「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

その危機意識の普及・共有が、私達の存続の手がかりで、
必要なのは、あなたの機転と勇気とクチコミです。
https://twitter.com/AntiBilderbergs

2015年9月19日
安全保障関連法案の強行採決についての
平 哲也 新潟弁護士会会長のコメント

それぞれの画像をクリックすると、リンク移動できます
《希望のまち東京をつくる会》へリンク

「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」

「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

$「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

$「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

$「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

$「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!


Ⓒ 「国公労新聞」 $「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!
Ⓒ 財務省



テレビや新聞など大手マスコミは、


私たちに真相本当の動き


教えないばかりでなく、誘導・扇動さえしています


「憲法全面改悪」や「廃民的な政権運営」


「原発=核の権力構造」内部被曝被害の拡大


原発被害の野放図・拡大状況」


市場原理主義/新自由主義」の存在自体


グローバル化の真実


TPP等」や「道州制地方分権/地域主権改革)」


国民主権民主主義実質的な破壊・空洞化の動き


秘密保全法案」や「国家安全保障法案


マイナンバー法/国民総背番号制」など


1984化”の動きなど


マスコミを情報源とする多くの火宅の人々」に


こうした絶体絶命の火急の危機を広めないと
私たちはオシマイで、


風前のともしびの状態になります!


でも、”クチコミが困難である”アナタ
よ~く共感できます。



アナタの近所など周辺住民にとっては、
見ず知らずの顔である<知り合い>と


<アナタ>とで、
それぞれ相手の近所周辺を、
チラシを投函して回る「交換ポスティング」作戦
(”交換サツジン”みたいな格好)は、いかがですか?


知人と交互での交換ポスティング作戦」だと、


”御自身で御近所を投函しまわる”よりは、


御近所に、アナタの顔がさす事なく、
はるかに気楽に、
真実や危険性を広める
事ができませんか



ちょっと御検討をお願いいたします。
Twitterアカウントは
https://twitter.com/AntiBilderbergs です。


テーマ:

  〈【7-3-b】からのつづき〉◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


つぎに引用していく文章は、
最初は、
斎藤貴男『小泉改革と監視社会の〈あとがき〉で、

つぎが歴史学者マーク・ポスターによる
情報様式論』(岩波現代文庫) のなかの
〈第3章 フーコーとデータベース―分有された監視〉

最後のは、
春日直樹『〈遅れ〉の思考
「序章 ポスト近代の〈遅れ〉」という箇所から

引いたものです。

がしかし、字数制限の都合上、
それぞれ三つに分けます。

何の前置きの説明もなく、
たて続けに引用していきますが、
この引用文の三つを引用する、
今回記事での意味や位置や筆者の伝えたい面と
については、申し上げておくべきですよね。


昨今監視社会化状況のもとでの推進力は、
ビッグブラザー〉というよりも、
むしろ《マーケティング》や《市場主義
(または「社会運営上好まれてきた効率化」)である点
――または〈監視社会化の一側面〉と
市場主義深化〉とが二人三脚のように
分かち難く進展・展開している点
――。

自分に対する監視や管理を行なうのは
自分自身」であり、
自己管理運営の自動化》という点では、
パノプティズム〉の流れを汲むものの
一方で同時に
前々回記事(7-3a)で
指摘したように、
コンピューター・テクノロジーの発達」により、〈個々人の情報〉を
データベースに蓄積することができるようになった》事で
監視の眼差し自己のうちに内面化する〉《必要がなくなっている》点。

個人的情報データベースに書き込む主体は、
コンピュータ・テクノロジーの発達》のなか、
監視者や観察者ではなく
当事者本人〉が、
申請」や
Amazonでの買い物など「インターネット注文
通じて
自分自身で行なう場合多分にある点。

クレジットカードTポイントSuica
Edyなど電子マネー使用、各種ポイント
…など
公共機関での「ICカード利用」、
車での「ETC装着」使用、
生活での「電子マネー利用」や
クレジットカード利用」、
コンピュータ・ロジスティックス利用」といったように、日常生活において"便利"な
電子サービス/電子マネーの利用》が
"そっくりそのまま
個人情報モニタリング/プロファイリング
"直結している"》点

〇《〈他者〉による「プロファイリング」》や
《〈自身〉による「DIY/自己管理」》の際の
オーディット文化》という「社会運営に役立つ道具」――春日直樹『〈遅れ〉の思考』――が、
社会運営や組織運営の道具という面では
"役に立つ道具"なのかもしれないが、
しかし、
会計監査/オーディットという書式/枠組み》が、
市場主義経済深化》と"相互補完的
絡み合って止めどなく肥大する昨今”では、
その枠組み》は
自身〉をも〈他者〉をも「雁字がらめにし、
生きづらくしている最中
――「効率化」と「市場主義深化」が、
オーディット文化》の"推進力"ではないか?――
という点。

・・・・といったように、
市場経済深化》や《高度消費社会化》と
個々人の情報が《モニタリング》されたり、
マーケティングされる事〉とが、
使用者〉の「快楽誘惑」や「利便性を通じて
"表裏一体の関係成してしまっている"事に
意識して、以下の引用文を眺めて行ってください
――いま、ここに説明しきれない分は、
後述で補います――。

その事から、これまでの、
この一連の《パノプティズム》記事
と、
今回記事での以上の高樹による叙述から、
2種類〉や〈3種類以上〉の《自動化》に
「分類整理」することができると思います。

2種類(以上)のうちの〈ひとつ〉は、
《〈パノプティズムの要領〉による自動化》です。
意図的な設計仕様を施す事もって、
被-監視者〉が
監視の眼差し内面化(≒没個人化)》する事で
勝手に自分で自分を監視し管理する主体化」する、というカラクリの統治技法です。
しかし、何度も言い、
しつこいかもしれませんが、
今日コンピュータ社会ビッグデータ社会
成立&到来により、
委縮効果もふくむ、
この《パノプティズム技法による自動化》は、
〈21世紀監視社会のおける監視技法の手段の一つ〉
と言えるのではないか?と申し上げました。

〇また《自動化》に関する2種類(以上)の内の
また一つ〉は、
斎藤貴男『小泉改革と監視社会』
マーク・ポスター『情報様式論』に見られるように、
社会全体自体が市場社会化する事》によって
自分〉が
マーケティング社会システム》や
高度情報社会システム》に
組み込まれる」か
みずから自発的に参加する」か
その社会のうちで構成員として暮らす」に当たり
自覚していようと無かろうと」、
ネット注文などを利用すれ」ば、
個人情報〉が《即必然的にデータベースのシステムに組み込まれる》という格好の《自動化》です。
この自動化》では、
没個人化によって権力コストを省力すること
目ざされておらずその必要ないので、
実際に個人情報〉は、
情報商品などとして蓄積されるなど、
ビッグデータの大海一滴をなす》ことと
なっているはずです。

〇《自動化》に関する〈もう一つ〉として、
春日直樹『〈遅れ〉の思考』で指摘されている
オーディット(=会計監査型の自動化》を
分類して考えることができるかと思います。
オーディット/会計監査の文化による自己規律化」の《自動化》は、
たしかに"市場化の進展産物"で
市場主義システム〉と"親和性が高い"が
市場経済行為そのものではない》と
言えるはずです。
というのも、オーディット文化として、
診断書アセスメント論文申立書
含まれている
、ということから、
そう言える》と思います。
しかし、
この《オーディット文化》という
近代社会を運営するのに役立つ道具」が、
社会を運営するための「尺度」として
社会を席巻し、社会を覆いつくし
社会で生きるため/社会を渡るため
支配的な唯一の尺度となると、
オーディット文化》を
社会を運営する際の唯一の基準尺度」や
社会を運営するカラクリ」とする、
(カール・ポランニーよろしく、)
自己調整的な社会ステム広義的な意味で)》
と言い当てたくなるからです。
――カール・ポランニーは『大転換』の中で、
近代における
自己調整的な市場経済出現によって、
社会大きな変化が起きた、と指摘しました。
大きな変化」というのは、
それまでは、
社会の要求に合わせて市場が機能していたのが、
市場の要求に合わせて
あるいは市場のを尺度にして
社会自己調整的に自動的に動くようになった
とする「大転換/大きな変化」が見られたからです。
そこでは、〈市場の法則市場的論理〉を尺度にして
自己調整的に社会が回る、という内容なので、
それを、本来の意味での、
そして〈狭義〉の「自己調整的システム」と位置づけ、
そして又、市場経済の産物で、
社会運営上の尺度や文化である
オーディット文化/会計監査文化〉を尺度にして
自己調整的に」または「自動的に社会が回るので、
広義〉的に拡大解釈し、そう位置づけました――。


その事から、
オーディット文化型自己規律化/自動化
の「要領/カラクリ」は、
フーコーが指摘した《パノプティズム》ではなく、
どちらかというとマルクスが言葉にした《物象化》、
あるいは、むしろ、
その資本主義社会における人間関係
物象化関係化したメカニズム》のワケ詳細にしたかのような、カール・ポランニーによる概念の
自己調整市場社会のカラクリ/要領のほうが、
オーディット文化社会深化する中での、
私たち自身自己規律化」を捉えるのに、
役に立ち、近いように思えます
――しかし、オーディット文化は、
市場経済と親和性があり、
市場経済の産物ではあるが、

市場経済行為そのものではないので、
市場経済を尺度にする自己調整市場社会システム〉と
オーディット文化尺度による自己調整機能システム〉とが、二人三脚のように分かち難く発展・進展しているのではないでしょうか?――。



また引用文中に、
フランス哲学者のミシェル・フーコーによる
生‐権力bio-povoir:生をあつかう権力)》という用語が出てきますが、これの用語を、はじめて目にする人に対して、説明が必要だと思います。


近代以前の封建主義の君主権力〉の下では、
為政者は、権力を行使するとすれば、
殺したり拷問をするなど暴力を行使する位しか
選択肢が無かった
」のですが、
近代の市民革命以降〉では、
王政〉から〈民主制〉へとの政治の形が変わり
そして〈封建主義の君主制社会〉から、
近代の資本主義&民主政治の社会〉に変わり
また農業生産や医療衛生の技術が向上したこともあり、
住民を生かす(寿命を伸ばす)社会的能力」や
暴力をふるうだけでなく
生かすことができる、という選択肢」が
"新しく加わった”ことで
民主主義の資本主義社会を、いかに運営していくか、という主眼テーマのなかで、
その社会の構成員である住民を、
どのように統治したり扱うか、という方向に、
権力行使の方向性が"大きく変わった”のでした。

その事から、〈封建主義の王政〉での
権力の目的や本領」は
君主の権威や威光や秩序を、いかに維持・拡大して、
社会を運営するか
〉だったのが、
近代の市民革命境界にして、
民主制の資本主義社会〉を維持運営するために、
権力を機能させる
、というように、
権力の目的も論理も、"まったく別物に変容した"のでした。
近代社会を運営維持させることを、
権力は目的や本領とするので、
近代社会以降〉での「権力の形態」は、
封建主義の君主制の時代〉のように、
為政者/君主の権威を維持・拡大することを目ざすの"ではなく”、近代社会を持続的に運営するために

人民/住民一人ひとり〉を、「個々人レベル」で
社会の「構成員として相応しい者正常者
仕上がってもらう
」こと

社会の「構成員」としての〈人民/住民〉を
統計的に把握するなど「マクロ規模
人口として統治管理すること

…を本領や目的として、権力は機能するのでした。


そのように
近代社会を運営することを目的とした
権力の形態が、「生-権力」として表現できる、
として、フーコーは、そう名づけたのでした。

A)の〈個々人レベルでの「生-権力」〉では、
住民個々人に対してミクロ規模権力が働く
のですが、
社会にとって"正常な適格者"や"理想的な姿"に
個々人近づくべく、個々人が目指す
という格好での、権力の働き方をします。
そこでは、抑圧的に権力が働いても
個々人は、
正常な適格者目ざして頑張れる訳がないので、
実際には
生権力自身で背負う形
正常者を目指す過程は、
誘惑的な形で、権力日常の快楽の中に浸透
扇動的な形展開されるので、
欲望や快楽権力分かち難く溶け込み
紛れ込んでいる
、とフーコーは指摘した、と高樹は理解しています。

ミクロ次元での権力の機能」の模様を
戦前や戦中で例えれば、
理想的な一個の兵士像」を、
個々人に目指させる、という格好です。
そこでは、統治権力は、
兵士を作り上げるためのカリキュラム
設計する必要があり、
それに沿っての練兵訓練や、段階試験などが
施されることになります。
あるいは、産業社会における事例では、
テイラーシステム》も、
個々人の身体を管理/マネジメントする」という点で、
ある種❝生-権力❞的のように私には見えます。

生産プロセス
B)の〈人口レベルでの「生-権力」〉では、
住民を、
人口としてマクロ規模で統治管理」するので、
住民を「人口として、統計的に調査把握」し、
マクロ的に施策措置をとる、
という格好になります。
例えば、疫病などが流行ると、
社会混乱停滞するので、
その流行病の正体や感染の原因を突きとめ、
適切な処置や感染を防いだりする
など、
医療衛生的に施策措置をとることで、
疫病による社会停滞混乱おさえて
社会の運営滞りなくする
という格好になります。

エッ、それが権力?
と思われるかもしれませんが、
視点を、良くも悪くも
いま現在の社会を運営することを本領/目的に
権力が機能する
」という点に合わせると
いまの社会の(運営上の)論理」に
そぐわない者/好ましくない者〉に対しては、
その《生-権力》は”冷たい”と言えるか
と思います。

この《生-権力》は、
住民としての私たち個々人を、
個人/身体レベル/ミクロ規模〉と
人口/マクロ規模との両面で
社会に暮らす相応しい構成員として
統治管理する
》ことを目的/本領として
機能している
、と高樹は認識して、
ものを読んでいます。

以下に引用させてもらった文章で、
生-権力」という言葉が出てきますが、
そのようなものとして、眺めて下さい。


【7-3c(斎藤貴男『小泉改革と監視社会』)】につづく
AD
コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
※以下、引用文での下線・強調は引用者

 〈前ページ【7-3d(M・ポスター)】からの続き〉
◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇
つづきまして、
春日直樹『〈遅れ〉の思考』の一部を
以下に引用します。



"私たちが生きる21世紀初頭の世界状況を、
二重の運動としてとらえてみよう。
まず市場化である。
グローバル化ともネオリベラリズムの隆盛ともいわれるこの運動は、
商品化広範にかつ高度に推し進める流れであり、
フレデリック・ジェームズソンが「後期資本主義と呼んだもの
ますます顕在させていく
もう一つの運動は、自己規律化である。
フーコーの用語をもちいいると生権力の浸透であり、
心身ともに自己形成の努力がDIY
――「自分でどうぞ」(Do It Yourself)――を掲げて
実践されて磨かれる

自己を規律化するとともに
他者にも規律化を求めるテクノロジー発達
は、
政治から科学まで生活のほぼ全域広がって
万人を支配しつつある


 ポスト近代におけるこの二重の運動は、
近代」をめぐる伝統的な議論の流れそれぞれに継承する
解放の言説」と「規律化の言説」という対照的な二つであり、
・・・二つの運動がどこまで相互依存的であり、
どこからどの程度に相反しあうのかはさだかではない。
まずは、両方が協力して生み出し急成長をさせた文化に対して
注意を喚起したい。
オーディットと称される文化である。
(Power 1997;Stranthern 2000
/引用者註〔マイケル・パワー『監査社会』、2003年東洋経済新報社)


  〈あるときは視聴者として、あるときは陪審員として

 オーディットという語はもともとの「会計監査の意を拡張して、
専門的な品質管理、認定、保証、報告、評価など、
形式化された説明の様式を広範に指示するものとしてもちいられる。
責任を負うべき対象には、
消費者患者からクライアント、株主、隣人、住民までが含まれ、
説明の具体的な様式は、
評価書、報告書、認定書、診断書、成績表、申立書、論文など
きわめて多岐にわたる

オーディットの要請
個人各種集団、政府NGO医療・教育・研究の諸機関をも呑みこみ、ボランティア余暇としての活動も見逃すことはない

 オーディット文化は、市場化の進展による産物である。
質量ともに刻々と増殖する商品が地球大で流通し始めるとき
商品の品質リスクの保証売買行為の妥当性の検証
格段に求められてその作業は当事者や政府や専門家でさえも
単独で担いきることができなくなり

全員参与する文化のかたち
共同作業としてたえず編み上げられるようになった

どんな人もどんな機関も、
説明をする役割、受ける役割、評価する役割を、
さまざまな立場で
――あるときはテレビの視聴者として、
あるときは法廷の陪審員として――果たすよう期待されて
オーディット文化立ち上がるのだ。

 当然ながら、この文化自己規律化申し子である。
自己点検」「自己評価」の標語が正直に示すように、
オーディット自分で自分を監視し
客観的な基準によって自己を診断して
他者への開示するよう命じる
他者に向けた説明行為は、
自分が自分であるべく自己を律する行為であり、
他者への責任を果たしながら
その他者に向けてお前も自己であれと命じる

 運動が協力して生みだしたこの文化は、
市場メカニズム自己テクノロジーとを同時一体に点検して
向上させる装置となる

市場によってふさわしいプレーヤー確保し、
自己自己でより安全充実した生活を
他者とともに生きるように整備しながら
、市場へと立ち戻る。
二つ補い合って効率的かつ倫理的に、私たちの現実形成していく。
予想と期待と反省とやり直し日々どこかで繰り返す私たちは、
進化するにつれて
ますます影響直接・間接のかたちで受けている
(中略)
市場化極まる中で
」の評価カネへと換算する方法発達し、おそらくは
方法の発達対象自体へと影響を及ぼさずにはいないのだろう。
換算可能となり置き換えが現実味を帯びた「
自然に軽さを増して」の説明をし評価を受ける
軽い個人軽い個人に対して社会を語るのだから、
社会的なもの軽くなるのは当然で、
どんなに重大視されたテーマ
飛ばされるのを待っていたかのように

別の話題へと簡単に場所を譲る
(中略)
 オーディット文化は、
市場の構造支えながら市場の要請反する動きつくりだすこと
確かにある
説明責任の遂行国家の財産負担を増やしたり
企業の経営危機招くことは珍しくないし、
個人の諸活動妨げる様子は日々実感できる。
それでもこの動き
ラディカルな地殻変動をもたらすという可能性は、
現段階ではほとんど想定し難い
・・・・現代世界分析が鋭く批判が深いほどに、
出口の見出しがたいこと
を私たちに知らしめる。
(中略)

      〈課題をみつけ目標を達成せよ

 ・・・私たちに求める時間の観念から考えよう。
市場あらゆる分野イノヴェーションをたえず命じ
オーディット
これを迅速に監視しながら市場向けの優良プレイヤー
各領域育成供給する
二つの経済発展、民主化、教育の普及、人権尊重といった
近代化の総目録を成り立たせており、
未完のプロジェクトとしての近代継承する。
まさしく、先進行進、「進んでいる」と「遅れている
という単線的な基準での評価をもたらすのである。

 単線的な時間認識いかに形成されるのかを、
自己規律化の観点から論じることは難しくない。
自分が自分を律し、あるべき自己にどれだけ近づけたかは、
成績診断書に代表されるようにもとから数値化がしやすく
図表に落とされた点や線
二次元のイメージで四次元的な時間語ることを可能にする。
近年のオーディットの発達は、
自分の問題を自分でみつけて反省し、目標を設定して努力し、
評価し説明する
というテクノロジー各人要求する
いわゆる問題ー解決型の思考遍在化しつつあるわけで、
問題ー解決枠組み
二次元あるいは三次元にプロットされて、
問題から解決への道程面や線によってイメージさせる

 市場化時間認識関係はどうか。
市場メカニズム生活への浸透は、
各人ビジネスパーソンの体現者へとしきりに駆り立てる
彼らの預金や株券や債券へと変えさせるだけではなく
充実した人生を自分の手で設計し、
あるいは今を活き活きと生きるべくカネの算段をするように促し
つまりは消費や生産自己啓発などの諸活動
投資へと変貌させる
投資ー利潤的な思考求められるわけである。
・・・ビジネスパーソンの成り立ち
オーディット不可分である点を指摘したい。
なるほどビジネスパーソンとは、
自分で課題をみつけ目標を達成する能力を有する人材」である。
この連合は、
市場化によって増大したリスク参加者請け負わせるところ
生じている。
つまり、市場化みずからオーディット文化によって
精算しようとするので、
問題―解決型の思考ますます支配的にならざるをえないのだ。
(中略)

 市場化自己規律化運動は、
こうして問題―解決型思考強固にし
単線的な時間観念ますます浸透させるだろう”
(春日直樹『〈遅れ〉の思考』p.1-9)
◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー
 〈本記事【7-3f】にページ移動する〉

AD
コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
※以下、引用文での下線・強調は引用者


 〈前ページ【7-3c(斎藤貴男)】からの続き〉 ◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―

つづきまして、マーク・ポスター
情報様式論(The Mode of Information)
(岩波現代文庫)からの文章を
以下に引用します。


"『監獄の誕生』は、
監獄の歴史に関する二つの別の解釈戦略に対して反対をしている
つまり、監獄とは
それに先行する処罰の諸形態の改良であるという自由主義的見解と、
監獄は資本主義の生産様式によって形づくられたという
マルクス主義の見解
とである。
フーコーはどちらの立場も否定するが、
それぞれまったく違った形で行なわれる。
マルクス主義の立場彼の目には不完全な見方のように思える。
つまり、生産様式の分析は
歴史家が監視の歴史の特定の性質を理解するのに役立つだろうが、
それらの性質は
フーコーがもっとも強制力を持つと考えているものではない。
反対に自由主義的立場いかなる分析の目的にも役に立たない
それむしろ分析の対象というべきである。
なぜなら、
人間的扱いや犯罪者の公正に関する自由主義的原理こそが
近代の監獄システム土台だから
である。
(中略)
ベンサムにとって、パノプティコン
犯罪者の精神を
違反の不合理性から規範の合理性へと向かわせるための考案物だった。
それは恒常的、全体的に囚人に社会的権威を押しつけるものだった。
囚人の行為はいつでも、自分が知ることなく看守に監視されている
(中略)
パノプティコンの目から逃げ道も救いもないので、
囚人は規範の権威を、
その快楽と苦痛の合理的なシステムと共に受け入れるようになる
フーコーにとっての課題とは、このシステム
合理的人間主義的な意図としてではなく
支配の構造をもたらすものとして見ることであった。

 われわれの知るように、パノプティコンは、
自由主義やベンサムの理論の基準から評価されているが、
失敗作である。
フーコーの目的自由主義の枠組み外で
パノプティコンの働きを把握することであった。
もしそれが
囚人たちを更正させないなら何をするものだろうか?
監獄についての社会的テキストやパノプティコン的言説の効果とは
何だろうか?
彼が論じているのは、
市場の無政府状態や、
無限の欲求を追い求める自由なモナドたちの混沌や
何ものにも束縛されない主体の合理性を讃える自由主義的資本主義社会のコンテキストにおいては、
監獄
規範の「ミクロ政治学」としての権力のテクノロジー
課しているということである。
資本主義社会では、規則は
規範を生産し再生産する言説/実践の形をとる。
学校、療養所、工場、大小の兵舎、あるいは他の考えられる似たようなものは、
すべてパノプティコンを模倣している。”
(P.199-201)

"19世紀には
パノプティコン技術的制限をこうむっていた
それは
囲いこまれ、制御され、配慮された空間で監視されるものと、
同じようにそれを監視するもの
物質的存在必要としていた
中央の塔にいる看守は、
塔を取り巻いてそれに向けて窓が開いているすべての囚人の監房を
見ることができた。
窓の位置のために、
囚人は看守が彼〔囚人〕を見ているのかそうでないかを
判断できないようになっていた
主体を一方向的な全体的監視におく原理は不完全である。
パノプティコン的機械がその効果をもつためには、
個人は、
規範から逸脱した履歴を反映する几帳面に管理された書類一式が
備わった事例にならなくてはならない。
生まれつつあった犯罪学という科学は
監獄の管理に記録保持の促進と知識、そしてその評価とを提供したわけである。

 20世紀後半であっては
監視技術的条件かなり進んでいる

だが、フーコーはそれについて注意を払わなかった
国民全体はずいぶん前から番号をふられており
規範に関する訓練二番目の習性(a second nature)とまで
なってきている

19世紀の都市の荒々しく、汚く、無教育で、無法な群衆であった
危険な階級」は、部分的には、ファッションに敏感で、
知的で、
教育があってふるまいも立派な大衆になっている
フーコーは
20世紀末監視何かしらの新しいものであることには気づいていた。
(中略)
 現在の「コミュニケーションの回路」や
それが作りだすデータベース

一種の超パノプティコン》を構築している
それ》は
壁や窓や塔や看守いない監視のシステム
である。
監視のテクノロジー量的な変化
権力のミクロ政治学質的な変化
生み出した

だが、テクノロジーの変化
このプロセスの一部でしかなかった。
民衆は監視へと訓練され、
このプロセスを分有するようになった
社会保証カード運転免許証
クレジットカード図書館カードのようなものを

個人利用し、つねに用意し
使い続けなくてはならない

これらの取引記録され
データベースコード化され加えられる

諸個人自分で書類に記入する場合は多い。
彼ら情報の源泉であると同時
情報の記録者でもある
のだ。

ホーム・ネットワーキングはこの現象の最適化された頂点を成す。
消費者は、製品を
製造者のデータベースにつながれたモデムを通して
注文することによって

まさしく購買するという行為それ自体によって

自分自身のデータ
製造者のデータベースに直接入力することになる

(P.202-207)

"『監獄の誕生』において、フーコーは
パノプティコンにおいて完成される懲役の方法論
近代産業社会の誕生における重要な要因だと主張している。

  もし西洋による経済成長への離陸
 資本の蓄積を可能にする技術と共に始まったのだとすれば、
 おそらく人間の蓄積を管理する方法論が、
 かつての伝統的で、儀式的で、費用のかかる暴力的な権力形態
 からの政治的離陸伝統的な政治形態から、近代的政治の段階への
 急速な移行〕を可能にしたのだと言っていいだろう。
 そうした古い形態はすぐに使われなくなり、
 従属させるための巧妙で計算されたテクノロジーによって
 地位を奪われたのである。

 封建社会的権力から代議制的民主主義の権力への変化
拷問から規律訓練への移行だったのである。
(中略)
 パノプティコンの言説/実践新しい形態の生きた権力の条件であり、
産業の進行する発展のために大衆を制御する方法であった。
 同じように、データベースの言説である超パノプティコン
情報のポストモダン脱工業社会様式における大衆制御の方法である。
(中略)
民衆
超パノプティコン規範化する眼差し
従属する主体として
自らを自己構築するこ参加している
のである。
われわれはデータベースを、
プライバシーの侵害とか、中心化された個人への脅迫とかではなく
個人の多様性であり、
現実の自己そこで起こっていること知らないまま
現実の自己損失の上に働きかけられているような付加的な自己の構築として見てきた。
データベースの形成的な要素このような自己構築にある。
クレジット・カード取引無害な広まりは、
今日ではスーパーマーケットまで来たが、
将来はおそらく教室家庭にまで来るだろうし、
それは監視制御の言語ををいたるところにあるコンピュータ
詰め込みながらデータベースどんどんと膨らましていく
だろう。”
(P.212-214)


"ある意味でデータベースとは
メッセージの貯蔵書以外の何物でもない。
それは言語形式としては文字使用初期によく似ている。
つまり、毎日の生活の或る諸相に関するデータの集積である。”

"デヴィッド・バーナムは1983年の著作で次のように言明している。
「合衆国最大の5つのクレジット・リポート会社
そのコンピュータの中に
1億5000万人以上個人クレジット記録維持している。」
この同じ年に、たまたま私は車を買っている。
契約書にサインするより先に、
ディーラーはいつもそうしているように
私にTRWのクレジット・チェックをした。
いちどもそれまで会ったことのないセールスマンと
一度も来たことのない場所に座って、私の目の前で、
3秒のうちにすべてクレジット取引リスト
プリンターから吐き出されてきた

その中には私が長い間忘れていた教育ローン細々としたものも
含まれていた。
今日では技術的に些細な到達と思われているが、
クレジット・チェックは、
すべての場所、すべての時代におけるすべての情報
ということの不気味な意味を目に見える形で示しているのである。

クレジット会社の他にも、データベース
健康保険会社市警察州の自動車販売会社無数の連邦事務所
銀行公益企業などによって管理されており
このリストますます増えていっている

1976年に遡ってみると、
主要な機関における記録保持に関する研究の中で
ジェームズ・ルールは、
データ・ベース
すべて個人日常活動細かい部分まで再構成を可能にする

と結論している。
それがさらに広大なものとなるばかりでなく
データベース新しい能力つけ加えたのだ。
それらは今やテクストと同じようにカラー画像を含むようになり、
人物同一証明もやさしくなっている
記録永久に使える小さなROMチップに転送することができ
その形ではたとえば生命カード」のようなものを手首につけると、
非常の場合に個人の医療歴を示すことができるようになる
だろう。
さらに、データベースは容易に接続でき、
住民に関する蓄積された情報の巨大なネットワークを
構築することができる。

それは天国にあるという無限の帳簿と対抗できるようなものに
違いない。"
(P.161-163)


"大量の情報サービス家庭のコンピュータで受けられるようになる
新しいテクノロジーであるホーム・ネットワーキングは、
情報の商品化の問題を明らかにしていくれるのだろう。
ホームネットワーキングは
消費者製品についてのヴィデオ情報を提供し、
すべてコンピュータを通してそれらを注文できるようにする
こうしたサービスはフランスでは1980年代中頃から始まっており、
合衆国でも展開されつつある。
一方において、
そこでは巨大なデータベース家庭で居ながらにして
消費者に使えるようになるわけだが、
他方においては、
消費者製品を注文する度新しいデータベース生成され
したがって消費者に関する細かい情報会社に提供されるわけだ。
ケヴィン・ウィルソンは次のように観察している。

 取引システムの帰りのチャンネルは……企業
 消費者の要求消費に関する重要な情報転送してくることだろう。
 この情報は消費者の身分や、消費の時間や場所、……
 そして製品の特長などを含んでいるだろう。
 こうしたデータは……マーケティングの目的のための消費者活動
 関するはかりしれない程貴重なイメージを作りだすだろう。
 これらのシステム
 生産と消費との間にサイバネティックス的な循環を作りだすだろう。
 なぜなら、すべての消費活動は将来の生産の変化に役に立つ情報
 生成するからである。

 ホーム・ネットワーキングにおける情報の流通では、
ひとつのデータベース製品情報)が
もう一つのデータベース消費者情報生み出し
それはまた生産過程に役に立つ別のデータベース需要情報)を
生み出すのである。
この文脈の中では、
情報の商品化それ自体の拡大再生産のシステム作りだしている
生産者は消費者に関するデータベースをもっているが、
それ自体別の生産者に売ることのできる商品なのだ。
(P.170-172)


  〈次のページ【7-3e】につづく〉


AD
コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。