「ちょっとでも悪いものは入っていて欲しくない」 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

「ちょっとでも悪いものは入っていて欲しくない」

 食に関わる仕事をしていると、「ちょっとでも悪いものは食べもの入っていて欲しくない」と言う人がわりといます。でも、前のエントリー でも書いたように、大騒ぎされた中国産のキクラゲは21666家族(4人)分の量をひとりでイッキ食いしないと、何も起きません。それも毎日。

 「ちょっとでも悪い」という考え方で凝り固まっていると、ホメオパシーとやらにコロッとひっかかるんじゃないかと思います。すべては量の問題なので 基準値の10倍や100倍や1000倍程度なら、心配しなくていいかと。「量が一定量なければ、どんなものでも毒にも薬にもならない」が基本。農薬の毒性で一番被害を蒙るのは農家の人だということをお忘れなく。キクラゲの違反って「2倍」なんですが、「よくもそんな少なくて済むような作り方してますね、すごい!」なんじゃないの? 0.02ppmって「一億分の2g」です。

 では、テレビチャンピオンでも食べられない、到底無理な「基準値」の実態がわかれば、考えられる問いはなんなんでしょう? 「じゃあ気にせず食べよっ」と安心するだけでもいいと思います。ジャーナリストや研究者はどうなのかしら? 「そんな厳しい基準値でも運用できてるのはなぜか?」とか、「もしかして、かなり厳しい基準に農家の人が圧迫されているんじゃないか?」とか、「小さな農家のなかには情報についていけてない人もいるんじゃないのか?」とか、「そもそもどうして、そんな厳しい基準を適用してるの?無駄なんじゃないか」などなどといった「問い」を考えるのが自然なんではないでしょうか。

 こうして、いろいろ「疑問点」や「違和感」を出してみると、最初に思っていた「ちょっとでも悪いものは入って欲しくない」という考え方がどういう「思考停止」なのかわかるんじゃないかと思います。そして「思考停止」じゃなくなることって、それほど難しいことではないんじゃないでしょうか。私は「思考停止」って言葉自体が抽象的なのであんまり使いたくないんですが、どうして?言われたら、上のような「問いが阻害されるから」です。

※個々の食品に設定される農薬等の残留農薬基準は無毒性量(その物質を一生涯にわたって毎日摂取しても影響が出ない量)に100分の一をかけて設定される1日摂取許容量のさらに数百分の一や数千分の一に過ぎません。あと、料理などでも流されます。


 「東京くらしねっと10月号」(スーパーに置いてある「東京都消費生活総合センター」の無料のちらし)に松永和紀さんの「科学的な目を持とう」という記事が大きく掲載されていました。無料なのに毎号とっても充実してるちらしです。お買い物ついでにぜひ!

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 まず、重要な事実は、“日本の輸入監視は極めて厳しく、米国などでの問題事例の多くがすでに規制されている”ということです。

 日本には年間186万件、重さにして3410万tもの食品が輸入されています。これらをいちいち検査していては、国の予算はいくらあっても足りないでしょう。そのため厚生労働省は輸入食品のリスク(健康への影響が起きる可能性とその程度)に応じて対応する仕組みを作っています。健康被害の大きい食品は厳しく監視し、心配の少ない食品は時々チェックするというメリハリの利いたシステムを構築しているのです。

 具体的には、各港にある厚生労働省検疫所は、事業者から提出された書類をチェックするとともに、その中から一定数をサンプリングして調べる「モニタリング調査」を行い、輸入食品の大まかな状況を把握します。

 この検査で法律違反が分かった場合、リスクの高いものについてはすぐに「検査命令」が出されます。例えば、カビが作る極めて強い発がん物質「アフラトキシン」や感染すると、重い食中毒を起こす「腸管出血性大腸菌O-157」などです。検査命令がでると、その後輸入する際には全ロットを検査しなければならず、問題がないことを確認してない限り国内に流通させることはできません。

 一方、リスクがそれほど高くないと科学的に判断される残留農薬や動物用医薬品などについては、モニタリング調査で1回目の違反が出た後は、輸入件数の半分を検査する「50%モニタリング検査」に移行します。そのうえで、2回目の違反が出た場合には「違反の蓋然性が高い」としてリスクの高いものと同様の検査命令に移行します、検査命令は簡単には解除されません。

 昨年度の輸入届出件数に対する検査率は11%、検査総数に対する違反の割合は0.7%にとどまっています。米国では最近、問題になった食品の多くは、日本はすでに違反が見つかり、検査命令の対象になっていました。そのうえで日本では、企業や自治体、生協などもそれぞれに食品が国の定める基準に違反していないか、検査し、自治体や生協は結果を公表しています、これらの検査でも、違反の見つかる確率は非常に低いのが実情です。

(略)日本では昨年5月末、ポジティブリスト制という世界的にみても極めて厳しい残留農薬制度が施行されました。そのために海外の日本向け輸出業者の多くは、食品を厳選し、日本の制度をクリアするものだけを輸出する仕組みを整えています。

 世界中を見渡しても、これほど食の安全が確保されている国はありません。

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「危なくない」って言うのって、「危ない」って言うより大変なことなんですよね。基本的にリスクゼロの話ってありませんから。

 松永さんも本のほうでは書かれていましたが、私自身もこのポシティブリスト制の問題点がいろいろあると思います・・。

 いまはどこもかしこも「米」万歳!「国産食材」万歳!で、欧米型食事を見直す「地産池消」で「食育」がすすめられているような状況です。なんかなあ、農業に保護政策をしているのはほかの国もやってるんだけど、どうも日本は農家と国民の「努力」と「教育」だけで乗り切ろうっていうかんじがあるんですよね。だから「徴農」って話も出てくるんだと思うんですが、別に「徴農」が今の段階で徴兵だのポルポトだのとは思いませんし、農業従事者を育てることは大事なことだと思うので、ちゃんと育てていく情報と金をまわすべきことだと思います。「ボランティアで何でもできると思うなよ」って態度は必要だと思いますよ。

 うちは実家米屋なんで、ご飯は大好きだし、米自体も品種改良を重ねた結果、だいたいどこの米買ってもほんとにおいしいと思いますが、「食育」もむかつくのが、「キレる少年」は「食い物のせいだ」って話がすぐ出てくることです。それで「昔ながらの食事を見直そう」って話にいっちゃうんですけど、昔のほうがよほど犯罪多いってば。

 そもそも、みなさん「食育」ってどこがモトネタか知ってます?

 明治時代後期のベストセラーで食文化を啓蒙する家庭小説『食道楽 (村井弦斎)のなかの言葉から一般化して、平成に復活した言葉です。『食道楽』は明治期の『美味しんぼ』だと思ってください。村井は海原雄山ってところでしょうか。

 そこにこのように書いてあって、現代の「食育」の旗振り役の人の本にも引用されています。

「小児には、徳育よりも智育よりも、体育よりも、食育が先。体育、徳育の根源にも食育にある」と。なんかどこかで聞いたことがありませんか?

 ちなみに弦斎は“ロハスの元祖”みたいな人で、ベストセラーの印税で平塚に広大な大邸宅をかまえて、東京から料理人を呼び、選び抜いた食材を使ったグルメ三昧の日々を過ごしたそう。それで、あきちゃったんですかね、新聞記者の仕事をやめて、玄米食の研究に没頭し、断食、自然食を実践。山の中で暮らしたそう。

「竪穴住居に住み、生きた虫など、加工しない自然のままのものだけを食べて暮らし、奇人、変人扱いされた」そうです。(Wikipedia)

 うっ、生きた虫ですってー!!(T_T) あのう、変わった人はいてもいいんですけど、奇人、変人を義務教育のお手本にするのやめようよ・・・。「若者の右傾化」を心配するより「知識人の原始人化」を心配したほうがいいんじゃないですかね。

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 ご参考に 

毎日新聞 - 2007年7月13日

 最近、よく耳にする「食育」という言葉。広辞苑(第5版)の見出し語にはないが、言葉としての歴史は意外に古い。1898(明治31)年、福井県出身の医師、薬剤師で陸軍少将、薬剤監という地位にあった石塚左玄(さげん)の著書「通俗食物養生法」。この中の「体育智育才育は即ち食育なり」というくだりが「食育」の初出という。1903(明治36)年には作家、村井弦斎も著書「食道楽」の中で「食育」と書いた。

 しかし、その後約1世紀、世間からこの言葉は消える。“復活”はBSE(牛海綿状脳症)の発生や食品の産地偽装で食への信頼が揺らいだ01、02年ごろ。03年には小泉純一郎首相(当時)が施政方針演説に「食育の推進」を盛り込み、05年6月に「食育基本法」が成立。法の前文は食育を「知育、徳育、体育の基礎」と位置づけた。

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