前回http://ameblo.jp/hirumemuti/entry-11144267262.htmlや
前々回http://ameblo.jp/hirumemuti/entry-11141794781.html
に見たような
そうした自己中心的な官僚の思考回路は、2011年のベストセラー本の一冊である、古賀茂明氏による『日本中枢の崩壊』でも、国民に紹介されていますが、大蔵省の研究所への勤務経験のある植草一秀氏による『日本の再生』の中からも、そういう国民不在の官僚の仕事観を、知ることができます。
「私(植草一秀氏)は、その後、大蔵省の研究所に二年間勤務することになったが、二年間の勤務を通じて大蔵省のものの考え方、大蔵省の発想と行動様式を完全に把握することになった。
・・・・大蔵省、いまの財務省は、国家や国民の利益を第一に考えて行動していない。これは、霞が関省庁のすべてに共通する最重要の特徴である。
いわゆるキャリア職員と呼ばれる第一種国家公務員試験に合格し、大蔵省では使用された幹部候補職員のなかで、彼らの心情を率直に表現するものは、大蔵省、財務省のことを『わが社』と表現する。自分が勤める組織だから『わが社』と呼んでいるわけではない。大蔵省、財務省も民間企業と同様に、自らの組織の利益最大化、利潤を追求する存在である事を明確にするために『わが社』との表現を用いるのである。 心情を率直に吐露するキャリア職員は、さまざまな政策課題について論じる際にも、しばしば『その政策は わが社にとって利益になるか、ならないのか』との問題提起を行った。
彼らにとって、何よりも重要なことは、自らが所属する省や庁の利害得失なのである。この利害得失を検討する際に、国の浮沈、国民生活への影響などが考慮の断片にも含まれることはない。
このような発想、行動様式が一般に広く蔓延する最大の理由は、各省庁の人事考課基準にある。各省庁の人事考課基準が、各個人が、いかに省庁の利益、権益拡大に貢献したかにおかれているのである。キャリア官僚は一般的に、きわめて上昇志向、権力こ志向、席次志向が強い。小さなころから、ペーパーテストの点数、偏差値序列のなかで、常にいちばんを目指して行動してきた人種である。
彼らは各省庁に入ってからも、役所に入ってからも、役所のなかの人事序列で、なんとしても一番になりたいのだ。したがって、人事考課基準が彼らの行動を制御する最大のツールになる。この人事考課基準が、役所に対する利益貢献度であるとするなら、すべての幹部候補生職員は、各省庁の利益、権益拡大に向かって突進することになる。国の浮沈も、国民生活への影響も、人事考課基準から外れているなら、当然、眼中から排除される課題になるのだ。」
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「縦割り行政」という歪(いびつ)な構造の発生や成立も、こうした事情だからこそ、生まれるのでしょうか?