「構造改革」の正体 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

この前まで、
日本の政策を決定する要素の一つである
「アメリカ政府・議会」も、
じつは”私物化・買収”されてしまっている事を、
見てきました。
今回から、「アメリカ政府」以外で、
日本の政策を決定している要素の、
他のものについて、見ていく事になります。
(参考記事)買収・私物化される日本政府 ―その1―

ただし、その事について、話を始めるに当たって、
確認しておかなければならない点があります。

私物化される日本の政治(政府・議会)」についての、
以降のブログ記事を展開するための下拵(したごしら)えの為に、
今回は、つぎのことを確認したいと思います。


今回のテーマは、「構造改革」についてです。

というのは、
「構造改革」について取り上げることで、
私たちが抱きがちな”誤解”を解き、
その誤解を晴らすと、
現状における物事の見え方も、
変わってくるのではないか、
と思われるからです。

 

そこでですが、ひとつお尋(たず)ねします。

 

構造改革とは、
どのようなものだったのでしょうか
?」


構造改革とは
何をするための改革/政策であった

と思われますか
?」

 

「構造改革」とは、
官僚利権構造を改革することを
目的とした政策であった、
といったような回答は、
じつは、的確な回答では無いようです。

(たしかに、
予算編成の基本骨格を決める権限が、
財務省(旧‐大蔵省)から、
内閣府の諮問機関に、移されてはいます。)

構造改革」といえば、
「小泉純一郎」政権を連想しがちですが、
構造改革が始まったのは
小泉政権ではなく、
橋本龍太郎政権から
です。
しかも、「構造改革」という発想や方向性は、
小泉(元首相)独自のものではなく、
中曽根政権時の1986年4月の、
(元日銀総裁の前川春雄を座長とする諮問研究会)による「前川レポート」という報告書などで、すでに出てきている、とすれば、
構造改革=小泉政権」という図式を
私たちは
見直さなければならなくなる
のではないでしょうか。
――ちなみに中曽根康弘元首相は、
原子力マフィア第2号CIA要員)として、
日本に原発を植えつける重要人の一人であった
ばかりでなく、
中曽根政権中に、
日本を市場原理主義経済化に近づけるべく

部分的にせよ
民営化」(電電公社→NTT、国鉄→JR)や
「郵政民営化」を進めた人物でした――。

さきに答えを申し上げますと、
構造改革」とは
サプライサイド供給側企業)が
儲かるような経済構造にする
改革政策というのが、
的確で(あるのではないか、
と私は認識しておりま)す。

1990年代後半の政治で、
「構造改革」が取り上げられた背景には、1990年代初頭の日本のバブル経済の崩壊が
あります。

企業が、もっと儲かるように、
日本の経済環境や経済構造を改造すれば

日本経済は、景気が改善して成長し

また陽の目を見ることができる

という理屈
でした。


そうした理屈から、
企業が、もっと儲かるようにするためには、


○”規制緩和>や<規制の自由化>などが
必要だ

:というのも、企業が、
できるだけ自由に行動(経済活動を展開)できるようにする事で、
儲かりやすくなるからだ。
そのためには、
企業経営にとって厄介な
「労働に関する規制(雇用や労働者保護、労働交渉)」、
「社会保障制度」といった規制の緩和を、
政府が実現してほしい。
(安く雇い、いつでもポイ捨てできる労働市場。
雇っても、社会保障など福利厚生や責任が
のしかかるのならば、経営にジャマだ。
また好きに解雇して、争議を起こされたら厄介だ)


○”企業への税制上の優遇措置>を
:税負担が軽くなれば、
それだけ企業は、資金的な余裕ができて、
企業活動がしやすくなる。
(そして、企業が負わなくなった分の税負担は、中小零細や自営業者、庶民に、
こっそり負わせればいい。)


○”公共事業公共サービスの民営化>を
:政府が行なっている事業でも、
儲かっている事業ならば、「民営化」することで、
そのおいしい事業を、
民間=企業に譲渡して欲しい。
それまで政府の分野だった事業が、
「民営化」により、民間=企業にとっての
「新しい市場(マーケット)」が、もたらされる。
(では、「民営化」や「市場開放」により、
そのビジネスを獲得できるのは、
どういう存在かな・・・・
チカラがあったり、銀行から潤沢な資金を得れたり、
資金力のある企業じゃないのかな)


中小企業地場産業を保護するためにある規制を撤廃してほしい
:中小零細企業や地場産業の商売が
成り立つように保護する規制を、
掃(はら)ってくれれば、
大企業などチカラのある企業は、
そうしたマーケットに参入することができて、
新しい市場(マーケット)が開かれることになる。

 

これが、「構造改革」の正体(ではないか)、
と私は提示します。
(そして、このブログ記事を、
御自身なりに篩(ふるい)に掛けて、
(うなず)く事のできる点、頷けない点とを、
調べて確かめることで、あなた様の物の見方は、
もっと素敵なものになっていきます。)


こうした事から、「公務員改革」というのも、
私からすると、「民営化」の一環として、
解釈したくなります。

<公務員人件費削減>や<公務員改革>が、
官僚ではなく、
地方や政府など公共サービスの現場で働く、
下級職員への負担のシワ寄せでしか無ければ、
けっきょく私たちは
騙されているだけなのではないでしょうか

予算の赤字削減のために
これまで犠牲になってきたのは

現場で働く下級職員ばかりで

天下り外郭団体の官僚OBでは

ありませんでした

公共サービスなど公共セクターを、
予算削減人件費削減の一環
として「民営化」して、
市場の原理よろしく、激しい入札競争の結果
そのサービスに従事する労働者は、
業務に従事しているが生活できなくなる」のであります。
さらに、採算の都合上サービスの質が劣化
そして安全性が反故(ほご)にされるのでありました。
 
ちなみに、
山家悠紀夫『「痛み」は もうたくさんだ!』
かもがわ出版、2007年刊行)
には、
非常に興味ぶかい
主要先進国5カ国の比較データが、
紹介されています。(p.136-137)


<人口1000人当たりの公務員数>

日本    35
(地方政府職員24.4人+中央政府・政府企業職員10.7人)

イギリス:73.0人
(地方政府職員34.9人+中央政府・政府企業職員38.1人)

フランス:96.3人
(地方政府職員40.4人+中央政府・政府企業職員55.9人)

ドイツ :58.4人(地方政府職員45.1人+中央政府・政府企業職員13.3人)
アメリカ :80.6人
(地方政府職員65.7人+中央政府・政府企業職員14.9人)

 

<政府支出の対GDP比>
(内閣府「経済財政白書」2005年版)

<GDPに占める政府支出合計の割合>
日本    :38
イギリス:41.8%
フランス:53.4%
ドイツ :48.7% 

<一般サービス・治安関係>
日本  :   5
イギリス:   9.2%
フランス:10.7%

ドイツ :   9.1%


<保険・社会保障関係>
日本  :20
イギリス:23.2%
フランス:29.0%
ドイツ :29.0%


<経済・公共関係>
日本  :
イギリス:3.6%
フランス:7.0%
ドイツ :5.8%


<文化・教育関係>
日本  :
イギリス:5.8%
フランス:7.0%
ドイツ :5.8%


 

最後に、
小泉内閣が発足する前年度の2000年度のGDP(国内総生産)は504兆円で、
小泉内閣が誕生して5年目の2005年度のGDPは、503兆円でした。
1兆円のマイナスです。

また(金融機関をのぞく)
日本の企業すべての経常利益の合計が、
2000年度には36兆円だったのが、
2005年度だと52兆円で、
16兆円も利益が増えています


また企業
じぶんの中に蓄えた儲け内部留保)は
2000年度は2.8兆円だったのが、
2005年度は9.1兆円と、
3倍になっています。
その関係で、
企業の役員が受け取った賞与の合計が、
2000年度は8000億円だったのに、
2005年度は、1兆5000億円と、
2倍弱も増えています

しかし一方で、サラリーマンの給与
2000年度は271兆円だったのが、
2005年度は260兆円と、
11兆円も減っています


国内総生産(GDP)が、1兆円さがっている、
あるいは、ほとんど変わっていない中で、
2000年度と2005年度とでは、
企業や企業役員が
手にするおカネが激増している
のに対して

サラリーマンの収入は減っています


このことは、何を意味するのでしょうか


そして「構造改革」とは
いったい何を物語っているのでしょうか


2000年度と2005年度とでは、
国内総生産(GDP)が、
ほぼ変わっていない
(ほんとうは1兆円も違うけど)中で、

企業は儲かるような構造になり
そうして企業が儲かるようするための

シワ寄せ無理負担
ぜんぶ国民のほうに回す

という構造なのでありました。

国民に対して、そうしたシワ寄せ負担
知らず知らずのうちに負わせる
のに、
必要な手段の一つが、
私たち日本「国民の無知化」や「国民の愚民化」、
あるいは、マスコミ扇動による「洗脳化」であり、
その事からマスコミは、
そのために機能してきたのではないか、
と言いたくなります。


(つづく)
(関連記事)

1994年から米国が狙ってきた日本の「混合診療」~その2~


(参考文献)

山家悠紀夫『「痛み」はもうたくさんだ!』(かもがわ出版)