宮崎県えびの市、鹿児島県霧島市の廃校休校巡り(2023/08/16) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

えびの市は、宮崎県の南西部に位置する市です。

1966年(昭和41年)11月3日 飯野町・加久藤町・真幸町が

対等合併し、えびの町が発足しました。
1970年(昭和45年)12月1日 えびの町が市制施行。

えびの市となりました。
市の南部は霧島山、えびの高原の火山と火山性高原で形成され、

霧島屋久国立公園に指定されています。

同市は九州自動車道と宮崎自動車道の分岐点であり、宮崎県・

熊本県・鹿児島県の都市を結ぶ国道(国道221号・国道268号

・国道447号)の交点に位置することから、都城市と共に

宮崎県南西部地域における陸上交通の要衝となっています。
 

霧島市(きりしまし)は、鹿児島県本土の中央部にある市です。
2005年11月7日、国分市と姶良郡溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・

隼人町・福山町の1市6町が合併して誕生しました。
鹿児島県では、鹿児島市に次いで2番目の人口規模を有する市です。

薩摩地方と大隅地方、また宮崎県を結ぶ交通の要所で国道・鉄道などの

交通手段が発達し、古くから鹿児島県内有数の都市として発展してきました。
また、鹿児島空港の開港、九州自動車道の開通による地理的な条件を生かし、

国分隼人テクノポリスの指定を受けて、ソニーや京セラなどのハイテク産業が

発展しました。
一方で日本百名山の霧島山や、鹿児島神宮の初午祭、霧島温泉郷や日当山温泉、

妙見温泉などの温泉で知られる観光地でもあります。

 

人吉ループ橋

九州自動車道を南下、人吉IC下車後、国道221号を利用し

えびの市へ向かいます。

古くから交通の難所であり、高低差を緩和させるためにループ橋が

掛けてあります。

ループ橋は2か所あり、熊本県側に人吉ループ、宮崎県側にえびのループが

あります。人吉ループ橋は1977年(昭和52年)に完成、ループ区間の

長さ1190m、直径190m、円周600m、複数の橋でできており 

ループの規模は東洋一だそうです。

橋脚の高さは最高60mもあります。

ちなみに九州自動車道では、ループ橋の代わりに、加久藤(かくとう)

トンネルを利用して短時間でえびの市に抜けることができます。

 

加久藤(かくとう)小学校(現役)

えびの市に入ると、県道30号(霧島バードライン)に入ります。

えびの駅付近を通過する際に見た小学校です。

えびの高原と呼ばれる盆地状のなだらかな高原に本校があります。

全校児童198名(令和5年度)の現役校です。

 

目指すのは分校です。

引き続き県道30号を南下、牧草地の広がる整備された道路を

走ると程なく、尾八重野(おべの)地区に到着しました。
違和感を覚えるのは、漢字4文字と読み仮名3文字が符号しないからです。。

地区の案内板がありましたが、かなり大雑把です。

緑の平原に迷路のように道路が描かれており、牛の絵があるものの、

分校がどこにあるのか不明です。

 

沿道に低い門柱を見付けて立ち寄ります。

 

右側の門柱には、加久藤小学校。

 

片方は、尾八重野分校としっかり刻まれています。

 

校庭は緊急時のヘリポートに使用されています。

 

広い校庭の奥に校舎が見えます。

 

校舎の全景

思ったよりも近代的な校舎です。

 

校舎の近景

2棟の平屋校舎の接合部分は尖った屋根の独特の形をしています。

 

奥に周ってみると玄関があり、屋内運動場に繋がっています。

 

 

不思議な形の体育館です。

 

円形に近い(恐らく12角形)独特のデザインの体育館です。

 

校舎裏側の様子

 

玄関の様子

 

廊下の様子

 

教室の様子1

 

教室の様子2

簡易ベッドが数床おいてありますが、閉校後は宿泊施設として

使用されたのでしょうか。。

 

教室の様子3

冷蔵庫や調理台がありますが、給食室だったのでしょうか。。

 

黒板

よくみると、子どもらの落書きではなく、過疎地域の切実な想いが

書いてありました。

「鳥もうまい、肉もうまい、飯全部うまい

何故 人が減るんだ??」

 

学校の教育目標、標語、学校像、教師像などが掲示してあります。

かがやく未来に夢をはぐくむ子

くじけずになんでも挑戦する子

ともだちの心を大切にする子

うんどうにはげみ心と体をきたえる子

 

校庭の様子1

国旗掲示台のポール3本が樹木と背比べをしています。

 

校庭の様子2

閉校となっても綺麗に手入れされています。

 

校庭脇の遊具

 

 

コンクリート塀に「おべの」

 

草むらに埋もれたモニュメント

卒業記念作品でしょう。。

 

入口の標柱

「伝統を受け継ぐ ぼくら おべのっ子」

 

加久藤小学校尾八重野(おべの)分校(2012年休校、2018年廃校)

本校から約8㎞南に位置し、牧草地の広がる高原に立つ分校です。

沿革をみると、

1947年(昭和22年)    加久藤村立加久藤小学校尾八重野分校として創立
1955年(昭和30年)    加久藤町立加久藤小学校尾八重野分校へ改称
1966年(昭和41年)    えびの町立加久藤小学校尾八重野分校へ改称
1968年(昭和43年)    えびの市立加久藤小学校尾八重野分校へ改称

1987年(昭和62年) 全校児童19名
2012年(平成24年)    休校
2018年(平成30年)    廃校

廃校後は、地区のコミュニティセンターとして利用されているようです。

 

川内川(せんだいがわ)の風景

えびの市街に戻り、国道268号から国道447号へ入ります。

途中、川内川を渡るときの風景です。

川内川は、熊本県最南部、宮崎県南西部および鹿児島県北西部を

流れ東シナ海に注ぐ一級河川です。

当日は、晴天に恵まれ、遠方に県境の連峰までハッキリ見えました。

 

川内川の近景

川面のブルーと岸辺のグリーンのコントラストも鮮やかです。

 

引き続き国道447号を北上していくと、JR真幸(まさき)駅に

突き当たります。

1911年(明治44年)開業した歴史のある駅舎です。

小さな木造駅舎と存在感のある大木が対照的です。

 

真幸駅は、えびの市最西端に位置し、JR九州肥薩線の駅で

唯一の宮崎県内の駅です。

 

駅舎内の様子1

無人駅となっており、閑散としていましたが、駅舎の歴史を語る

写真や訪問者の寄せ書き等で溢れています。

 

駅舎内の様子2

険しい山間を走る蒸気機関車の雄姿も掲示してありました。

 

駅舎内の様子3

真幸駅は、「真の幸せに入る」に通じる、「真っ先に幸せになる」との

縁起の良いネーミングのため、全国からファンが訪れるようです。。

 

ホームに向かいます。

 

 

駅名標と幸せの鐘

 

幸せの鐘

いっぱい幸せの方は3回鳴らすようです。。

 

駅名標

隣駅は矢岳(熊本県)、吉松(鹿児島県)と県境を跨いで

駅舎が建っています。
 

矢岳方面の風景

肥薩線・矢岳越えは、日本三大車窓の一つに数えられてます。

 

吉松方面の風景

 

支柱の錆びた乗り場案内

 

長らく運行せず錆びたレール

2020年(令和2年)7月豪雨による営業休止のまま、現在も
復旧の目途が立っておらず、真幸駅に入線する列車はいません。

 

駅舎に居た猫1

人懐っこい猫でした。

誰か餌をあげているのでしょうか。。

 

駅舎のコンクリートに横たわり涼をとっていました。。

 

JR真幸駅から国道447号を進むと程なく、坂道を上った

場所に分校跡が残っています。

バラスを敷いた空地の奥に見える校舎が、真幸小学校西内堅分校です。

 

校舎の前に立つ大木に圧倒されます。。

 

校舎の全景

簡素な平屋校舎です。

 

玄関の近景

天井は黄色で塗装されています。

 

玄関から奥は、校長室、職員室がありました。

天井の一部は破れています。

 

玄関から手前(左側)に、各教室がありました。

 

大きな庇が掛かる校舎の端部からは、かつて切妻瓦屋根の

平屋木造校舎(旧校舎)が連なっていましたが、解体済と

なっています。

現存校舎は新校舎です。

 

校舎の裏側の様子

 

バラスの敷地を引き返すと、苔生した階段があります。

 

かなりの年季の入った石段を上って行くと。。

 

そこは、校庭でした。

児童らはここで遊んだり運動をしていたのですね。。

 

老朽化した飼育小屋

 

にわとり(ちゃぼ)を飼っていたようです。

 

曜日ごとに当番を決めて飼育していたのでしょう。。

 

校庭の脇に建つ旧校舎お別れ同窓会記念碑

かつては、校庭の場所に校舎があったようですね。

 

真幸小学校西内堅(にしうちたて)分校(2001年閉校)

宮崎県最西端にあった分校です。

沿革をみると、

1952年(昭和27年)真幸町立真幸小学校西内堅分校創立
1959年(昭和34年)真幸町立西内堅小学校として独立
1966年(昭和41年)えびの町立西内堅小学校へ改称
1970年(昭和45年)えびの市立西内堅小学校へ改称

1972年(昭和47年)内堅集落が土石流被害にあい、児童数が減少。

1987年(昭和62年)全校児童10名
1998年(平成10年)えびの市立真幸小学校西堅分校へ改称
2001年(平成13年)閉校

 

国道268号に戻り、南下、鹿児島県湧水町に入ります。

湧水町役場から県道55号を南下、霧島市に入ると県道50号を

西へ進む横川町に入ります。

山ケ野地区は、かつて金鉱山で栄えた集落で多くの人々が

働いていました。

1640年に発見され一時期は佐渡金山をしのぐ日本最大の

産金量を誇りましたが、次第に採掘量も減少、1965年に

閉山しました。

 

現在でも、往時の史跡や遺構が残っています。

山ケ野小学校跡も史跡の一つです。

 

地区の文化財案内図

 

小学校跡の案内の示す方向に進みます。

 

長らく使用されていない古い石段を登って行きます。

 

校門の表札は風化していました。。

 

奥にポツンと一棟、校舎らしき建物が見えましたが、

伸び過ぎた雑草が行く手を阻みます。

 

雑草を掻きわけて近くまで辿り着きました。

 

校舎の全景

他にも校舎があったようですが、現存しているのはこの校舎のみです。

 

校舎の近景

グリーンの屋根に見えたのは、雨除け用のシートでした。

風で飛ばぬよう土嚢が置いてあります。

 

玄関の近景

木板の表札の文字が劣化していましたが、山ケ野グランドゴルフまでは

判読できました。

閉校後はグランドゴルフ関係の施設として使用されていたのでしょう。

 

校舎の反対側

 

反対側にも校門がありました。

 

此方は銘板が刳り貫いてありました。

 

校庭の様子

グランドゴルフ場として使用されていたのでしょうが、

現在は手入れもされていません。

 

校庭脇の樹木の陰に赤い鳥居と祠が見えました。

金鉱山に関係のあるものでしょうか。。

長らく手入れも足を踏み入れた形跡もありませんでした。

 

草むらに埋もれんばかりに石碑が建っています。

 

山ケ野小学校跡碑です。

 

山ケ野小学校(1971年閉校)

沿革をみると、

1879年(明治12年)    創立
1941年(昭和16年)    山ケ野国民学校へ改称
1947年(昭和22年)    横川町立山ケ野小学校へ改称
1971年(昭和46年)    横川町立安良小学校へ統合、閉校

往時は、鉱山関係者の多くの子弟らが通ったことでしょう。

しかし、閉山後は急速な過疎化により、小学校も命運をともに

するかのように歴史に幕を下ろしました。

 

引き続き県道50号を西へ進みます。

山ケ野小学校と同様に親切な案内札があるので、迷うことは

ないと思います。

高木地区も山ケ野地区の隣に位置し、同時代に金鉱山で栄えた

集落でした。

 

脇の急坂を登ります。

 

登って行くと、背の高い石造りの校門が一基だけ立っています。

 

校舎の全景1

樹木の陰にひっそりと佇む木造校舎です。

瓦屋根のこじんまりとした、民家のような外観です。

左側の低い部分は竹やぶに押し潰されそうです。。

 

手前の側面は、黄土色のベニヤ合板で補修したような跡が

見られますが、往時は横に校舎が続いていたのでしょうか。。

 

校舎の近景1

玄関はサッシに替わっているほかは、壁も窓枠もすべて木造です。

 

校舎の近景2

 

校舎の裏側1

側面と同様に黄土色です。

校舎の裏側2

竹やぶ側の校舎は特に補修もされず、外壁も朽ちていました。

 

校舎の裏側3

トイレは校舎と離れた別棟となっています。

入口に植えてある南天は、殺菌、消臭効果があると言われ、

古くからトイレの周りで見かけました。

先人の知恵ですね。。

 

 

校庭の様子

山を切り開いた校庭は、耕作地となっていました。

 

校舎の奥に石柱が二基建っています。

 

高木小学校独立記念碑

日付は1951年(昭和26年)4月1日です。

 

小学校跡記念碑

創立 1891年(明治24年)4月

卒業生901人

閉校 1963年(昭和38年)3月

 

高木小学校(1963年廃校)

高木小学校は、霧島市の最西端の山奥にあった学校です。

小学校跡のある旧横川町は、江戸時代より山ケ野金山で

栄えましたが、閉山とともに人々は流出し小学校も閉校と

なりました。

沿革をみると、

1891年(明治24年)創立
1930年(昭和5年)山ケ野小学校高木分教場となる
1947年(昭和22年)横川町立山ケ野小学校高木分校へ改称
1951年(昭和26年)横川町立高木小学校として独立
1963年(昭和38年)横川町立安良(やすら)小学校への

統合に伴い閉校

閉校後は地区の公民館として使用されているようです。

統合先の安良小学校は、全校児童25名(2023年(令和5年)4月現在)

と決して多くもなく、過疎少子化が進行しています。