7月に入って、少しのんびりしてしまい、今月最初のアップです。
ボクのブログのサブタイトルには、
「Music Life」という言葉が付いているのですが、
もともと、自分が聴いてきた音楽を、
自分の体験談や思いと絡めながら綴っていこうと思い、
こんなサブタイトルをつけました。
同時に、その音楽的体験の中に、大事な音楽雑誌の存在があり、
これも、このサブタイトルの意味合いに含めているのです。
シンコーミュージックから1998年まで発行されていた音楽雑誌、
「ミュージック・ライフ」
たまたま、自分の勤めている会社から、
このシンコーミュージックのビルのある神田小川町が、
比較的近い距離にあり、
客先に出かける途中に、地下鉄駅のすぐ近くにあったこともあり、
何度かこのビルを見かけていました。
先週末の定時後に、久々にちょっと思いたって、
このビルのある神田小川町付近までの散歩をする機会がありました。
写真のような、坊主頭の目立つ看板(笑、仕立てYシャツ屋さんです)の
左隣に細長くたつのがシンコーミュージックのビルです。
ビル自体は、昔から変わらず古いままですね。
以前は、すぐ近くに、ロックアーティストグッズ販売の店もあったと思うのですが、
今は面影もないようです。
このあたりが、現在の刊行物なんですね。
少し遅い発刊だけど、「YOUNG GUITAR」や「B-PASS」「CROSSBEAT」あたりは、
かなり古いほうの雑誌じゃないかな。
「ミュージック・ライフ」は、戦前にジャズ雑誌としてスタートして、
あのビートルズ来日時には、最初にインタビューした雑誌として知られ、
70年代から80年代にかけて、ダントツの売り上げの洋楽音楽誌でした。
実は、ここから、神田神保町あたりの古本屋に、
「ミュージックライフ」が残ってないかなあと思って探そうとしたのですが、
このあたりの古本屋は18時過ぎには閉まってしまうため、
見つけることができませんでした。
ヤフオクとかネット通販で見るしかないですね。
したがって、この画像は広いものです。
「ミュージック・ライフ」、通称MLの想い出といえば、
毎月掲載されるレコードレビューを、一足早くチェックできるイベントとして、
毎月だったか、銀座コアビル7階のテクニクスショールームで開催されていた、
音楽試聴会(「レコードレース~これがヒットだ」みたいなタイトルだった)に、
何度か足を運んだことでした。
新譜の試聴や、新着PVの試写会、プレゼントイベントなどがあり、
参加されていた音楽評論家の方たちのトークも楽しくて、
懐かしいイベントでした。
当時のML編集長でボーイッシュな感じの東郷かおる子さん。
今は亡き音楽評論家の重鎮で、モーニング娘。のアドバイザーでも知られた、
故・福田一郎さん。
色グロでぴったりしたジーパンが似合ったかっこいい人でした。
ラジオDJで人気だった、大森庸雄さん。
当時「全米Top40」のアシスタントDJで、現在もラジオで活躍中の、
かわいらしいスヌーピーこと今泉恵子さん(現・圭姫子)。
そのスヌーピーと「全英Top20」他の番組DJで活躍し、
モッズ、パンク評論家や、クラブイベント「ロンドンナイト」で知られた、
大貫憲章さん。
(大貫さんは、アメブロでブログを書かれています)
MLは、比較的メジャーなロックアーティストやアイドル系も多かったのと同時に、
HR/HM系のアーティストも人気があり、数多く取り上げられていました。
(HR/HM=Hard Rock & Heavy Metal)
やはりこのイベントでお見かけした、
当時のML副編集長の酒井康さんや、HR/HM評論家として知られる伊藤政則さん。
この二人が84年に、MLから分家して、HR/HM専門誌として作られたのが、
現在も刊行中の、「BURRN!」です。
この雑誌の編集長になった酒井さんや伊藤さんが、
「全英Top20」の後の時間帯に、「ロックトゥデイ」という、
HR/HM専門番組まで放送していたのですが、
この雑誌の名前の元となり、また番組のテーマや、
雑誌のTV、ラジオスポットにも使用された曲が、
ディープ・パープル「紫の炎(Burn)」
☆Deep Purple "Burn" from the album "Burn"
Billboard Hot100へのチャートインはありません。
この曲は、1974年に第3期ディープ・パープルとして発表された、
「紫の炎(Burn)」のアルバムタイトル曲で、
シングルヒットではないとはいえ、彼らの代表曲の一つです。
当時は、新ヴォーカリストとして、後にホワイトスネイクで活躍する、
デヴィッド・カヴァデールが加わった最初の作品で、
この動画に出てくるカリフォルニア・ジャムの映像も、
よく知られているものです。
「ブラックナイト(Black Night)」や、「ハイウェイ・スター(Highway Star)」、
「スモーク・オン・ザ・ウォーター(Smoke On The Water)」などの、
名曲で知られる彼らですが、
個人的にそんな想い出もあって、彼らの中でも一番好きな曲かもしれません。
そういえば、今年亡くなった、レインボウのロニー・ジェームズ・ディオも、
この曲よく歌ってた記憶があります。
ちょっとMLから、話がそれてしまいましたが、
「ミュージック・ライフ」は、当時対抗勢力であった雑誌、
「ロッキン・オン」に1980年代末に、売り上げで逆転されて以降、
90年代に入って勢いが衰え、
1998年10月号で、突然の休刊になってしまうのですが、
毎月買っていたわけではないのに、今もなつかしい音楽のつまった
そんな想い出に浸りながらの散歩でした。
この「ミュージック・ライフ」他の音楽雑誌で、
大変な人気を誇った美貌のバンド。
そのバンドについて、次回紹介したいと思います。
(SBさん、お待たせしました。(笑))
ボクのブログのサブタイトルには、
「Music Life」という言葉が付いているのですが、
もともと、自分が聴いてきた音楽を、
自分の体験談や思いと絡めながら綴っていこうと思い、
こんなサブタイトルをつけました。
同時に、その音楽的体験の中に、大事な音楽雑誌の存在があり、
これも、このサブタイトルの意味合いに含めているのです。
シンコーミュージックから1998年まで発行されていた音楽雑誌、
「ミュージック・ライフ」
たまたま、自分の勤めている会社から、
このシンコーミュージックのビルのある神田小川町が、
比較的近い距離にあり、
客先に出かける途中に、地下鉄駅のすぐ近くにあったこともあり、
何度かこのビルを見かけていました。
先週末の定時後に、久々にちょっと思いたって、
このビルのある神田小川町付近までの散歩をする機会がありました。
写真のような、坊主頭の目立つ看板(笑、仕立てYシャツ屋さんです)の
左隣に細長くたつのがシンコーミュージックのビルです。
ビル自体は、昔から変わらず古いままですね。
以前は、すぐ近くに、ロックアーティストグッズ販売の店もあったと思うのですが、
今は面影もないようです。
このあたりが、現在の刊行物なんですね。
少し遅い発刊だけど、「YOUNG GUITAR」や「B-PASS」「CROSSBEAT」あたりは、
かなり古いほうの雑誌じゃないかな。
「ミュージック・ライフ」は、戦前にジャズ雑誌としてスタートして、
あのビートルズ来日時には、最初にインタビューした雑誌として知られ、
70年代から80年代にかけて、ダントツの売り上げの洋楽音楽誌でした。
実は、ここから、神田神保町あたりの古本屋に、
「ミュージックライフ」が残ってないかなあと思って探そうとしたのですが、
このあたりの古本屋は18時過ぎには閉まってしまうため、
見つけることができませんでした。
ヤフオクとかネット通販で見るしかないですね。
したがって、この画像は広いものです。
「ミュージック・ライフ」、通称MLの想い出といえば、
毎月掲載されるレコードレビューを、一足早くチェックできるイベントとして、
毎月だったか、銀座コアビル7階のテクニクスショールームで開催されていた、
音楽試聴会(「レコードレース~これがヒットだ」みたいなタイトルだった)に、
何度か足を運んだことでした。
新譜の試聴や、新着PVの試写会、プレゼントイベントなどがあり、
参加されていた音楽評論家の方たちのトークも楽しくて、
懐かしいイベントでした。
当時のML編集長でボーイッシュな感じの東郷かおる子さん。
今は亡き音楽評論家の重鎮で、モーニング娘。のアドバイザーでも知られた、
故・福田一郎さん。
色グロでぴったりしたジーパンが似合ったかっこいい人でした。
ラジオDJで人気だった、大森庸雄さん。
当時「全米Top40」のアシスタントDJで、現在もラジオで活躍中の、
かわいらしいスヌーピーこと今泉恵子さん(現・圭姫子)。
そのスヌーピーと「全英Top20」他の番組DJで活躍し、
モッズ、パンク評論家や、クラブイベント「ロンドンナイト」で知られた、
大貫憲章さん。
(大貫さんは、アメブロでブログを書かれています)
MLは、比較的メジャーなロックアーティストやアイドル系も多かったのと同時に、
HR/HM系のアーティストも人気があり、数多く取り上げられていました。
(HR/HM=Hard Rock & Heavy Metal)
やはりこのイベントでお見かけした、
当時のML副編集長の酒井康さんや、HR/HM評論家として知られる伊藤政則さん。
この二人が84年に、MLから分家して、HR/HM専門誌として作られたのが、
現在も刊行中の、「BURRN!」です。
この雑誌の編集長になった酒井さんや伊藤さんが、
「全英Top20」の後の時間帯に、「ロックトゥデイ」という、
HR/HM専門番組まで放送していたのですが、
この雑誌の名前の元となり、また番組のテーマや、
雑誌のTV、ラジオスポットにも使用された曲が、
ディープ・パープル「紫の炎(Burn)」
☆Deep Purple "Burn" from the album "Burn"
Billboard Hot100へのチャートインはありません。
この曲は、1974年に第3期ディープ・パープルとして発表された、
「紫の炎(Burn)」のアルバムタイトル曲で、
シングルヒットではないとはいえ、彼らの代表曲の一つです。
当時は、新ヴォーカリストとして、後にホワイトスネイクで活躍する、
デヴィッド・カヴァデールが加わった最初の作品で、
この動画に出てくるカリフォルニア・ジャムの映像も、
よく知られているものです。
「ブラックナイト(Black Night)」や、「ハイウェイ・スター(Highway Star)」、
「スモーク・オン・ザ・ウォーター(Smoke On The Water)」などの、
名曲で知られる彼らですが、
個人的にそんな想い出もあって、彼らの中でも一番好きな曲かもしれません。
そういえば、今年亡くなった、レインボウのロニー・ジェームズ・ディオも、
この曲よく歌ってた記憶があります。
ちょっとMLから、話がそれてしまいましたが、
「ミュージック・ライフ」は、当時対抗勢力であった雑誌、
「ロッキン・オン」に1980年代末に、売り上げで逆転されて以降、
90年代に入って勢いが衰え、
1998年10月号で、突然の休刊になってしまうのですが、
毎月買っていたわけではないのに、今もなつかしい音楽のつまった
そんな想い出に浸りながらの散歩でした。
この「ミュージック・ライフ」他の音楽雑誌で、
大変な人気を誇った美貌のバンド。
そのバンドについて、次回紹介したいと思います。
(SBさん、お待たせしました。(笑))