人体の仕組みを学ぶには、進化の考え方を踏まえたいところです。耳だけに注目しても、進化の考え方を下地に、いろいろと分かることがあるのです。
生徒に言いたいことはたくさんあるけど、授業時間は限られているので、長い話はできません。
なんとかしたいなあという気持ちが募ると、いつのまにかプリントを作っています。
原索動物とは、無脊椎動物の中でもっとも脊椎動物に近い生き物です。私たちでは発生の途中で消失する「脊索」という構造が残るのが特徴で、きっと私たちの祖先は、魚の前はこの状態にあったと考えられています。
例に出てもらったヌタウナギもヤツメウナギは無顎類と呼ばれます。非常に原始的なからだの作りをしており、まだアゴも胸びれもありません。
耳(内耳)を見ると、まだ半規管(回転覚の受容器)が1本とか2本です。魚以降では3本になるので、耳もやはり原始的です。
私たちヒトは魚類の変異体(ミュータント)ですので、祖先のからだを知ることは、ヒトのからだの基本を理解することにつながります。
内耳は回転覚、平衡覚、聴覚を受容する器官ですが、魚類の時代には、基本的にヒトと同様のシステムを確立しています。
魚類(硬骨魚類)はやがて陸上に進出し、両生類になるわけですけれど、大きな問題が生じました。水の約1000分の1の密度しかない空気は音波を伝えるには不向きで、内耳だけで音波を受容するのが困難になってしまいました。
そこでアゴの骨を犠牲にして耳小骨をつくり、鼓膜を貼って、音を増幅して内耳に伝える器官ができました。これがいわゆる中耳です。
陸上生活にさらに適応した爬虫類では、鼓膜の外側にくぼみをつくって、鼓膜に音波が集まるように工夫がなされています。これが外耳道です。津波の例は不謹慎なのですけれど、波高がもっとも高くなるのは湾の奥です。外耳道の形を湾と考えれば、音波が集約されて鼓膜に伝わることが理解できると思います。
さらにほ乳類になると、外耳道の外に耳殻(耳介)ができます。さらに小さな音でも聞き取りましょうと言うわけです。耳殻が大きいと音をさらに集めることができます。音のくる方向も分かります。手を広げて耳にあてる仕草をする私たちは無意識にこのことを知っています。
こうして私たちの耳ができたわけです。うまくできてる気もするんですけど、むしろ必要に迫られ、増築に増築を重ねた不格好な家に感じが似ています。シンプルというにはほど遠いシステムです。
高機能ではありますが、なりゆきでこうなったものですので、弱点がたくさんあります。
以前読んだ本に、こんなことが書いてありました。検死を仕事にしている方が出した本です。「本当に溺死かどうか判断するためには耳を見る」、と。
おぼれると、口から中耳につながるエウスタキオ管を通って、中耳や内耳に水が入ります。中耳と内耳の機能は狂ったり失われたりして、平衡覚と聴覚は混乱します。こうなってしまうと、ヒトは前後不覚に陥って立つことすらままならなくなり、膝くらいの水深でも溺死する怖れがあるそうです。
海水浴では、波打ち際が危ない。そんなことも書いてありました。波をかぶった拍子に水を飲んでしまい、ゴクンとやるとエウスタキオ管にも水が入って、あれよあれよと・・・。
怖いけど、生徒にはぜひ伝えたい情報ですね。
浜辺に迷ってくるクジラやイルカがいます。不憫に感じた漁師さんがどんなに沖に導こうとしてもくるっと回って浜に戻ってきます。挙げ句の果てには打ち上げられて死んでしまいます。
たまに聞く話なのですけど、調べてみると耳に寄生虫が入っていたりするようです。あるいは、案外おぼれているのかもしれません。彼らは海に戻ったほ乳類ですから、耳が水中生活に適応しきっていない可能性は十分にあります。
生徒たちが自分の耳の構造とはたらきを理解して、生活にちゃんと役立てられますように。