★否決された原発県民投票条例案、運動は無意味だったのだろうか…… | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


静岡県の浜岡原発再稼働をめぐる県民投票条例が10月11日の県議会で否決された。
惨敗だった。
原案は全会一致で否決。
一部議員が提出した修正案も、賛成17、反対48で否決。
条例制定請願に署名した16万5000人の民意は実現されないことになった。
大阪市議会で惨敗、東京都議会でもだめ、
原発稼働についての住民投票条例案は3連敗である。


否決される理由、静岡でもいろいろ言われた。
条例案に不備がある、知事の真意が不明、与党の意思分裂、実施主体となる町村の反対、そして「いま投票したら再稼働反対が多数を占め、浜岡がやっていけなくなる」との恐れ……。
つぶすための理屈は、どのようにもつけられる。
同様に、それらをいちいち論破することは可能だ。
しかし、論破したところで意味はない。負けは負けである。


負け惜しみを言えば、こうなることははじめからわかっていた。
「議会」と言うところは「少数」の集まりだからだ。
言っている意味がわからない? 説明しよう、簡単なことだ。


議員の数は「静岡県議会=69人」、静岡県民=373万人。


どっちが少ない? 議員は圧倒的に少数派だ。
少数だが、条例を作る権利は彼らの側にある。だから……
説得に慣れた者たちは、議員に的を絞る。
だって、373万人1人ひとりを説得するなんて、無理だろう?
議会なら、69人の半分、35人を落とせば勝ちだ。
少数者に対してならどんな手だって使える(そうしたとは言わないけれど)。

独裁政治が危険なのは、この原理の究極の姿だからだ。
たった1人の気まぐれに数百万、数千万人の命運が握られる。
全員で決める方がいいに決まっている。
それが「民主」というものだ。
まあ、そうには違いない。
お金と手間暇はとてつもなく掛かるけれど。
数が多すぎて意図を持つ者の“説得”も効かないから、議会よりは頼りになる。
しかし、やはり現実的ではないだろう。
政治的な事柄をいちいち市民の総意で決めていたのは、古代アテネだけだ。
そして、アテネ市民は投票権と同時に兵役の義務があったことも忘れてはならない。
「決定権」を得るということは、今も昔も、それほど重い。


リトアニアでは実現したじゃあないか、と言う人もいる。
確かに。
かの国では、2008年の原発操業継続の可否をめぐる国民投票で、10対1で操業継続派が勝利をおさめた。しかし福島第一原発事故を受けた後に実施された今回、原発建設可否を問う国民投票では一転、建設反対派が65%となった。
「ほら、投票を実施すれば……」と言うことは可能だろう。
確かに、投票を実施したリトアニアはエラい。
エラいついでに言えば、この投票に法的な拘束力は与えていなかった。
何という先見の明だろう。
ゆえに次期政権は、「原発建設方針を変えない」という離れ業をとることができる。
投票は壮大な無駄遣いだったのだろうか。
次期組閣で中心人物になるはずの労働党党首はこう言っている。
「すべての情報を公開した後に、あらためて国民投票を実施し、建設の是非を最終的に決める」
この言葉がウソでなければ、国民投票は無駄ではなかったことになる。


さて、原発県民条例案の運動は無駄だったのか。
成功はしなかったが、正攻法で戦ったことはもっと評価されてもいいと思う。
運動にかかわりのない県の事務方が条例案にケチを付けたのは、慮外の出来事だった。
結果的には、このいらぬ横ヤリがすこぶる効果を発揮してしまった。


まことに残念なのは、つまらぬ役人根性のおかげで「議会がこの条例案にどのような対応をするのか」という最大の関心事が、ついにあやふやになってしまったことだ。
「欠陥条例」との決め付けによって、議員たちは容易にこの案を否決することができた。
もっと議員自身に悩ませるべきだったのだ。
是か非か、経済が大事か命が先か、今を取るのか未来を見据えるのか。
そういう高次の判断に悩みに悩み、結論を出すのが政治の醍醐味である。
今回は想定外の役人さんの大活躍で、その“権利”が奪われてしまった。
結果、誰もが鼻白むような、わかり切った、つまらぬ結論となった。


〈ああ、つまらない!〉
というのが僕の結論だ。
無駄だったのかどうかさえ、わかりゃあしない!!


このあと、住民投票に代わる“政策”を提案しようと思っていたが、やめた。
静岡県庁のすまし顔にどうにも腹が立つので、別のことを一言書いて終わりにする。


県庁は人が余っているのではないか。
静岡市と浜松市が政令指定都市となり、県の仕事の大半が両市に移管された。
それなのに、以前と同じ陣容を抱えているのは異様だ。
民間並みにスリムにすべきだ。
有り余る時間があるから、誰も頼んでいないのに民間人の出した条例案を疑い、重箱の隅をつつくような真似をする。
余剰人員の全員を、市や町や、民間に貸し出したらいい。
このままでは人材が泣く。
もてる才を遊ばせているとろくなことにならないことは、今回の事例でおわかりであろう。



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