犯罪不安社会 本日発売 編集後記のようなもの | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

犯罪不安社会 本日発売 編集後記のようなもの

 浜井浩一氏、芹沢一也氏共著犯罪不安社会 が本日発売になりました。


犯罪不安社会

 この本は今世の中に流布している「治安悪化」をはじめとした、犯罪がらみの「常識」を根拠をもってほぼ全面否定。

 さらに、マスコミや90年代の論者に対する実証的な批判でもあります。

 このたびのエントリーでは、僭越ながら、編集後記のようなものを書かせていただければと思います。


**

 浜井先生の論考をはじめて読んだのは、二〇〇六年の冬、正月明けで世の中がまだ日常に戻りきっていない国会図書館の新館です。
 以前、ある知り合いから、同じ問題意識に基づいていると思うからと勧められていた浜井浩一教授の論文を探して読んだのです。ちょうど芹沢一也先生の「ホラーハウス社会」の校了明けの週でした。
 それは「日本の治安悪化神話はいかに作られたか――治安悪化の実態と背景要因(モラル・パニックを超えて)」(二〇〇四年)と「過剰収容の本当の意味」(二〇〇二年)という二つの論文でした。
 二〇〇四年のその論文に書かれていたことは、芹沢先生とまったく同じ分析でした。
 すべての統計が、いまだ日本は先進国でもっとも安全な国であることを示しているのに、なぜ、治安が悪化したと思い込みが、すなわち「治安悪化神話」がこれほど広まっているのかという問いとその答えがとても説得力をもって書かれていました。
  「治安悪化神話」を作り出した「マスコミの報道量」や「論調の変化」。

 そしてとりわけ「論調の変化」をもたらしたメディアや刑事政策の中での「犯罪被害者の発見」という分析は芹沢先生の分析と軌を一にするものでした。

 私はアカデミックといえば前田雅英氏や小宮信夫氏のようにむしろ治安悪化言説に加担しているというイメージを抱いていたこともあり、あまりにも興奮して国会図書館の近くのマクドナルドがら、芹沢先生に一生懸命、携帯でメールを打ったことを覚えています。
 一方の「過剰収容の本当の意味」という論文は、増えつづける刑務所人口がどういった背景で増えているのかを実証した論文でした。これは本当に知らないことばかりが書かれていました。いえ、「知らない」だけではなく、なんとなく思っていた「常識」とはまったく逆の話でした。報道に出てくる刑務所の過剰収容の背景は、あたかも凶悪犯罪や凶悪犯が増えて、刑務所がいっぱいになっているかのごとくですが、実際はまったく違う。精神障害者や高齢者や仕事を失った外国人など、刑務所は社会的に「弱者」と呼ばれている人々であふれかえっているという事実でした。
 その後、浜井先生は「法学セミナー」誌上で連載をしていた「
刑務所の風景―社会を見つめる刑務所モノグラフ 」でも、高齢となって仕事ができなくなり、初犯(執行猶予期間中)にもかかわらず、さつま揚げ一個の万引きで老人が受刑する姿、福祉の専門家ではないのに、受刑者のリハビリ的な処遇に奔走する刑務官。精神障害による妄想を受刑者が刑務官に力説している姿などを詳しく描いていきます。あまりに悲惨過ぎて、滑稽とも思えてしまう情景を濁すことなく記されている淡々とした文章に、むしろそのような描写は避けるべきではないのかというような感覚、そして「避けたい」という思いを覚えた私こそが変だと気が付くまでにそう時間はかかりませんでした。
 こうして、二つの論文を読んで浜井先生の主張に興味を持ち、ほかの主要論文を読んだあと、感想のお手紙を書いて、芹沢さんの前著「ホラーハウス社会」を同封してお送りしました。

 浜井さんは朝日新聞に掲載された芹沢さんのインタビューをお読みになっていたらしく、「やっと表でも同じようなことをいってくれる人がいるんだなあと思っていたんですよ」と返信をくださいました。そのお手紙からのやりとりが結果的にはこういった本として形になるとは、そのときは思いもしませんでした。
 お手紙を出した時期から、「ホラーハウス社会」の宣伝の意図で、自分のブログを作っていたのですが、あるとき、浜井先生の論文のなかから、自分が驚いた以下のようなデータを抜粋して掲載しました。それは「日本は主要各国のなかで犯罪被害率がほぼ最低といっていいにもかかわらず、量刑意識が世界一高いこと、少年への厳罰意識も世界一高いこと」というものでした。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10012353519.html
 そのときの記事はネット上のさまざまなところで紹介をしていただいたようで、1日で3000人もの人にその記事を閲覧していただきました。突然のアクセス数の増加、反応にひとりでちょっと(いやかなり)びっくりした記憶にあります。
 ネット上の言説に対して便所の落書きだとか無責任なヘイトスピークの横行している怖い場というようないわれかたが、既存のマスコミではなされることが多々あります。しかし、自分で実際にブログをやってみて、先の反響の大きかった記事の紹介のされ方などを見て、それははっきりと違うと実感することができました。昔からの犯罪ニュースを集めてデータベースを作ったり、マスコミ、言論人の言説や国会の委員会の議事録など種々こまごましたニュースを拾い集めて、根拠をもった批判検証している人々が存在していました。これにはマスコミ関係者の末席に名を連ねるものとして頭が下がる思いでした。私もふつうの心配症の人間ですので、編集として著者を守ることを考えます。浜井さんや芹沢さんの論考自体、世論の「常識」とはまったく逆のことをいっているという自覚もあります。「本当に読者はわかってくれるだろうか」「浜井先生の統計データは難しくないだろうか」といろいろと心配していたのも確かです。でもそうしたネット上の同じ主張をしてくれた方から応援の言葉をいただいたことが、「よいと思ったものを出す」「事実をきちんと書けば読者はわかってくれる」という、編集者魂というと口はばったい気もしますが、その思いだけで一途に本を作らせてもらった原動力になりました。既存のマスコミはネット上の言説は無責任だと批判しますが、既存のマスコミの言説こそが無責任だと指弾するネット上の彼らの存在が皮肉なことに私を初心に戻してくれたのです。
 例えば、「ホラーハウス」の同時期に出版された「ニートっていうな!」の著者のおひとりである後藤和智さんは同じ問題意識をもってくださるだろうと思い、彼のブログにトラックバックやコメントをたまに送ったり入れさせてもらっていました。浜井先生や芹沢先生の著作をご自身のブログで紹介してくださり、後藤さんのブログ経由で「犯罪統計入門」や「ホラーハウス社会」を購入してくれたり、私のブログに訪れてくださった方も大勢いると思います。
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/
 本のあとがきはお世話になった方に謝辞を述べるのが恒例になってますが、そういった意味と同じく、ネット上で浜井先生や芹沢先生のエントリーや記事や本を紹介してくださった方に心からお礼をいいたいと思います。


 浜井さんも芹沢さんも、お話をしていると、おふたりとも、そういえばマスコミに出てくる論者たちがあまり言わなくなったなということをたまにおっしゃります。 「正しい」分析で「正しい」施策で、「人にあまり負担がかからないもの」といった言葉です。「正しい」という言葉は「正義」という意味ではありません。分析や検証としての「正しさ」です。
 今多くの論者が「正しい」と自分の分析に自信をもっていえなくなっているのではないでしょうか。言論の推移をただ眺めていくメタな視点に立つことはできても、それはただの引用集になっていないでしょうか。それは「自分が攻撃されては困る」といった自己保身の姿勢だけではないのでしょうか。結果的には「感情で世間が動いているよねー困ったもんだね。民ってばかだねー」と世を憂う、そのへんの居酒屋談義を変わらないことになってはないだろうかと。
 もうそろそろ、私たちはプロとして「正しい現実の解釈合戦」をやっていくべきではないかと思っています。
 浜井先生と先般お打ち合わせしたときに、おっしゃっていた言葉を最後に。
 「安原さん、正直いって、刑務所から受刑者が出所するときに、ここから出すのが悪いかなあ、かわいそうかなあって人、たくさんいますよ」
 そんな社会であるという「現実」に、せめて目を逸らすことなく向き合いたく、この本を届けます。


**

 本日はこの本の芹沢さんのインタビューがありました。

 そして、光文社さんではPOPつくり。

 

 光文社の編集の黒田さん、かなりタイトなスケジュールのなか、影にひなたに配慮や采配をしてくださり、ほんとうにありがとうございました。黒田さんがいなくてはこの本は出せなかったと思います。マスコミのなかにも違和感をもっている人は少なからずいると思います。がんばりましょーね!

 
POP1  インタビュー中の芹沢さん
POP5  光文社の黒田さんと芹沢さん、打ち合わせ中


POP4  著者「手書POP」を緊張しながら書いてる芹沢さん(と茶々入れてる私 笑)