福祉国家路線の解体をもたらす仕組みの「地域主権改革/道州制」路線~二宮厚美 論考(3)~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

今回は、
地域主権/地方分権//道州制」により、
<(
広域自治体>が、
アメリカの西部劇の町のような
自己完結型完全自治体>になってしまう
と、
どういう帰結結末に運ばれてしまうのかについて、
学んでいきたいと思います。

さっそく引用を始めたいと思います。


―――――――――――――

「応益負担原則」の貫徹



地域主権戦略の描く地方自治は、
何より自己決定自己責任自己負担の団体自治であった。
現代日本の自治体に即していえば、
国から自由になった自己決定権をもち(条例制定権)、
国にできるだけ依存しないで責任を果たし
(国庫負担の一般財源化)、
自らの財政負担で行政の運営にとりくむ自主財源主義
自治体というのが、そのイメージとなる。
その究極の姿が、すでにふれたように、
西部劇の町自己完結型完全自治体であった。

 いまここで重要なことは、
このような完全自治体財政には
応益負担原則」(※)が貫徹する、ということである。
これは、現代では、二重の視点から根拠づけられる。

 第1は、
各自治体は地域社会の利益を担って存在するものだから、
その地域で決め、実施されることは、
当該の住民自身の自己負担によるのが当然だ
という古来の考え方による。

 第2は、
自由な市場社会では、応能負担原則の適用困難になる
という考えによるものである。
応能負担原則貫くことができないのは
ある地域累進課税強化すると
金持ち連中その地域から逃げてしまう
企業高い税金をかけると
企業他所に移転してしまうためである。
現代のように経済のグローバル化すすむ時代では
地域どころか一国単位でも
累進課税法人税強化はかることはできない
なぜなら、多国籍企業富裕層
高い税金を嫌って海外に逃れてしまうから
である。
だから、自治体財源
どうしても
そこ[=応益負担原則]から逃げ出すことができない税源
頼らざるをえない
現代の「地域主権戦略分権化論は、
おおよそこのような財政論に立脚しているのである。

 じつは、これを裏返すと、
福祉国家分権的解体路線があらわれる
なぜなら、現代の分権化論は、グローバル化もとでは
応能負担原則にもとづく垂直的所得再分配国家
不可能になる

という見方を出発点にしたものだからである。
富裕層に高い税金をかけ
その所得低所得貧困層にまわすタイプ
垂直的所得再分配型福祉国家
[グローバル経済の下では]およそ不可能になった
だから分権化するしかない、というのが
現代の分権化論共通の認識になっている、といってよい。




「新しい公共」のもとでの
ローカル・ガバナンス化



そこで、「地域主権戦略」も、
地域を単位した受益者負担自治体を将来に描き出す。
この「地域単位受益者負担主義」が出発点にすえられると、
自治体は「受益と負担の関係」の明確化にそった行財政運営
迫られることにならざるをえない
なぜなら、自治体
住民にたいして
公共サービス受益の見返りとして
負担を強いる団体なるからである。
いいかえると、自治体
受益と負担の関係」を外圧として
財政的効率を追求する団体
つまり1つの経営体変貌していく

 このいわば地域経営体としての自治体適用されるのが、
NPMNew Public Management新しい公共管理)に他ならない。
NPMとは、
民間企業の経営管理方式公共機関適用する手法である。
NPM第1の課題にするのは自治体経営効率化
つまり安上がり化である。
効率化は、
公共サービスアウトソーシング化外注化)と
公務労働安上がり化主眼にしてすすめられる
地域経営体NPMのもとで形成される「公共空間」は、
従来の地方公共団体のもとで築かれた公共空間とは、
まったくといってよいほどに様相が異なったものにならざるをえない。
 (引用者中略)
 こうして、
地域主権単位受益者負担主義から出発した自治体は、
新しい公共
協働空間[企業やNPO等の市民組織で多元的に担う格好]」を担う経営体変貌し、
地方政府(local government)は地域協働経営体へ、
すなわちローカル・ガバナンス(local governance)へと
変質することになる。
このローカル・ガバナンスが、
教育権生存権保障するための行政水準引き上げるもになるか、
これは期待するのがそもそも無理というべきである。
なぜなら、ローカル・ガバナンス第1の使命
効率化にあって

公共性の追求最優先にするものではないからである。




住民自治の空洞化




 NPMを使って
自治体ローカル・ガバナンス化はかろうとする際には、
1つの難問がある。
その難問とは、
そもそも自治体とは
憲法等で要請される公共目的を実現するための機関であって

民間企業のように営利性効率性を目的とするものではない
という点である。
個々の行政の公共目的設定
国民の立法権に属すること、
具体的には議会制民主主義を通じてすすめられることである。
地域主権戦略」が
自治体の立法権条例制定権を拡大するというのであれば、
なおのこと地方議会の役割重要になるはずである。

 こうして、ローカル・ガバナンス化の前には
議会制民主主義立ちふさがる
そこで、これ突破するために
地域主権戦略」は
議会制民主主義弱体化にとりかかる
議会かわって公共目的設定するのは誰か
いうまでもなく、
それ首長の掲げるマニュフェストほかならない
だからこそ、
分権化をとなえ、「地域主権を叫ぶ勢力こぞって
地方議員定数削減
首長・議会の二元制見直し主張
マニュフェスト政治の名首長独裁制めざすのである。

 これ実現すれば
自治体のローカル・ガバナンス化ほぼ完成
かわりに自治体の原点であった住民自治
文字通り空洞化することになるであろう。”

二宮厚美 「憲法体制を掘り崩す『地域主権』と『新しい公共』」
『月刊クレスコ』(2011年1月号 NO.118)所収 P.15-17


以上の二宮氏による指摘・論考の引用で
まず明確になるのは、
ちょうど「経済のグローバル化」に
いち国家>が巻き込まれることで、
その国家その国民>が、
大企業など>に
買い叩かれてしまってきている”ように、
道州制地域主権改革」では、
企業>や<富裕層>に、
地方自治体どうしが、
足元を見られ”たり、
天秤に架けられてしまうために、
福祉国家を営むためには欠かせない
富の公平な再分配応能負担原則の税制が、
どうしても出来なくなってしまうことであります。

そうして、
「地域主権改革/道州制導入」後の<自治体>では
「応能負担」原則の税体系が捨てられるので、
公共サービス社会保障に充てられる予算が、
どんどん狭められていく
あるいは少なくとも、税収財源小さくなるので、

それにともなって
公共サービス公務労働の”安上がり化
――民営化住民負担――
を、
余儀なくされるのを、学ぶことができます。
官製ワーキングプア」が、
さらに拍車がかかったり
また住民自身が、自発的参加で、
担わざるをえなくなるでしょう。

さらに、「税源問題のほかに、

他の自治体との「企業誘致競争」から、
自治体>は、
企業>が他所に逃げて行ってしまうような
保護規制」などを設定することが、
難しくなるでしょう。
それは、「経済のグローバル化以降の、
規制緩和」や「構造改革」の経験で、
すでに私たちは、痛い目に遭っているからです。



※ 引用文中の強調は引用者。


参考記事

○ 「地方自治体再建型破綻法制」について


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(※)応益負担と応能負担」について
http://www1.seaple.ne.jp/harimoto/page061.html より

 保険料負担の考え方には
応益負担」と「応能負担」という二つの考え方があります。
応益負担」とは
保険給付を受ける可能性が高い人ほど
多くの保険料を負担する
という原則です。
民間の保険この考え方に立っています。
これに対して、
所得の高い人ほど多くの保険料を負担するという考え方が
応能負担」です。
結果として、
所得の高い人から低い人に所得が移転する
再分配される
ということが起こります。
現在の社会保険では「応能負担」の原則が採用されています。
健康保険が一番わかりやすいですね。
保険料は所得によって違いますが、
治療の内容保険料によって変わることはありませんよね。
応能負担の原則の根底には、
相互扶助社会連帯という高邁なヒューマニズムに基づいた
社会保障の基本的な考え方
あります。
応能のギャップが過大であっては問題でしょうが、
単なる「損するから」という個人の損得論議になってはいけない(精神の貧困)と思っています。