大人になると、自分が 何を感じているのかが わからなくなるときがあります。
感情に蓋をしていたり、罪悪感で覆われていたり、見ないようにしていたり、様々です。
でも、子どもの頃は みな 感情に素直でした。
快ければ 笑い、不快ならば 泣きます。
いつから、感情が まっすぐに 感じられなくなってきたのでしょう?
要因のひとつは、会話にあるように思います。
「○○ちゃんが、おもちゃを取ったの。」
「お姉ちゃんなんだから、貸してあげなさい!」
悲しいと感じた気持ちは、お姉ちゃんだから 我慢することになりました。
「お兄ちゃんが、叩いたの。」
「もう!また兄弟げんかなの?ちょっかいを出すから やられるのよ!」
叩かれて みじめな気持ちは、ちょっかいを出したから悪い、という言葉に かき消されました。
「叩かれて 痛いよ~。」
「もう お兄ちゃんでしょ?泣かない!強い!強い!」
泣くこと、痛さや こわさは 感じないことにしました。
「悲しかったね。」
「こわかったね。」
「不安だったね」
一言 寄り添うだけで、子どもは 自分の気持ちに気づきます。
泣き声を聞いてみてください。
ビンゴの気持ちだったとき、泣き声が変わります。
悲しい気持ちは、気づいてもらえると 軽くなります。
うれしい気持ちは、倍になります。
そして、自分の気持ちを 聞いてくれた人に対して 素直な気持ちになります。

子どもの気持ちに 寄り添うことで、
「それは、子どもを甘やかすことに なるんじゃないですか?」
「それでは、子どもは 善悪を知らずに 育てつのではないですか?」
と おっしゃる方も います。
そんなことは、ありません。
共感をしても 同意する必要はないからです。
気持ちには 共感するけれど、その行動は 必ずしも肯定はしません。
たとえば、子どもが 高いところに 上ろうとしています。
どんな風に 声をかけますか?
気持ちに寄り添うと、たとえば こんな風に なります。
「高いところに 上りたかったんだね。 (共感)
でも、落ちたら 危ないから 下りようね。 (行動は正す・同意はしない)」
共感とは、なんでも 肯定することではないのです。
子どもは、親から ありのままの気持ちを 受け止めてもらうことで、
自分の気持ちを 隠したり、ねじ曲げたりしないで すみます。
感じてよい気持ち、悪い気持ち、と 選別する必要も なくなります。
感情=自分自身です。
子どもの 自己肯定感にも つながっていきます。

【勇気づけ】褒めない&怒らない子育てのぐるっぽで 「子育てストレスは独特なもの」という記事を ご紹介いただきました。
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