるとした。
このような考えが生まれたのには、ちょうど、
若い2人の関係を意義づけ、価値づけているのは愛である
という青春の考え、
また人間を人間たらしめているのは自我であるというような、
経験的現象を意義づけ、価値づけているものがあるとする
古典の時代の共通した考えが隠されている。
ただし、イギリス経験論の流れにあるスイスには、
価値は不変の価値尺度であるべきだという考えがあり、
ものの価値を測るのに
短期的には金(きん)が安定しており、
長期には穀物が基準になるが、
長期・短期をつうじてともに尺度になるのが労働である
と見ている。

 これに対してドイツ的思考のうえに立つマルクスには、
価値の本質は労働であるとする本質・実体論があった。
1870年代限界革命が起こると、
価値の背後にある価値は効用であるという考えが生まれた。
ドイツ的な思考のうえに立つメンガ―のいう効用は、
人々が財に対して抱く主観的評価を意味した。
したがって、酒の効用は、
下戸(げこ)と酒好きとでは異なる。

これに対してイギリス的思考は、
使用価値というときも効用というときも、
主観的評価を超えて、
酒が人間の嗜好を満たす客観的属性をもっている
という側面でとらえている。
現代経済学では価値論は存在せず、価格関係で論じ、
マルクス経済学は、価値の実体としての労働を論じている。
(P.314-315)

という解説がなされてあり、
考えさせられます。

というのも、
たとえばエキタスの
「最低賃金時給1500円にまで上げろ!」
というフレーズの要求の訴えは、

日常生活を維持し、
自分たちの労働力やパフォーマンスを、
勤め先に対して、持続的に提供するための
最低限度の生活水準の時給の賃金ライン」だぞ!

とも認識できると思うのですが、

じゃあ、その勤め先や使用者が、
最低賃金1500円の時給水準で、
その労働者を雇い続けるとしたら、
時給1500円以上での雇用維持するために
その賃金分を賄えるための価格水準を
設定しなければならなくなります
」よね。

《アベノミクス》の(脱デフレ脱却)の
“空回り”や“失敗”が示すように、
賃金引上げのための価格上昇」が
〈社会全般で起これ〉ば、
商品の値段に
「最賃時給1500円への人件費の引き上げ
反映される形コストプッシュ・インフレ」が
起こる〉でしょうから、
たしかに「労働量/労働時間」も
日々を食つなぐための食料の価格」も、
「〈賃金〉や〈食料価格〉をふくむ価値を規定する要素
というのは分かります。

ところが他方で
〈労働法で守られたその国内労働者〉と
同じパフォーマンスの労働力」が、
《(「“労働生産物」や
労働の塊」とされる「価値」を
体現していた商品の生産が)
機械で代替できて排除できる》、
人件費コストの安い海外労働力で代替できる》、
あるいはアメリカのように
民営刑務所の囚人で代替できる》、
労働者の買い手市場化ができる》、
《そうして底辺への競争への悪循環
ということになると、
労働穀物価値への規定や碇(の役割)」は
揺るがされて》しまって、
「労働法で守られた国内労働力効用」は
状況いかん》で
使用者の主観的評価に晒される》ことも
見受けられて来たように思われます。

先の『広辞苑』に戻って、【価値】を
物事の役に立つ性質”や“有用性
という意味で、見つめ直すと、
商品〉というものは、
何らかの〈有用性や使用価値を持っている〉から、
人は、ある特定の〈欲求を満たす〉ために、
その欲求を満たすための商品/生産物を買う
といったような説明を見聞きします。

とすれば、たしかに、
ある特定の〈欲求を満足させる〉ために、
その欲求を満たす使用価値を持った商品
購入して使う
〉ことで、
初めてその欲求を満たせる〉のですから、
商品体そのもの使用価値を持ったもの
という見方は、説得力があります
――その欲求の度合いや程度が、
人によって、状況によって変わり、一様ではない
というのも、頷けます――。

そこで、なのですが、
いま私たちが生きている、この状況下》では
無くてはならなくて便利で、
使用価値を有している
》けど、
その《製品がもつ使用価値》というものを、

たとえば、
過去記事で御紹介した形での、

ジグムント・バウマン&ティモシー・メイ
『社会学の考え方』
(第2版)
イヴァン・イリイチ
『コンヴィヴィアリティのための道具』

見田宗介『現代社会の理論』

を、或るまとまりでの《根源的独占の観点から
折り返す形で逆方向に見直してみる
と、

ヴァンダナ・シヴァが言っていたような
「〈ある状況での改良〉が
別の状況における退行》」であり、
「〈ある視点からの価値の付与〉が
別の視点から見ると価値の喪失》」

と言うことができるようになってくる、
と思うのです。

ジグムント・バウマン&ティモシー・メイ
『社会学の考え方』で見たような


ハイテク機器への依存度の高まり》と、
周期的に購入するサイクルに巻き込まれること》は
財やサーヴィスの市場取引をめぐって
発展してきた
巨大産業無縁ではない》〔ので〕、
(中略)
いまや、消費者を突き動かす欲望について、
成り行き任せにされているもの何一つない》。
(中略) 
システム環境の変化に応じて、
私たちは、新しい技能を習得しなければならない
》が、
それによって、
わたしたちの生活がどう変化するかは、
社会的な状況次第》である。
理解しておかなければならないのは、
わたしたちが、
段々と、より複雑な機器を欲するようになる》ことである。
それ》は、《わたしたちに、より高度な技能を求める》。
それらの機器を使用するのは、
内部構造を知りたいためではないので、
それが、どう作動しているかも分からないし、
故障の場合も自分で修理できない

結果として、修理や維持管理には
より洗練された工具が必要になるため、
わたしたちは、ますます他者に依存するようになる
》。
わたしたちはまた、
それらの機器の操作法を
習得しなければならない
》ため、
《古い技能はたちまち時代遅れのものとなる》。
機器の発展に遅れないようにするために、
ますます変化の要求に振り回されることになる
》。
新しい技能は、新しい機器の道具の一部となる》が、
それは、わたしたちの自律性の向上につながるのか。
それとも、機器への依存性の増加につながるのか。」


つづいて
見田宗介『現代社会の理論』
で見たような


電話なくても人間は生きていくことができるが、
1990年代の東京で電話ないという家族は、
義務教育の公立学校「連絡網」からも脱落する
(「特別な処置」ではじめて「救済」される)存在である。
そしてこの義務教育に参加しないこと
「ニューヨークで12年間の学校教育を受けないもの
不具者のような扱いをうける
(イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』)
のことと同様の扱いを、日本社会でも受ける
つまり
その生きている社会の中でふつうに生きることできない。」


そのイヴァン・イリイチ
『コンヴィヴィアリティのための道具』


のどの渇きビールでいやそうと水でいやそうと自由なのだが、
その渇きコカコーラへの欲求置き換えられ
ほかに代るべき ちゃんとしたものがない》とすれば、
そのときのみ独占は根源的なものになるだろう。
「根源的独占」という言葉で私が意味するものは、
ある銘柄が支配的になることではなく、
あるタイプの製品支配的になること》である。
ひとつの産業の生産過程
さしせまった必要をみたす行為に対して
排他的な支配を及ぼし
産業的でない活動競争から締めだす
》とき、
私はそれを根源的独占と呼ぶ

自分の姿にあわせて
都市ををかたちづくることができる
――実際にロサンジェルスで
徒歩や自転車での移動締めだしたように。
それはタイの河川交通
お払い箱にすることができる。
フォードよりシボレーに乗る人が多いということが
根源的独占なのではなくて、
自動車による交通
歩く人の権利削りとるということ
根源的独占なのである。」

生態的均衡再建は、
進展する価値の物質化
無力化しうる社会の能力かかっている
その能力なければ
人間は自分がつくった人工世界の中に
出口もなしに まったく閉じこめられてしまうだろう。
自分でつくった自然的・社会的・心理的環境
封じ込められて人間
自分が数十万年かかって適応して来た昔の環境
二度と見いだすことはできずに
科学技術がつくった人工殻囚人となりはてるだろう。」

人間生来の能力大型の道具によって
排除されているところではどこでも
根源的独占成り立つ
根源的独占消費強制し、
それによって個人の自律性制限する

その独占は、
巨大な制度だけが供給できる標準的な製品消費
強制することによっておしつけられているのだから、
一種の特別な社会管理ということができる。」


さて、ヴァンダナ・シヴァによる
『緑の革命とその暴力』のなかの一部を、
今回も以下に見ていく事になりますが、
以下では、
生態-環境的で地域社会的に無理なく、
自前で調達できる、
自己再生的な循環サイクルである
従来のインド農業の在り方
が、
欧米先進国からの
開発価値付与の技術経済モデル
によって《断ち切られ》て、
農業生産には、
欧米先進国の(多国籍)企業〉から
種子農薬灌漑施設などの資材
必然的/自動的に購入せざるを得なくなる
という、或る種の《根源的独占》を
確認することができると思います。

しかし、以下に見られるように、
農民の
バイオテクノロジー産業への
依存を高めること》で、
多国籍企業農業支配を
ますます強め
》、
多国籍企業の市場権力
強める結果をもたらし》、
インドの現地農民〉を
先進国の多国籍企業〉にとっての
販路先として捕縛する》のでした。



“....除草剤殺虫剤耐性
種子と農業の結合
多国籍企業の農業支配
ますます強めるであろう

多くの巨大な農業会社は、
自社ブランドの除草剤に耐性のある作物
開発している

(引用者中略)
商標名をもつ商標名をもつ除草剤
耐性のある作物開発し、
販売することに成功すれば
農業市場の経済的な集中度
さらに高まり
多国籍企業の市場権力
強める結果をもたらす

農民は土地を所有しているだろうが、
会社畑の作物を所有しており
遺伝的なプログラムが入っている種子から
成長する作物の生育状況とニーズ

コンピュータでモニターし、
それによって指示を与えるだろう。

 このように
バイオテクノロジー
農民から生産手段としての種子
奪いとる手段となりうる

種子の生産
農場から企業の実験室
移動することによって
、さらに企業農民の間で
権力や重要性が移動する

自家栽培の種子
排除されることによって

農民バイテク産業への依存
急速に高まり

金額にして年間およそ6億ドルとなる

 バイオテクノロジー
商業利益に合わないけれども
自然と人間の生存にとっては
必須の作物あるいは作物の一部

選択的に排除することによって

収奪の手段となる
食物の特徴選びだして改良することは、
自然あるいは地元民の消費にとって
有用な他の特徴切り捨てるということである

改良は階級やジェンダーに中立的な概念ではない
配分の効率を改善することは、
望ましくない作物の一部犠牲にして
望ましい生産物の収量を高めること」を土台にしている
しかし、望ましい生産物
豊かな人々貧しい人々によって異なり
豊かな国貧しい国によっても異なり
効率もまたそれによって異なる

インプットという点で、豊かな国民と豊かな国は
労働力が不足しており、
貧しい国民と貧しい国は
資本と資本と土地が不足している。
しかし、
ほとんどの農業発展
資本のインプット増やし
一方では労働者追い出し
生計破壊している

アウトプットの点では、
裕福な人々にとっては
望ましくないものとして扱われている作物がもつ農業の側面
貧しい人々にとっては望ましいことかもしれない
貧しい人々に役立つ作物あるいは「作物の一部」が
商業利益追いやられて
通常の改良優先順位によっては
供給されにくくなっている


 インドの場合
緑の革命作物改良によって
姿を消した作物は、
大衆土壌の栄養ニーズにとって
重要な豆類と油脂作物
である

緑の革命によって広がった
小麦と米の単一栽培は、
有用な作物雑草に変えてしまった

一緒に栽培されていた緑葉野菜など
その例である。

除草剤を使うために
貧しい人々にとって有用な植物
死滅してしまい
殺虫剤を使用することで
アジアの稲栽培システムで
たいてい
水田耕作と一緒に行われていた魚の養殖

破壊されてしまった

生物多様性破壊によるこうした損失
単一栽培の収量増加することによって
もたらされた
ものであるが

技術変化生産性を測定する時には
決して内部化されることがない

実際は、魚の養殖が増えたインプットと減ったアウトプットは
生産性の測定においては魚の養殖が外部化されている。
生産性とは魚の養殖がインプットの単位当たりのアウトプットの測定である。
(ヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』P.252-255)
※色彩による強調、下線での強調は、毎度のことながら、引用者によるもの



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前回記事〉からの続きとなります。

〈今回記事〉では
イギリス産業革命》と《インドへの植民地支配との時代に見られた《新たな相関関係的な)暴力》が
今日のバイオ技術の中》にも"見受けられる"として
今日、アグリ多国籍企業によって作られる《種子》を取り上げて、
近代西洋的価値観をもった欧米発の農業》の特徴、
欧米発の近代的価値観を伴った近現代的技術》の特徴を、シヴァが叙述している模様を、
以下に引用・紹介していきます。

以下では、
従来の伝統的インド農業の在り方〉とは"別物"の
欧米発の資本主義的近現代的農業》の特徴を、  見ていただくことになりますが、
"違い”は、
インド伝統的農業〉が、
生態系に根ざし、自然環境に合わせて
自分たちの地域内で完結しており、自己再生できて
地元の小市民たちの手管理できる範囲のもの
〉  であるのに対して、以下に出てくる
緑の革命」や「バイオテクノロジー」のような
欧米発近現代技術的な農業》では、
前者〉のように〈地域内で完結した循環的農業
"ではなく"、
自己完結的な再生のループ〉は《断ち切られる》事となり、 農作物を育てるには、
種子も、農薬灌漑施設等を《セットで商品として先進国の多国籍企業による供給依存して購入しなければならない状態に置かれるために、
過去記事で御紹介した《根源的独占》に置かれる事になります。

その事から、
種子農薬灌漑施設等の「需給」や「輸出入」は、
そこ取引が発生し「貨幣のやり取りが生じる」為、
成長経済には寄与する》でしょうが、しかし、
根源的独占》という在り方重大な犠牲、 《販路需要確保のために
成長経済システム"土台にする"のだとすれば、
生存」という観点で見つめた時、
"本末転倒な状態に陥っている”と言えるでしょう。

以下の引用文では、
「《或る状況で改良進歩》は
別の状況における退歩〉」である、
あるいは
「《或る観点での価値付与》は、
別の観点では価値喪失〉」である、
といったような指摘が出て来、
――《有価値か否か》を"正当化する"のは
欧米社会にある研究機関や国際機関》とシヴァは言う――
その《悪循環や矛盾》を、
緑の革命」を含めた《バイオテクノロジー》を通じて、見て行きたいと思います。

以下の引用文を見れば、
《以下のようなやり方》は、
これまで御紹介させてもらった
《モンサントのやり方》に一致することを
確認なさるのではないでしょうか。


”       〈種子の植民地化
 植民地時代に繊維産業で起こった変化
インド独立した後
緑の革命に入ってから、農業再現された

その変化
緑の革命による農業化学化であれ、
新しいバイオ技術を通じて変化であれ、
種子
農業生産最近の変化すべての中心にある

 生物の多様性技術的に変えること
改良」という言葉と「経済的価値の増大ということで正当化されている
しかし、
改良」と「価値」は中立的な言葉ではない
この言葉自体
状況とかかわっており価値観入っている

ある状況での改良
別の状況における退行であるこ
よくある
ある視点からの価値の付与
別の視点から見ると価値喪失である。


 種子の「改良」は中立的な経済的プロセスではない
さらに重要なことに、
多様性の管理権
地元の小市民から多国籍企業移し
生物体系自らが再生産できる完全な体系から
原料変えてしまうような政治的プロセスである。
新たなバイオテクノロジー
種子とともに権力の所在を変えるために雑種化の道をたどっている。

 ジャック・クロッペンバーグが述べたように、

 「これ『種子』としての種子と、『穀物』としての種子切り離し
 種子使用価値から交換価値へと変化させる」。

 農業研究主として、
農業資本が侵入するのを防ぐ障壁排除するための手段となっている
もっとも大きな障壁とは
自らを再生し、増殖する種子の性格である。
したがって種子は、
作物生産プロセスの両端をつなぐ二重の性格おっている
すなわち種子生産手段であるとともに
穀物としての生産物でもある
毎年作物を植え付けることによって
農民生産手段として必要な種子を再生産している
したがって、種子
適切な条件さえ与えられれば
自ら増殖するという単純な生物的な障壁をもった資本である。

 したがって、種子市場つくらなければならないとすれば
種子物理的に変えなければならない

 現代の作物育種は第一に、
種子市場に出すため
生物学的な障壁排除する試みである。
自らを再生産する種子
ただであり、
共有資産であり、
農民の管理下にある
企業種子コストかかっており
企業あるいは農業研究機関
管理下おかれている

共有資源商品変え
自己再生的な資源
たんなるインプット
変えること
により、
種子の性格のみならず
農業そのものの性格変わってしまう
この変化
小農民から生計手段奪い取る
ので、
新しい技術
貧困と低開発まねく手段となる


 種子穀物切り離すことによって
種子の地位が変わっている
自ら生産する最終製品であり
自然の種子、民衆の種子であったもの
商品としての企業の種子生産のための原料となっている
したがって、
生物多様性を再生するサイクルかわって
農場や森林からただで採った生殖質
実験室や研究室持ち込む単線的な流れ

手を加えて均一にした商品値段をつけて
企業から農民渡す流れ変わっている
多様性は、
均一性をベースにする産業生産のための原料
変えることによって破壊され

当然ながら
地元の農法の多様性姿を消す


 作物栽培システムは一般に、
土壌植物遺伝資源相互作用を含む
たとえば土着の農業では、作物栽培
土壌家畜作物共生的な関係をもつ
緑の革命農業
農場においての統合

種子農業などインプットの統合置き換える

土着の作物栽培システム
内部の有機的な投入物のみベースにしている
種子は農場から採り土壌の生産力農場でつくられ
害虫駆除作物の混作に組み込まれている
緑の革命の包括計画では
収量
種子化学肥料殺虫剤石油集約的な灌漑など
購入したインプット
密接に結びついている

高収量
種子本質的に備わっているものではなくて
インプット使用度によって決まる

・・・国連社会開発調査研究所(UNRISD)が
15か国で新しい種子の影響ついての調査を行ない、
高収量品種」という用語
新しい種子そのもの
高収量であるかのような意味をもつので、
誤称であると結論づけている。
この種子卓越した特徴というのは
肥料や灌漑などある種の重要なインプットに対する反応
大きい
ということである。
したがって、パーマーは
高収量品種(HYV)かわりに
高反応品種(HRV)』という用語を提案した


 クロード・アルバレスが言ったように、
人類初めて
成長と生産のため
自力では対応できず

人為的環境置く必要がある種子生産した
のであった。

 このような種子の性格における
変化正当化するために
自己再生的な種子を「原始的」で
生の生殖質として扱い
インプットなければ
不活性で、再生不可能な種子

最終商品として扱う枠組み
つくられている

全体を部分として表現し、
部分が全体として表現されている。
商品化された種子は
生態的には不完全であり、
二つの面で破綻している。

1.種子は
その定義上は
再生可能な資源であるけれども、
商品化された種子は、
自己再生しない

したがって、遺伝的資質は、
技術的な操作を通じて
再生可能なものから
再生不可能なもの変わっている

2.商品化された種子
それだけでは生成しない

この種子が生成するには
インプットの助け必要とする
種子会社と農薬会社が一体となるので、
インプットへの依存
減るどころか、高まる
であろう。
生態的には
農薬が外部から加えられようと内部からであろうと、
種子の再生産の生態的なサイクルでは
農薬外部的なインプットである。


 農民の収奪と遺伝的破壊の問題の下
横たわっているのは、
生態的な再生プロセスから
生産技術的プロセスへの移行
である。

 新しい植物バイオテクノロジーは、
緑の革命のHYVの道をたどり、
農民
技術によって果てしなく労苦に追いやる
こと
であろう。
バイオテクノロジー
両極化のプロセス促進するとしても、
農民投入物の購入ますます走らせるもの
と予想することができる。
バイオテクノロジー
農薬の使用

減らすどころか、
ますます増やしてゆく
遺伝工学における研究主眼

作物を
化学肥料と害虫から解放することではなくて
殺虫剤や除草剤に耐性をもつ品種
つくること
である。
種子と農薬の多国籍企業にとっては
そのほう採算が合う

作物を農薬に合わせたほう安上がり
だからである。
新しい作物品種を開発するコストは
200万ドルを超えることはめったとないが、
新しい除草剤開発コスト
4000万ドルを超えている

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