侍 | ひふみ塾 世回りブログ

ひふみ塾 世回りブログ

子ども達の未来のために食や医療などの真実や嘘を暴いて行こうと思います!

夜路死苦お願いします!



原発20キロ圏内に生きる男





 2011年3月11日、いまだかつて経験したことのない規模の震災と原発事故により、壊滅的被害を受けた福島。原発から20km内では、今も尚、全域が警戒区域となっている。
その中にある富岡町では、飼い主を無くした牛や豚、犬や猫など、多くの動物たちがかろうじて生きながらえている。
 もはやこの区域の畜産動物は、なんの価値もない無用のものとなった。そんな動物たちに対し、自治体は殺処分命令を下し、職員らは注射器を持ってやってくる。
その職員の前に1人の男性が立ちはだかる。
「牛や豚に、その注射針を刺すというのなら、その前に、おまえたちにも刺してやる!」と。
 この男性こそ、警戒区域の富岡町に残り、震災直後の動物たちに天命をまっとうさせることを自ら決断し、動物たちを守る為、2年たった今でも、動物たちが住みやすい環境を作り、餌をやり続けている松村直登さん(53歳)である。

 この映像は、VICEが今年の3月10日に公開した、最近取材した松村さんのインタビュー映像「原発20キロ圏内に生きる男」である。

希望の番人

  依然線量のでている警戒区域に残る松村さんの人体への影響を心配する声も多いと言うが、特に体の不調はないという。
都内の病院で被ばくの影響についての検査を受けたが「今はまったく問題なし」だったそうだ。
 松村さんは、「なんでそこまでして、残された動物たちを救おうとするのか、どうして殺処分から動物を守ろうとするのか」とよく聞かれるのだそうだが、「なぜ動物たちを見捨てて行けるのか。どうして、牛たちを殺さないといけないのか。」と逆に聞きたいだという。
 松村さんは、町の職員は、本当は家畜などを殺したくないのだということもわかっている。
でも、彼らは上からの命令に逆らうことはできない。だから何度追い払ってもまた注射器をもってやってくるのだとも。
 松村さんはもともと建築関係の仕事をしていて、畜産業を営んでいたわけではない。子どもの頃から動物は大好きだったそうだが、全てのきっかけは、
「オレがここにいる限り、おまえたちを餓死させることなんか絶対にしないからね」
と野良犬とした約束を守ることからはじまったのだそうだ。

  松村さんは現在も、電気も水道もない状態で、飼い犬のアキと拾ってきた放浪癖のあるタロウの二匹、それに二羽のダチョウと猫数匹のペットを従え、富岡町の動物たちのお世話をしている。
 人はある時、究極の選択を迫られる。いまだかつてないような出来事に遭遇した時、これまで築き上げてきたものが全て崩れ去った時、改めて今後の、自らの生き方を決断しなければならない。
 土壇場とも言える状態になると、平穏な時に「こうあるべき、こうしよう」考えていたことは、まったく通用しなくなくなる。
また、これまでは第三者として 「それはこうするべき、正しい、間違っている」などと客観的に判断を下していたつもりでいても、実際当事者となってみると、まったく違った結論がそこに待ち構えている場合もある。
 自分の頭で考えていたつもりでも、実は自分に都合の良い情報だけを取捨選択しているだけで、もしくはまわりの意見を自分の意見と思い込んでいるだけで、それはリアルの前では何の意味ももたないことにやっとそこで気が付く。
 人間は考える動物であると言うが、実際に自分の身に想像を絶することが起きると、もっとも本能に近い部分で、何かを選択をし、思いもよらなかった行動にでるものだ。
何度も言うが、どれが正しくて、どれが間違っているというわけではない。
 自分はそうなった時、何を考え、何をするのか?その後の人生は自分で決めなければならないということは、裏を返せば「自分で決める」ことができるということだ。
強い意志を持ち、まわりに左右されることなく、流されることなく、自分の今後を自分で決めることができるような強い精神力をまず鍛えていきたいと思った。
最終的には平等に淘汰されていく、1度きりの人生なのだから。





転載終了〉

動画を見て率直に思ったのが、富岡町という一つの国を守る国主に思えました。

人間という枠を超え、自分の生まれ育った富岡町の生き物達全てを守るため、敵を追い払い、仲間を思いやり、周りから何を言われようが自分の意思を通す姿に本当の自然の人間、野性的な人間、真の日本人としての精神性を感じました。

警戒区域に住んでいる、線量、汚染がどうのこうのではなく現代人が忘れている当たり前の事、当たり前の行動なのだと思います。

サムライジャパンなどと言いますが、

この松村直登こそ日本人が忘れかけていた、男の中の男、真の侍の姿なのではないでしょうか・・・?