おめめどうがお話に伺って、最近よく困ったわと相談されるのが、この「視覚的支援はしてきたけど、選択活動や見えるコムをしてこられなかったご家庭」です。小さな頃はそれでも、なんとかなるかもしれませんが、大きくなってそれが続くと思いますか?
同一保持がある自閉症の人は、「そうするもの」になってしまい、それに縛られ窮屈に感じ、不安定、不適応が出てきてしまいます。せっかく自分でわかって、見て動くようにとされた視覚支援で不安定、不適応になるのです。だって、そこに本人の気持ちがないから。
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昔、TEACCHの療育を受けてこられた親御さんが、すごくしんどくなってしまったという内容のブログを書いてはったんです
まだ、うちの息子が高等部くらいの頃でした
批難のコメントも多かったのですが、うちも不穏な雰囲気が出てきた頃であり、とても共感が持てました
その方も、TEACCH系の本に暮らしを紹介されたりして、いわゆる「有名な親御さん」のようでしたから、暮らしを文章化して紹介してしまったのに、その後なんかゴテゴテしてしまっているという葛藤いうかしんどさも、同じように本を出した私には、(恥ずかしさもあるのですよ)よくわかりました
そこのお子さんは、鬱になっていかれたように書かれていました。それで、自傷、他害、そして、お母さんに刃物を向けることもあったそうです。
「一生懸命してきたのに」という想い、私には痛いほどわかりました
でも、うちにあって、その家にないものはすぐにわかりました。そのお子さんは、自分で選ぶことができないようでした。特定の場面ではできるけれども。示されたら選べるというような感じなのでしょう。
親からの提案なく、自分でこれをするという風になっていく思春期にもそれができないでいると、示されるスケジュールも、これほど「縛る」ものはないでしょう。物理的構造化もしかり、わかりやすくしてあるのよがわかるだけに鬱陶しもの。壊していくしか、表現できないのです。実際、衝立などを壊していかれる様子も書かれていました。
息子も、私という「強烈な支配系小手先だけ一丁前に覚えた 母親」が、なかなか子離れをしてくれないことで苛立っていきました。沸点が低くなるのは思春期だから仕方がないとしても、すぐに他害、器物破損などびっくりすることが起こり、それで【大いなるまちがい】に気がついたのです。
だから、同じように、スケジュールじゃ、構造化やと、やってこられた親御さんが行き詰まるなら、その理由もよくわかります。
ただ、息子には自分で選ぶができる強みがありました。ただ、私が責任を取る権利まで守っていなかったために、サイクルに乗れずにいただけのことだったのです。
なので、本人がスケジュールを立てること、言うてきたことだけをすることで、離れることができ、お互いが解放されていきました。
また、コミュメモによる、見えるコム。
楽になったのは、こちらから伝えることも、あちらから伝えることも、どちらも「見えるコム」があるからです。しかも応答だけでなく、自発の。そこが大きい。
音声でのやりとりでなにがわかります?興奮してくるだけですよ。しかも、うまく 伝えられないストレスで、コミュニケーションそのものが嫌なものなっていくでしょう。
「一生懸命やってきたのに、気持ちがわかりあえない」そのツラさ。でも、そのときには幼児期の療育者も学童期の教員も、誰もいないし、誰も責任も取ってはくれません。
その親御さんのサイトは、もう閉じられています。もし、その方にお出会いすることがあれば、お伝えしたいことがいくつもあります。それに、なにかのきっかけで、親子が解放されていて、そして、お子さんがお薬漬けになっていないことを祈ります。
でも、もう届かないでしょうから、同じようなことで苦しんでおられるご家族には、せめて伝えたい、大丈夫、一生懸命も、方向を間違わなければ、無駄にはならなことを、届けたいのです。
けして(当時の日本の・・と冠をつけておきます)TEACCHのことを批判しているわけではありません。スケジュールや構造化は、自閉症の人に必要なものですから、ぜひ学んで実践をしていくことを私もお勧めします。自閉症文化を尊重する視点は、TEACCHに出会わなければ、わからなかったでしょう。
でも、そこに「基本的人権」が欠けてしまうと、結局破綻してしまいますよ、と。