『養生訓』 日本人の薬量(巻七12) | 春月の『ちょこっと健康術』

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日本人は、中夏の人の健(すこやか)にして、腸胃のつよきに及ばずして、薬を小服にするが宜しくとも、その形体、大小相似たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半(なかば)に及ぶべからざらんや。然らば、薬剤を今少(すこし)大にするが、宜しかるべし。たとひ、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過(あやま)つては、則改るにはばかる事なかれ。


今の時医の薬剤を見るに、一服此如小にしては、補湯といへども、接養の力なかるべし。況(いわんや)利湯(りとう)を用る病は、外、風寒肌膚をやぶり、大熱を生じ、内、飲食腸胃に塞(ふさが)り、積滞(しゃくたい)の重き、欝結(うつけつ)の甚しき、内外の邪気甚(はなはだ)つよき病をや。


小なる薬力を以大なる病邪にかちがたき事、たとへば、一盃の水を以一車薪の火を救ふべからざるが如し。又、小兵を以大敵にかちがたきが如し。薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効(しるし)あるべからず。


砒毒(ひどく)といへども、人、服する事一匁許(ばかり)に至りて死すと、古人いへり。一匁よりすくなくしては、砒霜(ひそう)をのんでも死なず、河豚(ふぐ)も多くくらはざれば死なず。つよき大毒すらかくの如し。況ちからよはき小服の薬、いかでか大病にかつべきや。


此理を能(よく)思ひて、小服の薬、効なき事をしるべし。今時の医の用る薬方、その病に応ずるも多かるべし。しかれども、早く効を得ずして癒(いえ)がたきは、小服にて薬力たらざる故に非ずや。



日本人は、中国人のように壮健で胃腸が強くはないので、薬を少なく服用するのがよいとされているが、その体形の大小は似たようなものであり、薬の分量が中国人の半分にも及ばないのは、どうにもはなはだ疑問である。薬剤をいま少し増量するのがよかろうと思う。たとえ、昔から間違って小服であったとしても、誤っていることがわかったならば、改めるのに遠慮は無用である。


今時の医者の処方をみると、一服がいかにも少ない。これでは、補助薬であったとしても、保養の力にならないだろう。まして薬を必要とする病気というのは、外部から風寒が皮膚を傷つけて大熱を生じ、内部では飲食が胃腸に滞って、消化不良の状態が重く、鬱結がひどくて、内外の邪気がはなはだ強い病気である。


少ない薬量で大きな病邪に勝てないことは、たとえば一杯の水で、一台の車の薪の火を消すことができないようなものだ。また、小兵をもって大敵に勝てないようなものである。 薬の処方が病気によく適合していても、このように小服では薬の力を発揮できず、効果が上がるはずもない。


砒素の毒であっても、人が一匁(3.75g)も使うと死にいたると古人はいう。一匁より少ないときは、砒素を飲んでも死なない。河豚ですら多く食べなければ死ぬことはない。強い大毒でもこのようである。まして力の弱い小服の薬が、どうして大病に打ち勝つことができようか。


この理屈をよく考えて、小服の薬では効果のないことを知るべきであろう。現代の医者の処方による薬は、その病気に合うものが多い。しかし、効めが早くなく、治りにくいのは、小服で薬の量が少なく、力が足りないためではなかろうか。



この一文を読むと、同じ病いに対する処方薬の量が、日本では、中国より少ない量であったことがわかります。なぜそうされているかは、「日本人は体気が弱い」 からですね。そうはいっても、身体の大きさがそう違うわけじゃなし、中国人の半分というのは少なすぎるんじゃないか?というのが、益軒先生のご意見です。


薬を使うような病気には、少ない量では効かないんじゃないの?強い毒でさえ、たくさん飲まなきゃ効かないんだから、力の弱い薬はなおさらでしょ?なんて、少々乱暴な説明までされています。もしかすると、当時の医者が儲け主義で薬をけちってるんだ…なんてことを暗に言いたかったのかしら?益軒先生の言い分もわからなくはないですが、薬の出し過ぎよりは害が少ないと思いますけど。


春月の『ちょこっと健康術』-コリウス