何故か今年の元旦は、個人的には、「新年が明けた」という清々しさを、まったく感じません。
むかしの「数え年」の慣習にならって、年が明ければ、去年のことは洗い流して、心機一転するもので、個人的に大好きな「神社への初詣」に、心はずませながら参りに行くものなのですが、今年は乗り気にはなれません。
暦上は、2012年に移ったのがけれども、個人的には2011年の延長線上にある印象を抱いているのであります。
むしろ、2011年の悔しさや無念さを忘れたくない、というのが、正直な想いなのであります。
正月元旦なので、できるだけ暗い話は避けますが、どうしても忘れたくはないのです。
「原発事故」が発生したにもかかわらず、野田政権は、「原発再稼働」と「原発輸出」を続けようとしている、
亡国をもたらす「TPP」を強硬に進めようとしている、
消費税増税で、自殺者や失業者、非正規雇用者が激増するにもかかわらず、消費税増税を進めようとしている、しかも大手輸出企業にとって、大きなメリットのある「消費税の増税」を、であります。
私の感覚では、月がひとつ変わったぐらいの感覚で、年が変わった感覚にはなれません。
野田政権は<東電ー東芝救済内閣>(――本澤二郎の「日本の風景」(945)http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51956664.html ――)である、と言いたくなるのは、東北の災害被害者への復興や救済を放ったらかし、放射能汚染で、飼い主や畜産従事者は、泣く泣く生命たちから離れ、餓死していった<いのち>たちが、多くいるからです。
東北では、放射能汚染で、犬が突然死した。
美しく奇跡的な村”飯館村”が、放射能に汚されてしまった。
「原発事故」のせいで、遺書を残して自殺した酪農家がいる。
福島原発事故の緊急作業で、亡くなっていった東電社員や下請け作業員がいる。
劣化ウラン弾が何万トンも打ち込まれたイラクや旧ユーゴと同じく、無脳の福島では、赤ちゃんが産まれてきた。
放射能汚染の食べ物を、自分の子供に食べさせるのが嫌で、学校で出される給食ではなく、お母さんがお弁当を、わが子に持たせたら、クラスで”独りだけ弁当をもっていく我が子がイジメられ、そのお母さんも孤立した、という「人災」。
日本の各地で、子供の尿から、セシウムなど放射線が検出された。
他府県で、”福島ナンバー”の人が、嫌がらせを受けた・・・・、
私には2011年が、まだ続いています。いや、水に流せないのです。無意識的にも。気分的にも、とても去年扱いは出来ないのです。2011-2012年の感覚でいます。
放射性物質の半減期は、プルトニウム239の場合ならば、2万4千年もかかるから、簡単なことは言えないけど、とりあえずは、「TPP」「消費税」「原発」「動物虐待・動物実験」(そして「郵政民営化」)を反対される皆さまと、それら問題を、この日本から追い払ってこそ、これ以上ないほど晴々と清々しく、新しい世を迎えられるのではないか、と思うのであります。
私たち国民のための日本にするために必要で、一人ひとりに出来ることは、
○地元議員事務所への電話・FAX・メール・直接訪問(1本の電話では無意味だけど、各有権者からなる100本、1000本の電話やFAXは、議員への民意の表現になる。議員のアリバイづくりをゆるさず、結果を問うこと。)
○秘書にあしらわれない為の理論武装(ex.なぜ原発反対なのか。今すぐ脱原発が可能なのはなぜか。なぜTPP加盟は愚かなのか。なぜ消費税増税は馬鹿げているのか。・・・・etc.)
○クチコミでの情報交換や、議員の評判の拡散
○口先ばかりで、演説や説明など中身が乏しく、志のない立候補者を、選挙で篩(ふる)い落とすこと(議員の質を確かめるための知識や理論武装、クチコミでの情報交換・雑談や井戸端会議の必要)・・・・
ではないでしょうか。
日本の子供たちや生命たち、自然環境、伝統や文化を守ってみせるのは、結局は、私たち国民なのだ、と思います。
あなたは、自分の印鑑、自分の免許証、自分の通帳・・・を国会議員に預けますか?(そうじゃなくても、国会議員たちは、”国債を発行して”あなたの貯金を、間接的に盗んでいますが・・・・)
お金よりも大事なはずの、じぶんの未来や親の未来、子供たちの未来を、国会議員に、預けられますか?
預けたくなくても、自分たちの現状や未来を左右させてしまう議員選びは、
政党名や肩書なのではなく、中身で選ばなくてはならなくなってくる事を、構造改革や原発事故を経験してしまった私たちは、嫌というほど、学ばされました。
お互いに知識や情報を分かち合って、混迷の日本を、子供たちに譲りたいものです。
そうして、私たちから預かった日本を、子供たちが、後世に大事に譲っていく・・・・。
「過去は私たちのものだが、私たちは過去のものではない。
わたしたちは現在を生き、未来をつくる。
たとえ、その未来に私たちが在なくても、
そこには子供たちが居るから」
(モハマンダス・ガンディー『バーブーの祝福』1945年11月2日)
「ガンディー魂の言葉」