震災支援を語る! | K&K FARM 小原英行のブログ

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同じ江戸川区の門倉農園と共に、発祥の地江戸川区で都内の学校給食を中心に小松菜を栽培出荷しています。

┏o ドーモデース♪


ネオニコの話を書こうと思ったのだけど

急遽こちらで。ネオニコの話は今晩1個あげマス。

簡単ですが、話題のネオニコについて

読んで欲しいpdfがありますので。




というわけで、あと2週間くらいで

あの東北の大地震から3年。



数日前、下町のあんちゃんこと清水さんから連絡があった。



『以前、カニ送った代わりに、小松菜を送って下さい。

と、2年前かな?しましたけれど、先日メール返信

頂きましたが覚えていますか。



今日、我が家で両親と3人で、岩手県大槌町の
「河合商店」からの「毛ガニ」食べました。
東京ではありえない値段で、大変美味しく頂きました。
そこで、相談です。また、英行さんのところに
「毛ガニ5匹」送りますので”小松菜”を送って
頂けないでしょうか。』



もちろん覚えている。



これが当時のブログだ。

ブログを読み返せば、この蟹の販売店の河合商店さん
当時、ネットで売ればいいっすよ!と言った俺に対し
まだパソコン含め勉強中とのことで俺が肩代わりして
販売したのを覚えている。

けど・・・


今日検索したらフツーにFBページ出来てたw


でね、下町のあんちゃんの好意は解るが・・・
俺は蟹を送ってもらって、小松菜を送る?
下町のあんちゃんが自腹切る必要ないだろw



フツーに俺が買うわっ!!!



ヽ(`A`)ノ

というわけで、蟹とか海産買ってレポりますw
で、下町のあんちゃんの男っぷりに
小松菜は現地にプレゼントじゃ♪

皆さまも今回でもいいし
気が向いたらFBチェックして
海産物買ってくださいまし♪



でね、なんで今日いきなりこんな話かって・・・
偶然って重なるものだよね。

下町のあんちゃんからメールが来てるなと思っていたら
江戸川区からも電話があった。
どうやら、某新聞社で震災支援をいまだにしている人の
取材をしたいとのことで連絡があったのだ。

結果、現在候補にあがってる。



電話の中で、役所の広報の方に震災支援のことについて
色々聴かれた。話していて懐かしくなるほどだったw


いやー・・・ホント懐かしい。
今となっては・・・


●白河市の学校給食支援
●南相馬市のよつば保育園への小松菜半額販売

※両方とも送料に関してはチャリティーで集めた金を
使ってます。ただし、尽きても続けマス。


それと・・・

●宮城の仮設住宅へ、気まぐれ挨拶小松菜プレゼント
暇になったときだけ、小松菜が余っているときだけ
趣味の範囲で送っています。


これくらいを続けている。
チャリティーBOXについては、なんとも多忙で
私生活のリズムも崩れるほどだったため、今はやっていない。
仮に送料等に限界が来ても、あとは自腹を切る方が
現状、作業的に楽だということになった。


元々チャリティーBOXで多くの人を巻き込んだのは
皆に支援を広げたかったから。
忘れて欲しくなかったし、気持ちはあっても何をやっていいか
解らない人が沢山居ると思っていたから、それを



利用してしまおう♪w

なんて思って、小松菜を送るから
その売り上げ額を全てを現地の為に使用しましょう。
という流れを作った。


やり取りから何から無茶苦茶忙しかったが
その時のつながりが今も大切なものとなっている。


元はと言えば、震災支援をスタートできたかと。
自分でも忘れてた・・・wそうだよね、何も接点ないのに
最初のきっかけはなんだったのかって・・・






これだ。
この我が娘(小松菜)を始めて仙台に送ったときの話。
きっかけになったのはウソみたいな一通のメールからだ。



すげー・・・w
我ながら・・・すげーわw
行動力あるなーwww


そして今に至る。

今日は作業が少なかったのと
小松菜も十分に太って来月の給食のオーダーも入って
大体の目途が付いたので震災直後から震災支援をしている

むこうに住む仲間で


ってのが居る。
彼らに『お元気ですか小松菜』をプレゼントしたw
明日届く。沢山食ってくれよな!



そう。

彼らとの付き合いも長く(彼らと言っても担当は女性だけどw)
元気かのぅ・・・と思って先ほど電話してみた。
一度もあったことがないのに、中学、高校くらいから知り合い
なんじゃーねーか?wくらいの勢いで会話をする。


で、電話の向こうでは・・・

元気でやっているが、活動資金も最初の頃の様には
まるで異なり、まったく集まらず、活動する頻度を下げることで
なんとか続けるだけになっていると。




むぅ・・・。いいのかこれで。



現地の状況を聴けば

『瓦礫が片付いた以外、なーーーんにも変わってません。
仮設の人たちにも、いつまで続けられるか聞かれましたけど
頻度を落として、期間を長くするしかないです・・・って
答えるしかないんですよねー・・・。』




うーむ・・・。
活動資金ねぇ、ホント難しい。
繋がりある俺ですら、毎日震災支援のことなんて
さすがに考えてられないのは事実で、仕方ないと思う。

けど、あの3年前のあれは事実で
今も同じような状況で仮設住宅で過ごす人は
無茶苦茶多い。


関東も雪で農家なんて大打撃を受けた。
東京都伊豆大島だって土砂被害があった。

それも大変な災害だけど、それらをきっかけに
東北の震災も、まだまだ思い出さなきゃダメじゃねー?
忘れちゃダメじゃねー?って思ったわけ。



支援、何か出来ないか。
これも個人でやるには限界がある。
一人一人に負担の無いレベルまで人数集めて
例えば地域レベルまで人数増やして、それで
被災地支援をすりゃーいいのではないか。


ってずっと思ってんだけどね。
そこまで多くの人の賛同を得ることを個人で
やるのは、なかなか難しい。


サイトだけ作ってアクセス稼げず凍結したw

これを江戸川区をモデルにして
全国に派生しようとしたんだけどねw
野望は叶わぬ。叶えば誰もほとんど負担なく
半永久的に支援が続いたんだけどな・・・。


発想は悪くなかったが、根性が足りなかった。
今では俺一人www故に細々と白河市だけ。

いくら被災地が広大な規模だと言っても
どう考えても非被災地の方が、被災地よりも大きい。
寄って集って僅かな支援を重ねれば
随分違うのではないかと思う。

個人で大きい支援を続けることの負担は
とても大きく、簡単なことではない。


羽生選手も金メダルを取ったことだし
何かまた考えてみたらどうだろうか。

とりあえず蟹買ったりw
あとは、向こうの友達に電話してみて
何かないか聞いてみたり。

簡単に気にかけていることを手紙出してみたり。
震災の影響って原発の話ばっかりになっているけど
実際は違うよな。