14歳レベルくらいにはなりたいものです。 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

14歳レベルくらいにはなりたいものです。

相変わらず少年の事件が起きると、「ゲーム」とか「マンガ」のせいにされてたりしてるね・・・。うーん、今どき、部屋のなかに「ゲーム」も「マンガ」もない子がいたら、そっちのほうが驚くんだか。例えば「日本文学全集」とかあったほうが驚くんだけど(笑)。そしたら「日本文学全集のせいだ」とかいうんだろうか?

さてと、日本がPISAの学力テストが「落ちた」ということで、「学力低下」だと騒がれてたんだけど、それを以前エントリーで取り上げたことがあります。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016028633.html
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016182461.html

 「落ちた」といっても、人口規模が大きい国のなかで、トータルしてみればトップクラスであるというのを前提で読んでね(つまり日本の子供たちは相対的には優秀だし、先生たちはがんばってると思いますよ)。
 そのなかで日本の子供たちが「できなかった」設問は、「犯罪」にかかわる「リテラシー」の設問です。ただ、これは、子どもたちだけではなくて、大人もできないよね。そしたらこんな「俗流若者論」が跋扈してないでしょう?

 えっと、で、こういう設問で成績がいいのは、北欧の国みたいで、・・・って北欧の例を出すと「そもそもスクリーニングされた国だからレベルの高い教育ができる」、「日本の教師にはレベルが高すぎて負担がかかる」という反論があります。まあでも待って待って。でもね、そういう人たちに「実際に子供たちが使ってるその教科書読んだことある?」と聞き返すと、だいたい読んだことがない人のほうが多いのです。なので読んでみようかなと思ったわけです。
 
 以下、『
あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書 』から抜粋。

私が読む限りは日本の「公民」の教科書よりはわかりやすいし丁寧だと思うし、教えやすいと思いました。
 建前論はあんまりなく、事実をもとに淡々と「こうなってます」ということが書かれています。犯罪について、失業について、いじめについて、恋愛をめぐる困難について、障害、離婚、高齢者、労働組合活動など・・・。生活していくうえでありとあらゆる「困難」にぶちあたったらこういうセーフティーネットがあることを淡々と記述しています。「社会保障」のところなんて約50ページを使って、どんなバカでも「わからないとは言わせない」というくらい気合の入った説明がされている。日本だと数ページだったと思う。
 「日本は知識詰め込みである、北欧は違う」というふうにいわれてたりもするけど、北欧だって知識は詰め込んでると思うっていうか知識を詰め込まない「学習」なんてものはないと思う。問題はその知識の「内容」と「量」と「説明の丁寧さ」。(もちろん日本の教科書だって、ちゃんと読めばそれなりに勉強になりますけどね)。クラス解体だの学校解体だのという前に具体的に「子供たちが将来に役立つ知識を何をどのように教えるか」という話じゃないかなと思うんだけど。

 この教科書では11ページ目からが「犯罪」について記述になります。現在の犯罪についての状況、自分は犯罪に巻き込まれた場合、どういう順でどういった法的拘束がどういう権利のもとになされれるのか、何が起きるか、その中で権利はどういったものかといったことが書かれていきます。

たとえばこんなかんじです。

----引用

●犯罪の検挙
届け出のあった犯罪に3分の2は犯人が捕まりません。検挙がそんなにも少ないことの最大の理由は警察官に時間がないことです。警察官の時間の大半は重大犯罪の捜査に向けられています。重大犯罪に限ってみれば、検挙件数は大きくなります。(実際には図があります)。

●一般的な犯罪
 最も一般的な犯罪は盗みです。1990年に警察に届けれられた盗みは68万件以上でした。自転車の盗難と万引きが大半を占めています。→総数でみると驚くかもしれないけど、その内容をきちんと見ましょうね、と。

●犯罪で迷惑を被るのは誰か
 最近の数年間で16歳以上の人の4分の1が何らかの犯罪を被っています。暴力の恐れにさらされている人々はそんなに多くはありませんが、それでも毎年1000人あたり6~7人が暴力行為で病院へ行かねばなりません。重症を負うのは男性でとりわけ大都市の若者です。虐待についてはかなりの数の「かくれた犯罪」が存在します。多くの家庭で発生している女性に対する虐待がそれです。
 暴力事件で被害にあった人がまったく知らない人から攻撃を受けたり、理由もなく暴力を加えられたということは極めて稀です。争いの当事者たちはお互い以前から深い知り合いです。虐待や暴力ではほとんどの場合はアルコールや麻薬の影響があります。→見知らぬ不審者から急に襲われることは稀な話なんですよ、っていってますね。

●警察はしばしばマスコミで批判されます。けれどもその批判は正しくないことがあります。当然のことですが、警察官も法律違反などの間違いを犯します。1万6千人もの警察官がいることを考えれば驚くにあたりません。新聞、テレビ、ラジオが警察官の間違いを取り上げるとき、警察官全体を見てしまうのです。たとえ2人の警察官が不届きなことをしたとしても、残り全部の警察官が仕事を不真面目にしているわけではありません。このことは、私たちが新聞を読んだりテレビを見たりするときに、念頭に置くべき重要なことです。マスコミがひとつの事例で大騒ぎするので、一般化しないでねってことを教えております。これ警察官だけじゃなくて、教師とかでも言い換えられるよね。

----課題
1)スウェーデンのもっとも一般的な犯罪は何ですか?
2)犯罪の検挙率が低いのはなぜでしょう
3)「かくれた犯罪」が非常に多い理由は何でしょう
4)麻薬犯罪の検挙率が非常に高いのを、どう説明できますか
5)以下のような提案をあなたはどう思いますか?討論しましょう
◎ 一般道路での最高速度を時速90キロから70キロに下げる
◎ メーカーに時速130キロ以上で走る自動車の生産を禁止する
◎ すべての自動車に自動速度記録計を設置する
◎ 酔っ払い運転の最低刑罰を1年間の収監とする
6)どの社会層がもっとも強く暴力の被害を被っていますか。それは何故でしょう

●加害者と被害者
 多くの場合、犯罪の加害者と被害者は裁判のときにだけ顔を合わせます。ときには裁判の前に顔を合わせることもありますが、それは実際に何が起こったかをそれぞれが話すためです。その目的は加害者に被害者がどんな気持ちでいるのかを理解させ、再び犯罪に立ち戻らせないことです。
 多くの人々はこうした「コンフロンテイション(対面)」をもっと多くすべきだと考えています。ここに加害者と被害者の話があるので読んでみましょう。ダンネがオスカルと会い、オスカルがこの家宅侵入をどう感じ、そのあと、どんな気持ちでいるのかを知ることがダンネにとってよいことだったとあなたは思いますか?ふたりの会見はダンネが将来新たな犯罪を犯さないようになるために役立ったでしょうか。またオスカルにとって何らかの救いになったでしょうか。加害者と被害者をしばしば会わせるべきでしょうか。それはどんな意義がありますか。コンフロンテションをするのは、適当ではない犯罪がありますか。加害者と被害者の対話について中学校の教科書に出てきます。

●誰が犯罪者となるか
 あなたは両親の財布から断りなしにお金を「借りた」ことがありませんか?あなたは15歳になっていないのに軽オートバイを運転したり、友達と自転車の二人乗りをしたことはありませんか?あなたは他人の家の庭の果物を無断でいただいたことはありませんか。
 この質問にどれかに「はい」と答えたあなたは、犯罪を犯していたことになります。しかし、それはあなただけのことではありません。一般的にいってすべての人は自分が加害者であることに気づかないままで、ひとつまたは複数の法律を破っているのです。 →「みんな多かれ少なかれ犯罪者だよね?」ってことをいってます。

 ----続く…

 スクリーニングされていると仮定をしても、スウェーデンの14歳レベルがわかっていない知識人がいっぱいいるっていうのは情けない話だと思いませんかね?ロクなことを言わないマスコミや知識人から教育せよっていわれるかもしれないね(笑)。「若者がバカになってる」っていいたい人もいるかもしれないけど、そりゃあ14歳レベルのこともできてないんじゃあ、「知の信頼」が失われてもしょうがなくないっすか?


 現在の教育再生会議ですが、「早寝早起き朝ご飯」とか「母乳で子育て」とかねー、「愛国心」をもっていれば、ほんとうに穴に入りたくなるような提言だと思うんだけどね。どうなんでしょう?
 ブログをぐぐってると、1994年のスウェーデン文部省によると、学校の任務は「生徒に、将来を築くという困難な事業への楽観的な展望を与えること」だそうです。
 人間を「弱くて脆い」前提としてとらえ、そこから落ちそうになったときに、そこにサポートがあること、サポートされる権利があることをきちんと伝えることで、安心して将来を築いていって欲しいという「教育」の理念に沿って教科書が書かれてあるわけです。 そのために主には「現実」と「事実」をしっかりと教えるつくりになっています。私は「現実」とか「事実」教えるほうが簡単だと思うんですけど? それはなぜかというと誰が教えても同じだから。

 民度やインドやいう前にその前に国民にちゃんと説明する努力をしているといえるのだろうか?となぜ考えないのか不思議なのですがね。演劇教育とか心の教育も別に否定しませんが、どうしてそこにぶっとぶんだろうか。「わたしたちの社会がどうまわっているのか」ってことをどうして教えられないのでしょう?とくに「社会学」専門の方はそう考えたほうがまわりまわって自分のベネフィットにもつながるんじゃないの?


----例えば、以下は現在、崩壊寸前の「教育再生会議」も面々が授業参観してる授業の模様です。

http://www.shiki.gr.jp/navi/news/000679.html
  「おはようございます」なら「おあおーおあいあう」となります。

 

 えっと「美しい日本語」だそうです。えっどこが(笑)
 漢字の成り立ちからしかお話ができない学力崩壊しているヤンキー(でもないと思うけど)あがりの先生はほんとまずいでしょう。「教育」への信頼が失われてしまいます。
 日本人って「教育」にすごく関心あるじゃない?総評論家状態っていうのはある意味関心ある証拠でしょう?民が関心のある分野はお金にもなるじゃない?そういう分野は、やはり人材も豊富だし、優秀な学者さん大勢いると思いますよ。

 あっそうそう、ちなみに、この教科書はある人が一番最初に紹介して一部で話題になったのですが、それは誰かという皇太子殿下です。建前があまりないこの教科書のなかでも、「夢」ともいえる部分を(選んで?)紹介されていらっしゃいます。以下がその記者会見の模様です。それはいったいどうしてなんだろうね?とふと思いました。
 「天皇」で「大きな物語」という人もいるみたいですが、別に皇太子様が紹介してるから私は読んだわけではないですが、そういう方たちは、まあ、ご紹介されてる本くらいは読んでみたらどうなんでしょうね?

http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h17.html