「清盛らが帰ってくるのを討つべし!」と主張しました。
しかし、藤原信頼はその必要はないと退けました。信頼としては平清盛と縁戚関係にあったので清盛らも味方になると思っていたようです。
清盛はクーデターを紀伊国で知り、九州に落ち延びることも考えましたが紀伊国の武士らの協力があり帰京しました。
このクーデターは秘密裏に行われていたので源義朝の兵数は多くはありません。
東国からはわずかしか兵を呼んでいませんでした。
かたや清盛は西国が地盤で紀伊国の武士も加わり、この時点で兵数は義朝を上回っていました。
清盛が帰京後、清盛一門は信頼に従うふりをし、信頼らの油断を誘いました。
12月25日二条天皇派は二条天皇を内裏から脱出させ清盛のいる六波羅へ行幸しました。
さらに後白河院も任和寺に逃げました。
翌26日、信頼と義朝は事態を知りました。信頼らは動揺します。
義朝は信頼を罵倒します。
「この日本一の不覚人が!!」
つづく…