「帰る場所ない」&「心の闇」一般化は危険 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

「帰る場所ない」&「心の闇」一般化は危険

 『犯罪不安社会 』の共著者のおふたりの記事が相次いで、新聞に掲載されているのでご紹介します。浜井浩一先生から。先日学会で発表された分析です。

---------------------------------------

満期釈放受刑者の4割超、「帰る場所ない」
2007年05月26日 朝日新聞 
http://www.asahi.com/national/update/0526/OSK200705260041.html
1
 刑務所からの満期釈放者のうち、30年前には9%だった「帰る場所がない」人が、05年には4割を超えたことが、龍谷大学矯正・保護研究センターの浜井浩一教授の分析でわかった。厚生労働省研究班調査で25日、知的障害がある受刑者の約半数に引受人がなく、生活苦が再犯につながっていると明らかになったばかり。浜井教授は「社会に居場所がないと、刑務所に戻るために微罪を重ねる累犯につながりやすい。新たな受け皿を」と話している。

 法務省の矯正統計年報を基に集計、26日、名古屋市で開かれた日本刑法学会で発表した。

 規律違反がなく、身元引受人がいる受刑者は、刑務所長の申請により、仮釈放が認められる場合がある。仮釈放にならない満期釈放者は、出所者の約半数、年1万~1万5000人にのぼる。1975年の1万1736人について、出所前に尋ねた帰住予定地をみると、「配偶者のもと」が最多で25%、「父母」24%、「更生保護施設」18%、「きょうだい」10%の順。「雇い主」も3%おり、「その他」=なし=は9%だった。ところが、年を追うごとに、配偶者、雇い主、更生保護施設の割合が減り、「なし」が増加。05年の満期出所者1万3605人では「なし」が44%で最多に。次いで父母22%、配偶者10%、知人8%。更生保護施設は5%、雇い主は1%に満たなかった。

 背景には、社会全体の離婚率・未婚率の上昇、受刑者の高齢化があり、受け皿となるべき更生保護施設も、満員で新規受け入れを断るケースが相次いでいるという。

 5年以内に再び罪を犯して刑務所に戻ってきた率(5年再入率)をみると、00年出所者で49%。帰住地や身元引受人が決まっている「仮釈放者」では39.1%なのに対し、「満期釈放者」では61.4%と高い。中でも半身まひや認知症など、生活介護が必要な「S級」受刑者の再入までの期間は、出所後3カ月以内が29%、1年以内が61%と短い。浜井教授は、社会で自立生活が送れない人は、刑務所を出てすぐ、無銭飲食や無賃乗車などでつかまって戻ってくる傾向がある」と説明。当面の衣食住を提供し、生活保護などの福祉につなげるような仕組みや、社会的弱者を排除しないようなコミュニティーづくりが不可欠だ、としている。

---------------------------------------

 そして芹沢一也先生。先日のエントリー 「アメリカの刑事システムの予算が破綻するまで」(日本後追い中?)」の中で犯罪学者のヴィンセント・シラルディの以下の世間の耳目を集めた事件後のコメント「一連の事件が特別なトレンドを構成するものではないこと、若者の犯罪率はここ数年で30%も低下していること、そして学校における暴力よりも落雷によって死ぬ確率のほうが3倍も高いことを説明しようとした。シラルディは「例外的」という表現が適切であることを何度も繰り返し、別の考え方をするのは「ゆゆしき誤りである」と答えた。」をひいて、--(アメリカは銃乱射事件が起きても、テレビでコメント求められたら、学者が「それは例外的な事件で・・」でかばうリベラルな人がいるってことなんですね。日本だとこれはありえないんじゃないかなー。--と書きましたが、すいません、撤回。芹沢先生がいらっしゃいました。大変失礼いたしました(おまえが忘れるなよ!)。首切り事件についてのコメントです。

---------------------------------------

 少年凶悪犯罪への「向き合い方」 社会学者 芹沢一也さんに聞く

 「心の闇」一般化は危険

 2007年5月28日(月) 産経新聞
 福島県会津若松市で高校3年の男子生徒が母親を殺害した事件は、少年が母親の首を持って警察に出頭するなど、社会に衝撃を与え、何が少年を凶行に走らせたのかという理由探しが盛んに行われている。だが、社会学者の芹沢一也氏は「今の段階では、社会で取り組むべき問題ではない」と言い切る。芹沢氏は凶悪な少年事件が発生したさいに潜む危険性について指摘した。(上塚真由)
 「戦争やテロがなくなればいい。殺すのは誰でもよかった」と供述した少年。母親との濃密な関係、家族の他人化、格差社会などさまざまな社会問題に遠因を挙げる意見があるが、芹沢氏はこうした言説に真っ向から反論する。
 「例えば、家族の他人化は多くの家庭が直面している問題です。もし、これが原因であるならば、継続的に事件は起こるはずです。だが、私が記憶している限り、母親の首をもって自首した少年は他にいません。確かに特異現象として少年を怪物化するのはおかしいけれども、そんなレアな事例に対して、一般化することはできない。集合的に何かが起こったときには社会改革の問題となりますが、今回は果たしてそのような問題だといえるでしょうか」
 少年による凶悪犯罪を「集団的事象」として安易に社会の問題に結びつけるべきではない、という根拠として、芹沢氏は事件数が減っていることを挙げる。犯罪白書(平成17年版)によると、戦後、殺人罪で検挙された少年の数は昭和21年には249人。以降、毎年のように増え続け、36年に448人とピークを迎えた。50年代から100人を下回ることが多くなり、平成16年は62人だった。
 少年事件が人々の関心を集めるようになったのは、平成9年の神戸連続児童殺傷事件の衝撃が大きい。だが芹沢氏は、その翌年に栃木県黒磯市(現那須塩原市)で発生した中学1年の男子生徒による女性教師殺害事件に注目する。 「神戸の事件では教育制度の問題が叫ばれましたが、黒磯事件をきっかけに、普通の子が危ない、という論調が多くなりました。普通の子が、いったい何を考えているのか。心の闇が全般に広げられたのです」。“キレる少年”という言葉が流行語のように使われたのもこの年だった。
 凶悪事件は減っているのに、なぜ、ここまで取りざたされるのか。「少年というのは、カテゴライズされやすいから。例えば(4人の幼女を誘拐して殺害した)宮崎勤事件でオタクという言葉がでてきて、オタク全員が危ない、という現象が起こりましたが、同じように少年事件では、少年全体をたたくということが起こりうる」
 少年がひとくくりに扱われやすいのは、非行少年を教育の対象としてとらえてきた歴史と無関係ではないという。「戦後、少年法では、少年は法の外で教育の対象として扱われてきたために、外部から遮断されたなかで密室で処遇が決められていた。そのために少年というのは、ひとくくりでカテゴライズされやすくなったのです」
 こうした背景に加え、「1990年代以降、保護する社会から、排除する社会へと変わってきた」と指摘する。その顕著な実例が、厳罰化などを主軸にした平成12年の少年法改正というのだ。「改正されるまでは非行を起こした人間は、再教育して再び優しく迎え入れようとする社会を目指していた。現行の少年法でも再教育の理念でやっていますが、社会の感覚としては、とんでもないことをしたのだから大人と同じように裁け、というのが大多数の意見になっている」
 さらに少年法は先週の国会で、低年齢の少年に対する対処を厳しくした改正法案が可決された(前エントリーで書きましたが1年に1人くらいしか対象人数がいなかったやつです)芹沢氏は「少年法改正そのものに反対ではない」が、犯罪件数の減少など確たる検証がなされないまま、こうした社会の変容が法制度の改革をうながしたことに異論を唱えている。
 「少年犯罪への見方は依然として厳しいが、それは確証に基づいたものなのか。終身雇用の総中流社会が崩れたことなどによって社会が不安化していて、自分たちの不安を少年に押しつけているように思う。凶悪犯罪は確かに恐ろしいですが、そのリスクをある程度冷静にとらえないと、かえってゆがんだ社会になってしまいます。」

---------------------------------------

 しかし、産経新聞は前日の記事で「【酒鬼薔薇以後】(1)アンチヒーロー ネットで増幅する殺人願望】という記事を書いて以下のようなコメントを出しておりますが、この記事はどう収拾していくつもりなんだろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070527-00000001-san-soci

 「酒鬼薔薇聖斗」を名乗った少年(24)=事件当時(14)=による神戸市の児童連続殺傷事件。社会学者の宮台真司さん(48)は当時、「この事件に呼びかけられたと感じるやつが絶対いる。その一部は近いうちに模倣行動を始めるはずだ」と事件の連鎖を予言した。
 それは、ほどなく現実のものとなる。2年後の平成11年8月、愛知県西尾市で女子高生が殺害された。逮捕された少年=事件当時(17)=は酒鬼薔薇を尊敬して事件の記事をスクラップし、自らを「猛末期頽死(もうまつきたいし)」と呼んでいた。翌12年には愛知県豊川市の夫婦殺傷事件に西鉄高速バス乗っ取り事件、岡山市の金属バット母親撲殺事件が相次ぐ。いずれも酒鬼薔薇と同学年の少年による犯行だった。
 宮台さんは指摘する。「酒鬼薔薇の人体をモノのように理解するあり方を誇示した犯行と、社会への挑戦に満ちた声明文。少年たちは『この社会のルールに従って生きていかなくてもいい』というメッセージと受け取ってしまったのかもしれない
---------------------------------------

 いや、受け取ってないって。「殺人」と「社会のルール」って離れすぎだと思うし・・・。「殺人」にしてみればそれこそ統計になんか有意差出てる?それに西尾の事件は酒鬼薔薇の2年後・・。そして酒鬼薔薇は10年前・・・。

 「コピーキャット」という意味なら、マスコミの責を言及しないと。だから「この少年たち」って主語なら、まだわかります。

 ところで私がこの社会学者さんのことをエントリーに書くとだいだい3つの反論(?)がきます。「誤読だ」っていうのと「そんなに彼には影響はない」ってのと、何を怒っているのか救われたのかは知らんけど「バカバカバーカ」いう3つかな。

 どう「誤読」なの?(当時はもっとあおってるよ。人を殺したくてスタンばってるとかさあ)。あと「影響がない」っていうのは「どこをどうかばってるの?」っていう意味で意味不明(ソーシャルデザイナーとして社会を変革したくて発言してるんでしょう?この方は?)。「影響」っていう意味では、いろんなところでいろんなこといってる方だけど、だからこそ多くの人に目が触れる「新聞記事」をあげて問題にしてみたよ。あと「バカバカバーカ」っていうのには「師匠に影響受けてますねーありゃりゃ(笑)」としか言いようが。それに私は自分が利口だと思ってないんで、バカいわれても、まあそうかもねー(笑)。だから調べとるし、本も読んでるわけですから。