アメリカの刑事システムの予算が破綻するまで(日本後追い中?) | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

アメリカの刑事システムの予算が破綻するまで(日本後追い中?)

 後藤和智さんが今月号の「論座」に『左派は「若者」を見誤っていないか』という論考を寄せていらっしゃいます。原稿の編集作業を手伝ったので、応援エントリーを書こうかと思います。まずは、こういう論考が左派系のメディアで載ったことは意義があるんではないかしら。

 あと以前、後藤さんから、うかがったんですが、「悪口言わずに建設的意見を」的な感想もたまにもらうそうですね。あらそうなの。細かい「検証」作業を誰がほかにやってます?それもノーギャラで。えらいと思いますよ、私は素直に。

 後藤さんの問題意識は『左派系のメディアの多くが、若年層に関してはほとんど右派系と共同歩調をとり、また就職氷河期世代の苦悩を不可視化してきた』というつまり左派も右派も『共犯』という認識です。

 さて、教育再生会議などは、もはや「ネタがベタ」レベルではなく「天然ボケ」のようですが、「ボケ」には「欧米かー!」ってつっこみたくなります(笑)。

 で、後藤さんが問題視してる俗流若者論にはじまる刑事システムの変容は実際に「欧米かー!」(正確には米かーですが!)になってきているようです。有識者会議でもメディアでも欧米の例って出しますよね。で、その「出し方」ですが、私は「第3の道」とか「パトリオティズム」とかどうでもいい概念言葉が欲しいのではなくって、実際にその欧米の失敗はきちんと学ぶべきだと思いますよ。

 アメリカでは「若者の犯罪」に問題が集約して、彼らの労働問題や労働状況が不可視化され、刑務所が過剰収容になって200万人の国民を閉じ込めて司法予算が破綻。「子どもの安全」に過剰反応し、「小児性愛者」から「独身の無職の男」や「モンスターママ」などレッテル貼りが“俗流化”し、貧困層が昔より拡大中といった事態を日本が今踏襲しているんじゃないかと思うからです。

 『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する 』みたいないい本もありますが、私は知識人やメディアが目立つところでそういった具体的な内容をきちんと出すことがあまりに足りないのではないかと思います。きちんと検証することもね。・・・で、どうして私みたいなそのへんのフリーランスがこの小さなブログで書かなくちゃいけないのかよくわかんなかったりもするんですけど、というわけで題して『-俗流若者論アメリカ版-が何をつくったか』

 って、えらそうに書いてますが、この1冊読めばわかると思います。

 『アメリカは恐怖に踊る 』バリーグラスナー著 松本薫訳 2004年

 アメリカ人の後藤和智さんみたいな人です。新聞記事や論者たちの言説をこまめに集めて検証し反証し、ほんとに可視化しなくてはいけないのは何だったかということを書いてます。平易でわかりやすくつっこみ満載で笑えもしますので、買って損はないかと。ネット上でインティファーダ的に俗流若者論にあらがっている方は必読。「わっ、右も左も俗流若者論で結託。今、日本、やばいかんじでアメリカ様を後追いしてるかも」って感じると思います。だから「共犯」っていってる後藤さんの指摘はそのとおりかな、と。

 まあアメリカは実際日本よりは犯罪多いから、多少びびってもいい気もしますが(笑)、というわけで、後藤さん、自信をもって、どんどんやってねー。この本でも批判対象の言説は実名が基本。後藤さんのスタイルに違和感がある人は単純に慣れてないだけじゃないのかな。

 以下この本から、抜粋していきますので慣れてね。ちなみにこの本には『犯罪不安社会』でも浜井浩一先生が引用していた犯罪学者ジョエル・ベストなんかも出てきます。

 
―――以下引用

 アメリカ人の若い男は誰でも大量殺人犯になりうる。

 私たちはそう思い込んだ。1990年代を通じて若者による犯罪が急激に減った事実を考えれば、驚くべき離れ業である。毎年のように好ましい数字が出ているにも関わらず、私たちはそれを無視しつづけた。18歳以下の若者が犯す凶悪犯罪は全体の13%に過ぎないのに、たいていの大人は半分が若者の仕業と思い込んだ。あるいは犯罪の低下を「嵐の前の静けさ」(『ニューズウィーク』誌)などど解釈することで、その意味するものを書き換えてしまった。

 「6年以内に若者の犯罪問題を解決しなければならない。さもなければ、われわれの国から秩序が失われるだろう」

 1997年、ビル・クリントンはその前年に若年層の犯罪率が9.2%も現状した事実を認めながらこう宣言した。

 日本でも「若者の犯罪は減っている」と保留してた人はたくさんいますね。そうすると「質が変わった」とか言うんですけどね。

 事態が好転すればするほど、私たちは悲観的になっていく。『タイム』誌や『USニューズ&ワールドレポート』誌、1996年「十代の時限爆弾」について特集記事を組んだ。同じ年のウィリアム・ヴェネットと犯罪学者のジョン・ディイウリオは、同年著書のなかでこんな予言をしている。

 「アメリカの悩める都会を『スーパー猛獣(プレデター)』とも呼ばれる暴力的でモラルのない若者たちが傍若無人に荒らしまわっている」

 日本だと「脱社会的存在」とか?

 はたして、現実はどうなったか。猛獣が襲いかかるどころか、学校内犯罪も都会の若者による暴力事件を減り続けていた。そこでメディアは若い連中の極悪行為が「アメリカ国内のありふれた場所で増えつつある」(CNN)実例を都会以外の場所で探すことになった。

 都会ではなく「郊外」のせいにした、日本の論者が重なってみえます。

 1997年末、ミシシッピ州のパールで16歳の少年が、そしてケンタッキー州のウェストパドゥーカでは14歳の少年が発砲騒ぎを起こし、あわせてクラスメート5人が死亡、12人が負傷する事件が起こった。以降はそうした例外的な事件が「凶悪な十代の殺人者が増殖している証拠(ヘラルド・リヴェラ)」とみなされるようになる。その3ケ月後、98年3月、11歳と13歳の少年がアーカンソー州ジョーンズボロで発砲事件を起こし、4人の生徒と1人の教師を殺害した。これで完全に調和が失われた。『タイム』誌はもはや『子どもが本物の銃を使って復讐するのは珍しいことではなくなった』と警告した。

 日本だと、酒鬼薔薇(猟奇的)、黒磯(先生殺したキレル少年)、長崎の事件(低年齢化)ってかんじですかね。

 その頃、ある児童心理学者がNBCテレビの『トゥデイ・ショー』に出演し、「学校での銃撃が稀であることを子どもたちに話して、安心させてやるほうがいい」と語った。レポーターのアン・カリーは即座に反論した。

 「でも、これは十月以来、4つ目の事件です」

 続く、2ケ月ほどの間、若者たちは世間の期待に応えることができなかった。誰一人として大量殺人を犯さなかったのである。

 にもかかわらず、十代の殺人者の恐ろしさはメデイアでさかんに取り上げられた。「学校の安全」や「子ども時代のトラウマ」といった話題に関連して、レポーターたちは殺人事件のおぞましい詳細をくりかえし説明した。5月になると、オレゴン州スプリングフィールドで新たな大事件が起こった。生徒で混み合ったカフェテリア内で15歳の少年が銃を乱射。2人を射殺し、23人を負傷させたのである。この事件は「とんでもない風潮」(『ニューヨークタイムズ』)の延長のように見えた。

 事件のあと、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)のニュース解説番組に、犯罪学者のヴィンセント・シラルディが出演。一連の事件が特別なトレンドを構成するものではないこと、若者の犯罪率はここ数年で30%も低下していること、そして学校における暴力よりも落雷によって死ぬ確率のほうが3倍も高いことを説明しようとした。ところが、司会のロバート・シーゲルは彼をさえぎり、いらいらとした口調で問い詰めたのである。

 「あなたは、これらが単なる例外的事件だとおっしゃるのですか?」

 シラルディは「例外的」という表現が適切であることを何度も繰り返し、別の考え方をするのは「ゆゆしき誤りである」と答えた。

 犯罪パニックに関わる出費は際限なく膨張し、やがては社会秩序の狂信者でさえも正当化できない金額になってしまった。

 アメリカでは刑事システムのために毎年1000億ドル近くが使われてるが、その大部分が警察と刑務所に流れる。たとえば、カリフォルニア州では、高等教育に充てる以上の税金が刑務所に費やされている。しかし、警察や刑務所の房をいくら増やしても、犯罪の減少にはつながらない。殺人事件の発生率を研究している犯罪学者によれば、警察官の数や刑務所の収容能力と大幅に増強した都市も、そうでない地域と比べて犯罪率に減少にはほとんど違いがないという。

 アメリカの国内向け公共支出の重点は、過去25年間にわたり、児童福祉や貧困撲滅プログラムから「投獄」へと移行してきた。結果はどうだったのか。犯罪に対する国民の不安を軽減することさえできなかった。警察官や刑務所の増強はほぼ間違いなく悪い方向に作用したのである。

 現実には誰も出くわしたことのない危険から子どもを守るために国民の財産が浪費される一方で200万人もの子どもたちが健康保険に加入できないまま放置されている。1200万人が栄養不良状態にあり、文盲も増加している。

 1990年代のアメリカで中産階級や貧しい人々が本来案じるべきだったのは、たとえば失業保険についてではなかったのか。80年代、90年代を通じて、失業保険が適用される労働者の数は減っていた。だがいまや、たいてい誰の周囲にも不況や企業のリストラの結果、職を失った友人や親戚がいるだろう。社会の底辺を構成する40%の人々に暮らし向きは、20年前の同じ層より苦しくなったという。私たちは他のいかなる工業国と比べても所得ギャップの大きい国に住んでいる。だとしたら、何よりも心配すべきなのは所得の不均衡かもしれない。貧困問題についてこと真剣に考えるべきなのかもしれない。

 90年代後半になると、500万人もの高齢者が毎日の食事にも事欠くようになった。200万人以上が毎年困窮者向けの食料配給制度の世話になった。

 そうした問題こそが、アメリカ人のもっとも忌み嫌う危険を生み出すのではないか。例えば、貧困は幼児虐待や犯罪、麻薬中毒と深く関係している。所得格差もまた社会全体に悪影響を及ぼす。裕福な層と貧しい層のギャップが大きければ大きいほど、全体として心臓病や、ガン、殺人による死亡率が高くなることもわかっている。社会科学者は、極端な不均衡は国家の政治的安定も脅かすだろうと論じる。

―――引用終わり


 上読んでも分かると思いますけど、アメリカは銃乱射事件が起きても、テレビでコメント求められたら、学者が「それは例外的な事件で・・」でかばうリベラルな人がいるってことなんですね。日本だとこれはありえないんじゃないかなー。「過剰同調」しますから。アメリカって煽るときもすごいけど、アンチたちも根性も知識も執着もあるなあ。