<http://ameblo.jp/hirumemuti/entry-11184987085.html>
※3)「これは、税制のフラット化(※3)が、
個人の所得に及ぼしたのと同じ影響を、
自治体間でもたらします」について。
:1980年代はじめの日本では、
高額所得の階層を占める上位20パーセントの人間の総所得と、
低所得の階層に位置する下位20パーセントの人間の総所得とを比較したとき、
その格差は、約10倍でしかありませんでした。
こうした貧富の差の狭さから、
”総中流階級社会”といわれ、
世界的にみても、貧富の差が少なかった日本を、
依然として表していました。
そうした1980年代初頭に対し、
1990年前後には、
その所得の差が20倍に拡大し、
2000年代になると、
なんと”約170倍”にまで、
開いてしまったのでした。
この貧富の差、いや「格差」の原因は、
なんで起こってしまったのでしょうか?
その要因の一つに、
「不公平税制(税制のフラット化)」
を挙げることができます。
富める者や高収益企業に対する徴税は甘く、
いやそれどころか、”優遇”さえしている事からくる、
その不足分の税収は、
消費税など間接税を通じて、
庶民や中小企業などから巻き上げる、
ようになったのでした。
ふつうの感覚からすれば、
「消費税が導入」されたり、
「消費税の税率が引き上げられ」れば、
その理由を推測し、”ああ、財源が足りてないんだな”
と考えてしまいます。
そう考えないでもしないと、
消費増導入や消費税増税の理由を、
納得することが出来ないからです。
ところが、消費税が導入されたり、
消費税が増税された一方では、
法人税が下げられていたり、
また株式投資で儲かった収入に課せられるキャピタルゲイン課税が10%台~、
という、庶民にとっては理解に苦しむ、
税制の動きを見せるのでありました。
1989年4月に、3パーセントの税率で、
消費税がスタートし、
1997年に、消費税率が5パーセントに、
引き上げられています。
その一方で法人税率は、
1985年の時点では、
43.3パーセントだった法人税率が、
現在では30.0パーセントにまで、
引き下げられています。
こうした双方の逆行した動きを、
私たちは、どのように解釈・理解すべきでしょうか?
「財源が足りないから、消費税を引き上げる」という解釈では、
法人税の引き下げの動きを、
理解することはできません。
この逆行した二つの税率の動き・税待遇の動きは、
つぎのように解釈すると、
個人的には、スッキリします。
つまり、”消費税を導入し、
そして消費税率を引き上げることで、
高所得者や高収益企業を優遇する税制が可能になった”
という解釈で。
「富める者には優しく、
貧しきものには厳しく容赦ない税制」
と表現することができます。
「税制のフラット化」というのは、どういう事か、
と申しますと、
”フラット(flat)”とは「平らな状態」や「平坦」をいいます。
”税制を、「平らなもの」あるい「平べったな状態」にする”という事は、
どういうことを意味するか。
「税制のフラット化」の対極にある税制が、
「累進課税制度」であります。
「累進課税制度」は、
高所得者に対しては、
最高税率の70パーセント以上もの税率を課し、
その一方で、
生活ギリギリの貧しき低所得者に対しては、
最低税率の10パーセントの税率しか課さない、
とするもので、所得の高低に応じて、
課される税率が変わってくるものでした。
この「累進課税制度」は、なにを目指したのか、といいますと、
富める者から取り、
その税収でもって、
貧しきものなどに対して、
社会保障などで国から再分配をすることで、
できるだけ貧富や格差の広がりが少なく、
その事から、
社会の中流層化をもたらす、公正をめざす税制なのでありました。
貧富の差を狭めるための「累進課税制度」という税制は、
”高所得者には厳しく(高い税率で)、
貧しき者には優しい(低い税率)であるため、
累進課税制度の税率模様を、
高所得者から低所得者まで、
断面的にズラっと見渡すと、
ちょうど、「フラット/平坦」とは対極で、
スキージャンプ台のような”急勾配(きゅうこうばい)”のような形になっています。
というのは、所得の高いところに対する税率は、
最高が75パーセントで、
所得の低いところは、その最低が10パーセントだからです。
そういった「累進課税制度」に対して他方、
市場原理主義経済が好む「税制のフラット化」とは、
その「急勾配」な税率制度の”勾配”を
”緩やか=平ら(フラット)”にしよう、
というものなのです。
低所得者への税率は10%のままですが、
税率の段階は、
15段階の「累進課税制度」よりも、
所得に対する課税対応が単純化されて、
4段階にまで単純化(10%、20%、30%、37%)され、「フラット化」されています。
「累進課税制度」のときの75%の最高税率に比べると、
「フラット税制」における最高税率は、
大幅ダウンとなっております。
ところが、「フラット税制」の下でも、
最低税率が10パーセントと、
税率は変わっていないといっても、
高所得者や法人税に対する課税が、
引き下げられた事からくる不足分は、
消費税など間接税や、
中小零細企業や自営業の経営者の控除の引き上げなど冷遇、という形で、
中小零細企業や個人事業者、
そして貧しき者から、
容赦なく取り立てることができるか
あるいは控除されないようになっています。
そうしたことを考慮や視野に入れますと、
所得が300万円以下への所得税率が、
10%であっても、
日本においては、生活必需品でも、
消費税が掛かっている故に、
所得税など直接税と、消費税など間接税とを合わせて、
庶民に掛かってくる税負担を考えると、
庶民に掛かってくる税など各種負担は、10%以上であることを、
理解することができます。
もちろん消費税は、高所得者にも、
購入の際に掛かってくるのですが、
所得税など直接税の税率が、
「累進課税制度」のときに比べれば、
はるかに税負担が軽く、
優遇された状態になっています。
その事から、「フラット税制」の、
「10%、20%、30%、37%」という四段階税制は、
消費税など間接税(や、社会保障や控除の引き上げ・削減)のことを考慮に入れると、
さらに”フラット化(平らに=勾配が緩やかに)”なっている事を、イメージする事ができます。
「国民の生活が第一」を掲げた小沢一郎氏が、法廷に引きずり込まれる一方で、
もう一方の「国民の生活の破壊が第一」の、
いや、もとい、「アメリカや経団連、国賊官僚の意向が第一」の、菅政権および野田政権は、国民無視という意味での政権運営に勤しんでいるのではないでしょうか?
あれっ、自民党なども、不公平税制や消費税増税の路線でしたよね。
菅政権や野田政権だけの所業のように書いて、失礼いたしました。
こうして、富める者は、より富めるような「格差化」が、「フラット税制」からも、推し量ることが出来るのではないでしょうか。
2000年代になると、日本における所得の格差が、約170倍にまで広がってしまったのには、
「フラット税制」という名の「不公平税制」も、作用しているのではないか、と思ってしまう、今日この頃なのでありました。
追伸、わたしは、個人的に、小沢氏を、どのように捉えていいのか、わかりかねています。
がしかし、いずれにしても、小沢一郎氏は、もし最高裁まで戦わされるとなれば、その裁判に、小沢氏が引きずられるだけでも、すくなくとも小沢氏に、政権を取ってもらっては困る連中にとっての小沢攻撃は、十分に成功しているのではないでしょうか?
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小沢元代表に禁錮3年求刑=「反省なく、規範意識がまひ」―陸山会事件で検察官役
時事通信 3月9日(金)14時53分配信
<http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120309-00000112-jij-soci>
19日に弁護側の最終弁論が行われ、結審する。判決は4月下旬に言い渡される見通し。
論告で指定弁護士側は、「秘書が独断で収支報告書に虚偽記載をする動機はない」と指摘し、巨額の資金を持っていることの表面化を避けることが、小沢被告の動機だったことは明らかだとした。
元秘書から虚偽記載の報告を受けたことを否定した小沢被告の公判供述については、報告を認めた池田光智元私設秘書(34)の供述調書を根拠に、信用できないとした。
銀行融資の書類に署名した際、石川知裕衆院議員(38)から土地代金の支払いが完了したとの報告はなかったとした供述も、「巨額の資金を出したのに、支 払いが終わったとの報告がないはずがなく、明らかに不合理だ」と指摘。こうした小沢被告の供述を「責任回避のための虚言だ」と主張した。
その上で、「政治資金規正法の趣旨を知りながら、秘書の監督責任を何も果たしていないと公言しており、同法の軽視だ」と批判。元秘書が虚偽記載で有罪判 決を受けたのに、その後も収支報告書を見たことはないと供述したことにも言及し、「報告書の修正の要否を検討する意思がないことを示しており、規範意識が 著しくまひしている」とした。
にほんブ