障がいをもつ子 | 過食と私

過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

先日出産しました。

ダウン症の女の子です。

可能性は知っていました。

妊娠初期の段階で兆候が見られたからです。

 

それから半年間、できれば健常児として生まれてくれることを願ってきました。

そう願うことも、もしもダウン症だとしたらお腹の赤ちゃんに悪いような気がしながら。

生まれて来た赤ちゃんはダウン症でした。

正直残念に思ってしまいました。

可能性を知らされて半年の間このことを考えない日はありませんでした。

どちらの場合も想定しなければと思っていました。

けどいくら想像してみても、やはり覚悟できることはありませんでした。

そして、現実は望まないものでした。

頭ではこの子がどれだけ頑張ってこの世に生まれて来てくれたか、この子にとってダウン症ということは不幸なことではない、不幸に思うのは周りの大人だけ、それはわかっているつもりですが感情がついていかない。

この子とやっていくんだと言うことは決めているのですが、愛おしいという気もちが追いつかない。

何しろ、帝王切開でもうろうとする中、何の感覚もないままに赤ちゃんが誕生し、その後すぐに大きな病院のNICUにつれていかれたので、産んだ実感も全くありませんでした。

私は2日間ほど動けず、一人ベッドの上で様々なことを考える時間が続きました。

そして、最初は冷静に考えていたものの、時間が立つにつれ辛い想いばかり湧いて来て泣きじゃくってしまいました。

 

3日目に痛む傷跡を抱えながら、夫とNICUに初めての面会に行きました。

まだ生んだ実感がありませんでした。

他人の子を観に行くような妙な気持ちでした。

 

NICUに入ると、私の赤ちゃんが保育器の中で眠っていました。

保育器の2つの窓から手をいれて撫でました。

まるで、籠の中の小動物と触れ合っているような気分でした。

それから、タオルにくるんで抱っこをさせてくれました。

小さな赤ちゃんでした。

 

次の日も会いに行きました。

たしかに可愛らしいと思います。

でもまだまだ母性が溢れるほどではなく、障がいのこともひっかかっている。

でもやっぱりかわいいとも思う。

なんとも複雑な心境です。

 

その夜。

出産の日のことを思い出していました。

その時は痛みで頭がいっぱいで早く終わってほしいばかりでした。

でも改めて思い出して、夫の必死の励ましとか、赤ちゃんがとりあげられた瞬間とか産声とか

わたしの顔に近づけてもらった赤ちゃんの表情とか。

いろんなことを今の自分で思い出すと次から次へと感謝の気持ちが溢れてきました。

それで、赤ちゃんが自分たちのところへ来てくれたことを心からありがとうと思いました。

 

ダウン症というものに対する抵抗感はまだあります。

無意識の偏見もあります。

ダウン症の特徴が出なければいいなとさえ思います。

それが今の自分です。

 

これから私がどれだけのものを乗り越えられるのか、受け入れられるのかはわかりません。

ただそんな今の私にできることは、やっとかわいいと思えた我が子とともに目の前の道を歩むこと。

それだけです。