国民不在の官僚の仕事観 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

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前々回http://ameblo.jp/hirumemuti/entry-11141794781.html
に見たような 
そうした自己中心的な官僚の思考回路は、2011年のベストセラー本の一冊である、古賀茂明氏による『日本中枢の崩壊』でも、国民に紹介されていますが、大蔵省の研究所への勤務経験のある植草一秀氏による『日本の再生』の中からも、そういう国民不在の官僚の仕事観を、知ることができます。

「私(植草一秀氏)は、その後、大蔵省の研究所に二年間勤務することになったが、二年間の勤務を通じて大蔵省のものの考え方、大蔵省の発想と行動様式を完全に把握することになった。
 ・・・・大蔵省、いまの財務省は、国家や国民の利益を第一に考えて行動していない。これは、霞が関省庁のすべてに共通する最重要の特徴である。
 いわゆるキャリア職員と呼ばれる第一種国家公務員試験に合格し、大蔵省では使用された幹部候補職員のなかで、彼らの心情を率直に表現するものは、大蔵省、財務省のことを『わが社と表現する。自分が勤める組織だから『わが社』と呼んでいるわけではない。大蔵省財務省も民間企業と同様に、自らの組織の利益最大化利潤を追求する存在である事を明確にするためにわが社との表現を用いるのである。 心情を率直に吐露するキャリア職員は、さまざまな政策課題について論じる際にも、しばしば『その政策は わが社にとって利益になるかならないのか』との問題提起を行った。
彼らにとって何よりも重要なことは自らが所属する省や庁の利害得失なのであるこの利害得失を検討する際に国の浮沈国民生活への影響などが考慮の断片にも含まれることはない
 このような発想、行動様式が一般に広く蔓延する最大の理由は、各省庁の人事考課基準にある各省庁の人事考課基準各個人がいかに省庁の利益権益拡大に貢献したかにおかれているのである。キャリア官僚は一般的に、きわめて上昇志向、権力こ志向、席次志向が強い。小さなころから、ペーパーテストの点数、偏差値序列のなかで、常にいちばんを目指して行動してきた人種である。
 彼らは各省庁に入ってからも、役所に入ってからも、役所のなかの人事序列で、なんとしても一番になりたいのだ。したがって、人事考課基準が彼らの行動を制御する最大のツールになるこの人事考課基準が、役所に対する利益貢献度であるとするなら、すべての幹部候補生職員は各省庁の利益権益拡大に向かって突進することになる国の浮沈も、国民生活への影響も人事考課基準から外れているなら、当然、眼中から排除される課題になるのだ。」
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「縦割り行政」という歪(いびつ)な構造の発生や成立も、こうした事情だからこそ、生まれるのでしょうか?