岡山城鉄砲隊は、藤岡流古式砲術を継承している火縄銃の砲術隊で、

県内外各地の行事に出掛け古式砲術の演武を披露しています。


藤岡流砲術とは、慶長年間近江甲賀郡の住人、元祖藤岡六左衛門長悦が創始したものである。
初代、藤岡六左衛門長悦は稲富流の小筒を得意とし、それを池田輝政に見込まれて、

慶長14年に播磨100万石宰相と呼ばれた姫路の池田輝政に250石で召し抱えられた。
長悦は稲富流砲術の小筒に、種子島鉄砲大筒の抱え撃ちを砲技に加えた。
輝政の死後長悦は池田忠継に仕え、慶長19年の大阪の陣では、

輝政から拝領の30匁玉の大筒を放って功績をあげ350石取りの侍になった。

慶長期、因幡の池田家に仕え、備前へ国替え後も引き続き池田家に仕えた。

以来、岡山藩の砲術として藤岡流は、面々と受け継がれた。
特に藤岡流砲術は藩主に近接した流派である。           

                               (岡山城鉄砲隊ホームページより)



岡山城鉄砲隊の入場、

普通岡山城鉄砲隊は池田家の家紋である備前蝶の旗ですが、

今回は宇喜多秀家フェスなので宇喜多家の家紋ですね。


つれづれに-1

甲冑姿の勇壮な武将がステージの方へ向いて勢揃いしました。

そうですよね、観客の方へ向けては撃てません。

観客席(芝生)の最前席にいた私は、後ろ姿しか見えないので移動することにしました。
つれづれに-2
ところが、既に満席で後ろの方からの見物になりました。


法螺貝の合図と共に、立ち放ち一斉の構え。
つれづれに-3

火縄銃が一斉に火を噴いて、モクモクと硝煙が充満しました。

火薬の臭いも凄いです。
つれづれに-4

膝立ち放ちつるべ撃ち

砲術は多種あるらしく、つるべが落ちるが如く順にリズミカルに撃って行きます。

つれづれに-5
立ち放ち順射
つれづれに-1
大筒は20、30、50、100匁とあるそうで、

100匁は城壁とか建物の破壊に使用されたそうです。
つれづれに-2

ドカーンと大筒が火を噴きましたが、瞬間が撮れてませんでした。
つれづれに-3

他にも馬上筒、短筒の披露もありましたが、立ち放ち一斉射撃で終了しました。


つれづれに-4
観客を魅了して退場です。
つれづれに-5

岡山城鉄砲隊は大人気で、年間20回も県内外のイベントで活躍してるそうです。


年内スケジュール


10月14日 鳥取三十二万石お城まつり  


10月28日 岡山県古武道祭


11月 4日 三好長慶武者行列まつり(徳島県)


11月11日 矢掛宿場まつり「大名行列」   → こちら