現代でも通用する『養生訓』 | 春月の『ちょこっと健康術』

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貝原益軒先生の『養生訓』を読み始めました。益軒先生は江戸時代の儒学者で、83歳のときに『養生訓』を書き、大ベストセラーに。現代にも通用しそうなことが載っているので、おいおいご紹介していきたいと思います。


巻第一 総論 上  「人生第一の大事」


人の身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものであって、天地と父母との恵みを受けて生まれ、育てられた身体であるから、それは私自身のもののようであるが、しかし私自身のみによって存在するものではない。

(中略)

ひとの身体はきわめて貴重であって、全世界のなにものにもかえることのできないものではないか。

(中略)

ともかく人生は、楽しむべきである。短命では全世界の富を得たところで仕方のないことだ。


このように、からだを大切にして天寿を全うしよう、というところから始まっています。



<貝原益軒について>


益軒先生は、1630年(寛永七年)、九州の筑前福岡に、黒田藩の祐筆(書記)、貝原寛斎の五男として生まれました。名を篤信、字(あざな)を子誠(しせい)と言います。


14歳になってから四書五経(儒教の教科書となる書物、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)を兄から学び、19歳で黒田藩に仕えますが、翌年藩主の不興を買って浪人となります。何をしでかしたんでしょうね。記録がないので不明です。


7年後、藩主の変わった黒田藩に再び仕官。28歳の時に、藩命で京都に遊学し、本草学や朱子学を学びます。帰国後は71歳になるまで、儒者として働き、退官後は著述に専念、六十部二百七十余巻の著書を残しています。


『養生訓』は、『総論』上・下、『飲食』上下、『五官』、『病を慎む』、『用薬』、『養老』の全八巻です。7年間の浪人時代があったからか、儒家でありながら、儒教だけにこだわらない視点と思想を持って、無学の人でもわかるように、書かれています。


『養生訓』を書いたのは、益軒先生が83歳のとき。翌年『養生訓』は出版されますが、長年連れ添った夫人を亡くし、その翌年、85歳の生涯を閉じました。