僕たちの家に帰ろう

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兄のバーテル、弟のアディカーは、羊の放牧ができる草原を求めて移動している父、病気で入院している母とは離れて暮らしています。兄は祖父のもとに預けられ、弟は小学校の寄宿舎。バーテルは、アディカーが母の愛情を独占していると嫉妬し、いつも兄のお下がりばかりのアディカーもバーテルに焼きもちをやき、兄弟2人の仲はしっくりいっていません。夏休みに入ったのに、いつも迎えに来てくれていた父が来てくれず、祖父も亡くなり、兄弟は父を訪ねていくことにします。チーズ、干し肉、水などをラクダに乗せて兄弟は旅立ちますが...。

舞台となっている河西回廊は、古代シルクロードの一部で、交通の要衝として栄えた地域。しかし、かつては緑豊かだった土地も、水源が枯れ、人が住めない場所となってしまっていました。兄弟が行く道には、誰も住めなくなって放置された家が点在し、ようやく人と出会えた寺院も、翌日には最後に残っていた人が出ていくとのこと。以前は、兄弟の祖先が勢力を持ち、栄えていた土地が荒廃し、そこで生活していたユグル族も滅びつつあることが実感させられます。

"ユグル族"は、中国北西部に住む少数民族。9世紀には30万人もの人口があり、甘州ウイグル王国を建て発展していました。現在、1万4千人程しかいないとのこと。70~80代の高齢者は民族の言葉であるテュルク語しか話せない人が多いようですが、10代でテュルク語を話せるのは3~5%程度。ユグル族の90%はテュルク語を話せなくなっており、文字もすでに消失しているそうです。本作に出演した兄弟役の子どもたちはユグル族ですが、彼らの話すテュルク語は、本作出演にあたって習得したものだそうです。

祖父とともに街で育ったバーテルは、方位磁石が壊れ途方に暮れます。一方、父と砂漠を行き来したこともあるアディカーには、それなりのサバイバルスキルがあります。兄も弟も相手への嫉妬を抱えて穏やかでないところに、砂漠で生きる力のアンバランスさが絡み、微妙な関係が生まれるのですが、その辺りのそれぞれの感情が丁寧に描かれ、物語の味わいを深めています。

移動を繰り返す放牧の生活より定住する農耕生活の方が"貯蓄"はでき、経済的には豊かになります。さらに、工業化すれば、生活はより便利になります。"古き善き文化"を守るために、自分とは関係のない誰かに豊かで便利な生活を諦めろというのは傲慢というものでしょう。すでに、当たり前のものとして"文明的な生活"を手に入れている私たちにユグル族の人たちに放牧という生活のスタイルを守れなどと言えるものではありません。

けれど、環境の破壊は、人々の生活の基盤そのものを損ねていきます。中国の"発展した都市"では公害の問題が出ているわけですし、いくら広大な土地があるからといえ、"人が住めない地域"がこの勢いで拡大していったら相当遠くない将来、住む場所に困ることにもなりかねません。どこかで何かを諦め、利便性と環境保全のバランスと取らなければならないのでしょう。けれど、誰が何をどう諦めるかということについては、皆が納得できる方向性を見出すことが難しく、解決しにくい問題です。本作に、人々に打ち捨てられた遺跡や集落や寺院が登場しますが、いつか、私たちはこの地球をすることになるのでしょうか。

ラスト。静かですが、なかなかショッキングでした。街で育ち、砂漠で過ごすことに慣れていなかったバーテルが、過酷な旅を乗り越えていく姿に民族の未来への希望を感じていたりしたのですが、それだけに、衝撃的でした。

私たちの行く先についても考えさえられる作品でした。人が住めなくなってしまってはいてもなお美しい砂漠の風景も印象的です。観ておいて損はない作品だと思います。


公式サイト
http://www.magichour.co.jp/uchi/


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祖谷物語-おくのひと-

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祖谷物語-おくのひと- [DVD]/武田梨奈,田中泯,大西信満
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自給自足の生活を夢見る青年、工藤は東京から自然豊かな山里の祖谷へやってきます。けれど、一見、長閑に田舎の村にも、土建業者と自然保護団体の対立、餌を求めて畑を荒らす猪や鹿と人間の戦いなど、様々な問題が起こっていました。ある日、工藤は山奥でひっそりと暮らすお爺と春菜に出会います。電気もガスもない中での2人との生活は工藤の心をゆっくりと浄化していきます。けれど、春菜は進学について悩むようになり、お爺の体調も悪化していきます。田舎での生活に期待を寄せていた工藤も、厳しい自然との共存に限界を感じるようになり...。

"自然が優しい"というのは、自然から切り離された都会で生活する者の幻想なのかもしれません。自然というものは、決して、人間の都合に合わせてできているわけではなく、その中で生きる者たちが、激しい生存競争を繰り広げる"生き残るの戦いの場"なのです。皆、いかに、長く生き残るか、多くの子孫を残すかという課題に必死に取り組んでいるワケで、そのために毒を持ったり、他の何かに擬態したり、他の生き物に寄生したり、様々な工夫をしているのです。

その"人間に優しくない自然"を人間にとって都合の良い形に変化させてきた過程こそが、人類の繁栄の歴史でもあるのだと思います。基本的な衣食住をできるだけ手間暇かけずに安定して手に入れられるようにし、気候の変化による影響を少しでも減らせるようにするための弛まぬ努力が文明の進歩だったのだと思います。

それが進みすぎれば、当然、歪みが生じるようにもなり、そのことへの反省から、流れを戻そうという動きも出てくることでしょう。結局は、どこでバランスをとるかという問題になるのでしょうけれど、万人に共通するような正解を見いだせる問題ではなく、行きつ戻りつしながら、それぞれの生き方を探っていくことになるのでしょう。

映像が美しいです。大自然の風景の息をのむ美しさは印象的です。木々の緑とその合間に見える清流、電気のない真っ暗な夜、一面が真っ白に覆われた雪景色...。まるで、「昔々...。」と語られるお伽話の舞台となりそうな風景の中では、作中では度々起こるファンタジックな出来事も、当たり前に起きる普通のことのように思えてきます。

美しい風景が心にしみますが、実際問題、本当にその場に身を置けば、様々な種類の虫がウジャウジャいたり、テレビも見られないとか、PCやスマホも使えないとか、熱いとか寒いとか、ちょっとしたことに手間暇かかるとか、問題噴出。暖かい部屋で観るから雪景色の映像は美しいのだし、涼しい部屋で見るから夏の日差しに輝く木の葉の緑の鮮やかさが楽しめるのだし、いろいろな虫と遭遇する心配がないから都会にはない夜の景色に感動できるのでしょう。

後半に登場する春菜が東京で生活する部分については、もう少し、短くまとめてもよかったのではないかと思います。祖谷での生活を描いた部分では、あまり、長さは感じずに集中して観ることができたのですが、東京の部分では、長さが気になってしまいました。まぁ、そうした部分を含めての祖谷での生活と東京での生活の比較だったのかもしれませんが、それにしても、もう少し、コンパクトにしても良かったのではないかと...。春菜の祖谷での溌剌とした表情と、それとは対照的にほとんど話すこともない東京での表情の落差とか、その辺りの描写で、十分に表現できることがあったはずなのですから。

ところどころ、話が飛んだりするので、少々、置いてけぼりをくう部分もあったり、流れがぎくしゃくして集中力が削がれる部分もあったりするのですが、それでも、圧倒的な映像は観る価値ありだと思います。

春菜を演じた武田梨奈も良かったのですが、お爺役の田中泯が圧倒的な存在感を見せていて印象的でした。

単純に田舎が良いということでも、都会が良いということでもなく、田舎から都会、あるいは都会から田舎に移って馴染んでいく人もいれば、結局、元に戻って落ち着く人もいる。祖谷という土地そのものが主人公であるようにも思える本作ですが、それにも拘わらず、単なる田舎大好き、大自然万歳な流れになっていない辺り、好感を持てました。


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君が生きた証

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君が生きた証 [DVD]/ビリー・クラダップ,アントン・イェルチン,フェリシティ・ハフマン
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やり手の広告宣伝マンのサムは大きな契約をまとめ、祝杯をあげようと大学生の息子ジョシュを強引に呼び出します。ところがジョシュは店に現れません。サムは、店のテレビに映し出された大学で起きた銃乱射事件の速報ニュースに気付き嫌な予感を覚えます。ジョシュは亡くなり、サムは、仕事を辞め、豪邸も失います。2年後、会社を辞めて荒んだボート暮らしを送るサムを、別れた妻が訪ねてきます。「あの子の音楽好きはあなた譲りだから」と渡されたのは、生前にジョシュが書き溜めていた自作曲の歌詞とデモCD。曲を聴いたサムは、ジョシュが何を思い、何を感じて暮らしていたのかをまったく知らなかったことに気付きます。ジョシュが遺したギターでジョシュの曲を爪弾くようになったサムは、場末のライブバーの飛び入りステージに参加します。その演奏を聴いたロック青年のクエンティンは、「あの曲はもっと多くの人に聴かせるべきだ」と力説。サムは、その情熱に押し切られ、親子ほど年の違うクエンティンと"ラダーレス"バンドを組むことになりますが...。

子どもに先に死なれるというのは、親としての最大の不幸だと思います。ジョシュを失ったサムの哀しみの大きさも分かるような気がしますし、ジョシュの死をきっかけに彼の生活があれていくことも分かる気がします。けれど、サムの日々の描写には、どこか違和感が漂います。途中で、その理由が明かされ、観る者は、衝撃とともに、その違和感の理由を知ることになります。

亡くなった息子が遺した曲を世に出そうとする父の物語と、力がありながら世に出られずにいたバンドの成功物語が重ねられ、若者たちのバンドが、同じくらいの年齢で亡くなったジョシュの曲で世の中に認められていくという流れになっていくのかという予測が見事に裏切られます。この展開が結構、ドキッとするのですが、ヘンに感情的に盛り上げるような描写はしません。全体に抑えた描写で、様々な出来事や登場人物たちの心情を懇切丁寧に説明してくれる作品ではないのですが、ちょっとした映像で、見事に登場人物たちが置かれた状況などが伝わってきます。その辺りの描写が巧く、物語が心に沁みてきました。

ラスト。その先のことが明確には描かれておらず、ほかの解釈も成り立つ描写ではありましたが、サムは、全てを背負ってその街で生きていく決意をしたのだと受け取りました。大きな喪失を味わい、重いものを背負わされたサムにそこで生きる道を見出させ、周囲がサムの想いを受け止められるようさせる、音楽にはそれだけの力があるということなのかもしれません。静かで深く、そして、微かではありながらも確かな希望を感じさせるエンディングだったと思います。

サムやクエンティンたちが出入りする楽器店の店主、デルを演じたローレンス・フィッシュバーンが印象的でした。良い味出しています。


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以下、ネタバレあり。







事件により奪われた命。当然、被害者となって命を奪われた者の遺族は無念でしょうし、悔しいでしょうし、辛いでしょう。けれど、本当は、加害者の遺族も辛いのです。ある意味では、被害者の遺族以上に。その辛さ、哀しみについて、周囲からの理解を得やすい被害者遺族に比べ、孤立しがちだし、より複雑な想いを抱えることになるわけで...。そして、ジョシュくらいの年齢になれば、その言動の責任の全てを親に負わせるというのも理不尽な話。そう、どんな親だって、子どもの全てを担えるほどの力を持ってはいないのです。親とはいえ、神ではなく、ただの人間なのですから。

そこをテーマとしたことで、印象深い作品となっています。で、音楽が素晴らしい。ただ、もしかしたら、音楽の完成度を追求するなら、ストーリーは単純明快にした方が作品としてのバランスが取れるのかもしれません。本作の場合、作品の印象が音楽に引っ張られ、物語の深さを描き切れていない感じがしました。

そして、一番の難点は、ジョシュがしたことと彼の遺した音楽が繋がらないこと。あんな風に自分を表現する手段を持っていて、何故、あのような行為に出てしまったのか...。自死し、その時に誰かを巻き込んでしまったというのなら、まだ、分かる気がするのですが...。

悪人だけが罪を犯すのではありません。善人だと思われていた人物も、ごく当たり前の人間だと思われていた人物も、ちょっとしたきっかけで大きな罪を犯すことがあります。

害を被った側が加害者を許すのは簡単なことではありません。けれど、被害者が本当の意味で幸せを取り戻すには、許すという過程を避けて通れないものなのだと思います。恨みや憎しみを抱きながら、幸せになれるものではありません。もちろん、だからと言って、許せない被害者を非難することは間違っています。被害者が加害者を許す気持ちになれるまで、被害者が支えられ、癒されることが大切なのだと思います。そして、加害者が許されるには、自らの罪に向き合うことが必須なのでしょう。加害者の遺族の生き方というテーマに考えさせられました。







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映画 ST 赤と白の捜査ファイル

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映画「ST赤と白の捜査ファイル」 [DVD]/藤原 竜也,岡田 将生
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今野敏の小説「ST 警視庁科学特捜班」シリーズを基にしたテレビドラマの劇場版。小説は未読、テレビドラマはDVDで観ています。

天才ハッカーによる囚人の脱獄事件が勃発。その後、容疑者、鏑木徹は焼死体として発見さます。鏑木殺しの容疑者として逮捕されたのは、警視庁科学特捜班STのリーダー、赤城左門でした。罪を認めた赤城は、その理由を「鏑木は許しがたいことをした」と言いますが、詳細については何も答えようとしません。リーダー不在でSTは解散することになりますが、赤城は留置場から脱走。警察は追跡に、青山、結城、黒崎、山吹のSTメンバーを招集。STは赤城を捕まえるため特別復活することになります。異動を2日後に控えたSTの責任者、百合根友久も、赤城の無実を信じ、捜査に参加、事件の鍵を探り当てます。それは、"フギン"という感染したコンピューターから情報を抜き取るサイバー暴露ウイルスでした。事情を知る謎の女、堂島菜緒美に辿り着くますが、ひと足早く何者かによって誘拐されていました。取り残された菜緒美の娘、椿と行動を共にする百合根。そこへ赤城が現れ...。

良くも悪くもテレビドラマを観た人向けのスペシャル番組といったところでしょうか。テレビドラマを観ていないと、個々のキャラクターとか人間関係の部分で分かりにくい部分があるような気はしますが、テレビを観ていれば、個々の成長や人間関係の変化も感じながら、楽しむことができると思います。

個々のキャラクターはそれでも、それぞれユニークなのですが、ドラマの初期の頃と比べると、STの面々が、大人になったからか、最初の尖った感じとか、どこか大きく欠けた部分があったりするところとかが薄れてしまい、普通の人になってきてしまったという印象を受けました。まぁ、いい加減にイイ歳の大人たちなので、丸くなっていくこと自体は仕方ないと思うのですが、STならではの人物造形という点では物足りなさも感じます。テレビドラマの続きとして観る分には、その"成長"も実感できて感慨深いものもあったりはするのですが...。

ところどころに青臭いセリフも散りばめられ、ちょっと気恥ずかしい部分もありましたが、悪くない感じの"大人の青春物語"になっていたと思います。赤城と百合根の互いに素直でない中にも相手への想いが感じられる遣り取りにもクスッとさせられたり、シンミリとさせられたりしました。

テンポ良く物語が進んでいくので、最後まで集中力を切らさず心地よく観ることができました。

映画館に行ってまで観るべきとも思えませんでしたが、それなりに楽しめる内容ではあるので、レンタルのDVDでなら、十分に楽しめるのではないでしょうか?


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トレヴィの泉で二度目の恋を

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トレヴィの泉で二度目の恋を [DVD]/シャーリー・マクレーン,クリストファー・プラマー,マーシャ・ゲイ・ハーデン
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長年連れ添った妻を亡くし、生きる気力を失った老齢のフレッドは、娘に勧められ、あるアパートに引っ越します。隣の部屋には陽気でおしゃべり好きなエルサが住んでいました。2人の出会いは最悪でしたが、ある事件をきっかけに、"やっかいな隣人"からやがて"気になる存在へ"と変わっていき...。

フレッドが、意外に素直で肩透かし感ありました。偏屈な頑固爺さんってあんなものではないような...。彼が気持ちを変化させていく過程が、もっと丁寧に描かれていれば、違和感なく観られたのではないかと思うのですが..。

いくら何でも悪ふざけし過ぎなエルサなのですが、そんなエルサに可愛らしさが感じられるようになっていくのは、シャリー・マクレーンの演技力と、エルサのファンタジーを受け入れる覚悟をしたフレッドの懐の深さゆえなのでしょう。エルサのためでなく、自身のためにもローマへの旅を決意してから、物語が俄然、魅力的になります。特に"甘い生活"の映像と重ねられていく部分が見事。若く、しかも、とびきりの美男美女な恋人同士の映像が、御年80歳を超える2人と重ねられるのですが、意外に、違和感なく観ることができました。エルサとフレッドが、若々しく微笑ましく感じられ、ほっこりとしました。

次々に嘘、それも、結構、肝心な部分でのしょうもない嘘が多いエルサに苛立ち、ある話に対して"証拠を見せろ"というフレッド。そんな誰でもが言いたくなるようなフレッドのセリフに、エルサは、"証拠がなくても信じることが大切"というようなことを言います。嘘ばかりの我が身を振り返るとか、自分の嘘がフレッドに与えた影響とか、そんなものを全く考慮しないエルサは大問題だと思うのですが、それでも、このエルサの言葉は、"信じる"ということの本質を表現しているようにも思えます。証拠があれば、それは、信じるかどうかの問題ではなくなります。認めざるを得ない事実であることが証明されることになるのですから。客観的な証拠がないことだからこそ、信じるかどうかの問題になるのだと思います。神と同じように。

エルサのような女性に振り回されるのは、自分の世界の中で過ごしたいフレッドにとっては傍迷惑以外の何物でもなかったはず。けれど、そんなエルサのペースに乗せられたからこそ、新たな世界に踏み出すことができました。エルサの出現により、混乱もし、当惑もしたことでしょう。けれど、当たり障りのない互いに相手の世界に何の変化ももたらさない、無傷な関係に止まりながら、人が人ときちんとした関係を築くことは難しいのかもしれません。それぞれが自分自身の核を大切にしながら、互いの世界に影響を与え合う、そんな在り方を目指したいものです。

こんな風に日々を過ごせるなら、こんな風に人生を終えることができるのなら、歳をとることも悪くないと思える物語でした。地味だし、哀しさも感じさせるラストになっていますが、ほんのりとした幸福感も漂う結末でした。

ラストを変にお涙頂戴でしめなかった点には好感を持てました。死ぬことは人間としての必然であって、絶対的な悲劇ではないのですから。


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6才のボクが、大人になるまで。

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6才のボクが、大人になるまで。 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]/パトリシア・アークエット,イーサン・ホーク,エラー・コルトレーン
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メイソンは、テキサス州に住む6歳の少年。父、メイソンSrと別れ、キャリアアップのために大学で学ぶと決めた母オリヴィアに従って、姉サマンサと共にヒューストンに転居した彼は、そこで思春期を過ごします。アラスカから戻って来たメイソンSrとの再会、母の再婚、義父の暴力、そして初恋...。周囲の環境の変化に時には耐え、時には柔軟に対応しながら、メイソンは静かに子供時代を卒業していく。やがて母は大学の教師となり、オースティン近郊に移った家族には母の新しい恋人が加わります。一方、ミュージシャンの夢をあきらめた父は保険会社に就職し、再婚し、子どもも得ます。メイソンも高校を卒業し、母の元から巣立つ日を迎え...。

いろいろあったメイソンの少年時代ですが、少なくとも今どきのアメリカ社会において、特別に不幸なものとは言えないでしょう。両親の離婚や再婚といった子どもにとっては大きな事件も起こりますし、義父のDVの問題もありました。誕生日に銃のプレゼントとか、いかにもアメリカ的でドッキリでしたし...。けれど、基本的には、母は愛情を持って子どもたちに接しているし、実父も悪い人ではなく、彼なりに努力もしていますし、子どもたちへの愛情も嘘ではありません。

メイソンの経験も、同じ時代の同じ地域の少年にとっては普通のものだと思いますし、特別にドラマチックとまでは言えないような気もしますが、登場人物の1人1人が自然に年を重ねていく感じが良かったです。12年間という長い年月を描きながら、1人の人物が同じ人物をずっと演じ続けるという画期的な試みが上手く活かされていると思います。

身勝手で子どもたちを振り回しているようなオリヴィアですが、自分の目標に向かってきちんと努力を重ねていることも確か。その姿を子どもに見せたこと自体が子どもたちにとって大きな意味のある教育になったことでしょう。"子どものために"と自分を犠牲にするというのも親としての責任かもしれませんが、自分の夢に向かって頑張る姿を見せるのも子どもにとって大きな意味を持つのではないかと思います。子ども2人を抱え、日常の生活を成り立たせながら、大学の教員になれるレベルまでの勉強をするという困難を成し遂げる姿を子どもたちに見せることができたのですから。

DVの義父の元に取り残された義父の子どもたちはどうなったのかとか、途中退場した人物のその後が気になる部分はありましたが、"あの人はどうなったのだろう"と気になりながらもわからないままの人が少なからずいるというのもリアルと言えばリアル。ドキュメンタリーでなく、フィクションにすることで生々しさを巧く調整しながら、リアルに1人の少年の成長と家族の物語を描いたといったところでしょうか。

このような作品は二度と撮れないのではないかと思われるレベルの作品ですが、単なる物珍しさを超え、一つの作品として楽しめる作品に仕上がっていると思います。淡々と多くのエピソードが繋がれていくのですが、構成も巧いのでしょう、165分という長さを感じずに最後まで観ることができました。一度は観ておきたい作品だと思います。


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きらきらひかる

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きらきらひかる [DVD]/薬師丸ひろ子,豊川悦司,筒井道隆
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江國香織の同名小説を映画化した作品。原作は未読です。

27歳のフリーの翻訳家、香山笑子は、親の勧めで見合いをすることになります。相手は30歳の医師、岸田睦月。見合いの席で笑子はアルコール依存症を、睦月は同性愛という事実を打ち明けます。そのことがきっかけで二人は結婚。やがて、笑子は睦月から恋人である大学生の紺を紹介され...。

紺の部屋で洗濯物を丁寧にたたむ睦月とか、笑子に季節によるオレンジの種類を語る紺とか、笑子と睦月の家で「お風呂先によばれました」の紺とか、ファミレスでの笑子とウエイトレスの会話とか、ところどころに印象的なシーンが散りばめられています。日常の些細なところを丁寧に温かく掬い取るような描写が心に沁みます。

最初は、打算で形だけの結婚をしたはずの笑子が、次第に、夫としての睦月を求めるようになっていく様子とか、睦月が笑子と紺を見つめる視線に混ざる嫉妬の感情とか、笑子の紺に対する、紺の笑子に対する嫉妬とか、その辺りの微妙な感情が、それぞれの視線や表情、仕草に現れていて、しみじみと伝わってきます。

脇もビッグネームで固められ、それぞれが流石の演技で物語に厚みを出しています。笑子を演じた薬師丸ひろ子も、情緒不安定な感じに説得力を持たせていたと思いますが、やはり、透明感のある清々しさは見えてくるわけで、キャラクター的にはミスマッチだったかと...。で、予想外に存在感を出していたのが、ファミレスのウエイトレス、土屋久美子。「生きていくってことが幸せってもんよ。お客さん。」って、よかったです。

1992年の制作ですから、23年前の作品ということになります。さすがに出演陣の皆様、若いです。(紺を演じた筒井道隆だけは、今とあまり変わらない感じで、一人だけ、違う時間の流れを生きてきたのではないかと思ってしまいましたが...。)そして、シャツインやボリュームのある肩パッドといった服装とか時代を感じさせられます。そもそも、笑子と睦月のような2人が打算で形だけの結婚をする必要に迫られるということ自体に時代が感じられるわけですが...。

舞台となっているところに馴染みの場所もあり、そういう意味でも懐かしさを感じながら観ることができました。

ラストは微妙でしたし、ところどころ心に残るシーンがある割に全体としての印象はボケた感じになってしまっていますが、悪くはなかったと思います。


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ふたつの名前を持つ少年

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実話を基にしたウーリー・オルレブによる児童文学「走れ、走って逃げろ」を実写化した作品。原作は未読です。

8歳の少年スルリック(アンジェイ・トカチ、カミル・トカチ)は、1942年、ポーランドのユダヤ人強制居住区から脱走。父と2人でナチスの兵士に追い詰められますが、父にユダヤ人であることを隠して逃げるよう言われ、父が兵士の注意を引き付けている間に森へ向かいます。寒さと飢えに襲われ倒れますが、ヤンチック夫人に助けられます。夫と息子がパルチザンとして活動しているヤンチック夫人は、スルリックを匿い、架空の身の上話とキリスト教徒としての振る舞い方を教え込みます。ナチスの手が迫り、夫人のもとを離れたスルリックは、"ユルク"というポーランド名を名乗り、農村を回りながら寝床と食べ物を求めます。やがて心優しい一家と出会い落ち着くことができますが、やがて、ユダヤ人であることがばれてしまい...。

武器を持った多数の兵士と犬に追われながら逃げ切るとか、正直、盛り上げすぎな印象を受けました。まぁ、実話ベースなので、いくら奇跡的でもそれが事実と言われてしまえばそれまでなのですが、もう少し、リアルな感じにして欲しかったと思います。

ところどころ、少年の顔が違うような感じがして気になったのですが、ダブルキャストだったようです。スルリックを演じる2人は一卵性双生児とのことですが、ちょっと顔から受ける印象が違いました。どうして、ダブルキャストにする必要があったのかは???。どちらか1人の方が良かったと思うのですが、何らかの必然性があったのでしょうか...。

ラストは、かなりアッサリでした。するリックにとって、大きな決断の場だったわけですから、ここは、もう少し丁寧にスルリックの表情を追って欲しかった気がします。そして、エンドロールでのその後の映像は、蛇足だったような...。本編が余韻のある映像で終わっているので、ここは、後日談を加えるにしても、文章で簡潔に示すだけの方が良かったのではないかと...。

スルリックを追払う者もいれば、騙してナチスに売り懸賞金を得ようとする者もいれば、危険を冒してまで助けようとする者もいれば、ナチスの将校でありながら彼を見逃す者もいる。世の中の情勢に拘わらず、良心に従い自分の正義を守ろうとする人々もいる。そこに、人間の強さが感じられ、人の可能性への希望が見えてきます。そして、何よりも、スルリック自身の生へ向かう強靭な精神力。かなり危機的な状況にも見舞われますが、諦めず生きる道を歩み続けます。まだまだ幼い彼のどこからこれ程の力が湧いてきたのか...。そこにも、人間の大きな可能性が見えてきます。

森や川、穀物が実り黄金色に染まった畑、ポーランドの風景を捉えた映像が美しく目に沁みました。雨はスルリックの体力を奪い、寒さは彼を凍死寸前まで追い詰めますが、それでも、すべてを白く覆い尽くす雪景色は、やはり、美しかったです。スルリックは、食べ物を手に入れ、火をおこし、生き延びるための技と知恵を身に付けていきますが、時に彼に辛く当たる自然は、彼に生きる糧をもたらしもします。

人間社会も、自然も、スルリックを力を与えることもあり、追い詰めることもあります。戦時中でなくても、実は、私たちは、そんな中で、生きているのかもしれません。そのバランスは時々で変わりますが、悪一色でもなく、善一色でもないところに、社会や自然の幅の広さ、豊かさがあり、そこにドラマが生まれるのかもしれません。

残念な部分もありましたが、過酷な状況を描きながら、ところどころユーモラスな場面も散りばめられ、戦いの中でも失われない人間性を見せてくれる作品でした。


公式サイト
http://www.futatsunonamae.com/


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死後50年を経過した2005年、メキシコの著名な画家、フリーダ・カーロの遺品の封印が解かれました。2012年、その遺品を撮影するプロジェクトが立ち上がり、フリーダ・カーロ財団は、その撮影を石内都に依頼します。メキシコシティへやって来た石内都は、フリーダ・カーロが生まれ育った"青の家"と呼ばれる場所で、コルセットや洋服や靴などを次々と写真に収めていき...。

以前、フリーダ・カーロをテーマにした映画、「フリーダ」を観ています。

単なる"物"を撮るというのではなく、既に亡くなってしまった、かつて、その服に包まれていた人の面影までをフィルムに焼き付けようとする姿勢が感じられました。フリーダ・カーロが身に着けていた物たちの中に遺された魂を映し出そうとするようなその迫力には、心打たれるものがありました。

"フリーダ・カーロ=様々な不幸や苦痛と闘い続けた芸術家"というイメージでしたし、それが事実の大きな一部であったことは間違いないと思うのですが、石内都の写真を観ていると、苦しみの中にも、確かな幸せや喜びがあったことが感じられます。それは、自然光の中でフィルムを使うという撮影方法によるところも大きいのではないかと思います。

テーマ自体は魅力的だし、フリーダ・カーロも、石内都もそれぞれに魅力的なアーティストだし、内容的にはかなり興味を惹かれました。最初、何だかぎこちなかった博物館スタッフと石内都が徐々に馴染んでいき、信頼関係を築いていく様子に、石内都の仕事への評価の高さと、この"仕事"の成功への確信が得られました。その辺りの描き方は、ヘンにドラマチックに盛り上げず、自然に違和感ない形で伝わってきました。けれど、映画作品として面白かったかというとかなり微妙でした。

フリーダ・カーロに的を絞る部分と、石内都を描く部分との絡め方がギクシャクしていて、作品全体の焦点がボケてしまっているような感じがしました。フリーダ・カーロの母の出身地を訪ねるシーンも、それが、フリーダ・カーロの生き方や彼女の衣服と関連する部分だから取り入れたというのは分かるのですが、唐突感があり、観ていて集中力を削がれます。

フリーダ・カーロと石内都、2人の女性の人生が重ねられるという感じでもなく、それぞれのエピソードがバラバラに並べられているという印象を受けてしまいました。石内都のパリ在住の友人の件にしても、そこに挟み込まれることには違和感がありました。

メキシコ名所巡りやオアハカ訪問をグッと絞り込んで、もっと、フリーダ・カーロの人生や石内都が撮った写真を見せて欲しかったです。(それは、写真集などで見ろってことでしょうか...。)

アオハカの伝統衣装、テワナは、実にカラフルで、重厚感があり、作り手や着る者の想いも感じられて魅力的でした。そして、作中で、語られるテワナと着物の共通点も興味深かったですし、パリでの展覧会に現れる石内都の着物姿も、ちょっと着崩した感じがカッコよく印象的でした。この着物姿の石内都とテワナ姿のフリーダ・カーロが重なっていく感じがしました。

映画作品としては残念な部分も感じましたが、内容的には、一度は観ておきたい作品だと思います。


公式サイト
legacy-frida.info


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戦場ぬ止み

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沖縄県の名護市辺野古で海を埋め立ててアメリカ軍基地を建設する計画をめぐり、2014年8月14日、沖縄防衛局と海上保安庁の大船団が大浦湾に現れ、基地建設に反対する人たちと衝突。機関砲を装備した船も投入されます。同年11月の県知事選では保革を超えた島ぐるみの闘争に発展。緊張を増す沖縄の様子を追うドキュメンタリー作品。

沖縄本島では最後のサンゴとジュゴンの楽園となってしまった辺野古の海。美しいサンゴが生息し、ジュゴンが泳ぐ美しい海。その海の豊かさと美しさには圧倒されます。

"美しい海を守りたい"、"自分たちが生きる環境を守りたい"、"故郷を子孫に残したい"という気持ちが伝わってきました。ただ、一方で、"感情論"では、"敵に銃剣を突き付けられた家族を守るため"という感情論を説得するのは簡単ではないと思うのです。本当は、"敵に攻め込まれる"前に、そうならないようにする外交力が大事だし、どんなに軍備を増強しても、それを交渉の手段として使いこなす外交力がなければ戦争には勝てないと思のですが...。

軍備を増強することの無意味さ(軍備を強化することは敵を作ること、敵を強くすることにも繋がる)とか、戦わずして勝つための外交力の強化とか、本当に国を守りたいのなら、もっと先に考えなければならないことはあるし、何より、アメリカ軍を支援することが日本を守ることには繋がるとは限らないような...。いつか、何らかの理由で、アメリカが日本の敵となる可能性はあるのですから...。そして、最近の日本の中東での動きのように、日本がアメリカべったりになることで敵を作ることもあるわけですから...。事実、アメリカは敵も多い国です。

2011年3月11日、大きな災害に見舞われましたが、その後、私たちは、多くの国の支援を受けました。その背景には、日本が武力で他国と戦わずにいたこと、多くの国を援助してきたことがあったのではないか...。武力を持たず、国の開発や経済面での援助を行うことは、確実に、"防衛力"になるのではないか...。様々な政治体制の様々な宗教を持った国々からの支援が届いた背景をきちんと分析することで、国際社会の中で有利に生き抜く方法を見出すことができるのではないか、武力を増強する前に、"戦える国"になる前に、そのことを真剣に考えなければならないのではないか...。

米軍基地がどうこうという以上に、"武力を持たずに負けない国になる方法"について考えさせられました。(本当は、作中で、もっと、この"武器を持たなくても負けない方法"について言及して欲しかったですが...。)

沖縄の基地問題をテーマにしている映画ですが、単に、辺野古での基地建設賛成、反対の対立を描くだけでなく、賛成派vs反対派の2派に単純に分けられない複雑さも見せてくれています。直接、ぶつかっているのは、反対派と警察官や海上保安庁ですが、特に警察官の多くは地元の住民。同じ沖縄県人なのです。反対派の本当の敵は警察や海上保安庁の人間ではなく、彼らを動かす政府。睨み合う2派の間にも、それなりの交流があったりして、ユーモラスな遣り取りさえ交わさる場面もあり、そこに、沖縄の人々の逞しさと問題の複雑さを実感させられました。

そして、生活を基地に依存せざるを得ない住民が少なからず存在することも事実。本当に基地を沖縄からなくすためには、そのために仕事を奪われる人々のための職場が必要。"平和主義"や"憲法九条"が強力な武器になり得ること、基地に頼らなくても人々が生活できる基盤を作ること、その2つが、沖縄の人々が一致団結して基地を排除するために不可欠なのではないかと思います。

本作は、政治運動以外のところにある人々の生活にも目を向けています。伝統的な音楽が奏で、歌い踊る人々の姿には、ごく当たり前の日常を大切にする肩ひじ張らない自然な生活が感じられます。基地に反対するか賛成するかということを超え、沖縄に生きる人々の姿を描いた作品と言えるのかも知れません。

基本的には基地に反対する人々に寄り添いながら、けれど、賛成する側や反対派を妨害する側を単純に敵とはしないことで、本作に深みが出ていると思います。

一度は観ておきたい作品だと思います。


公式サイト
http://ikusaba.com/


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