絵描きの母ですが、父がなくなって、大きな絵を描くことができなくなったらしく、代わりに俳句をはじめたそうです。
感覚で動く母に、俳句が向いているかはさておいて。。。
父の遺品を処分していたときに、俳句手帳なるものをみつけたそうです。父の日記やら、さまざまなメモは、一切目を通さずに捨てた母ですが、この俳句手帳は、手にとって、中を見てたそうです。
俳句をやってみたいなどと生前言うことなんてなかった父なのに、なぜこんなものがあるのだろうと、しかも、母が始めるはるか前の年号が書いてある手帳でした。
先日母は私にその手帳を見せてくれました。はじめの3ページと、中ごろの3ページくらいにしか書いてない、小さな手帳。
はじめの3ページは、どうやら、お正月に書かれたもののようで、お正月に関するような句がありました。
その中で、私の印象に残った俳句があります。
「妻と来て 声高らかに 初詣」
続けて、母とどこかへでかけたことを書いた俳句もありました。
父と母は、お見合いで結婚しました。
写真をみても、母はぴんとこなかったそうです。ま、実際、会っても、心ときめくって感じでもなかったそうですが、父は、大変母のことが気に入ったそうです。
母は、足が綺麗で、特に膝からしたは、ほんとうにほっそりと華奢で、それに父がほれたらしいのです。。あははは。。
それと、母の母、私の祖母ととても話が合って、祖母に会いたいから、母と結婚したということも聞いたことがあります。
いずれにしても、母はほれられて結婚したわけですね。
といっても、父は、かなり自由奔放な人で、家族で何をするというのは、夏休みの旅行くらいでした。家のことも、子育ても母任せ。
子供心に、「おとうさんっておかあさんのこと、どう思っているのかなあ」と心配したものです。
ま、とはいえ、子供の私には、今でも、父は私の父であり、母は私の母であって、二人が男女関係にあるとか、夫婦であるとか、実はイメージできません。単に母は私の母であるってだけです。
母も違う意味で、自由奔放でしたので、二人の間では、きっとバランスがとれていたのでしょうね。母は父に猛烈に怒ったりしたこともあるそうなので、言いたいことをきちんといえる隠し事とかない夫婦だったのでしょう。
で、先ほどの句ですが。
これを昨日読んだのですが、この句に、父の母を大切に思い、愛していたことが十分表れているなあとちょっとうるっときました。
母は大きな口をあけて、ほんとうに楽しそうに笑います。こちらまで、楽しくなります。
私も弟も18歳になると、親元を離れていたので、きっと、この初詣は二人だけでいったときのことでしょう。
父と母の連れ立っていく冬の日を想像できます。
父も他界した今、母は、この句をみてなんと思っているのでしょうか。
という母も、今は、連泊で、友人のところへ泊まり、長良川の鵜飼いの句会に参加しています。
愛情の表現方法はさまざまです。
でも、ほんとうに愛する人にちゃんんと届かない愛情表現は、単純にその人の独りよがりだと思います。
愛する人に届く方法であれば、他の人に理解されなくったっていいと思いますしね。
愛する人のことを心から思いやり、一緒にいられる時間を大切にするべきですよね。
時間に、限りがあるのですから。
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