小松空港に着いたのが、
午後6時半過ぎ頃。
北陸道に乗り、
金沢東インターで降りる。
そのまま道なりに走っていくと、
ショッピングモールが目に入ってくる。
そのモールに立ち寄って、
折り紙を買った。
スターバックスでコーヒーを買うと、
のと里山海道に乗る。
子供たちに手伝ってもらって、
千羽鶴を折ろう。
日本に帰ってくれば、自然と
子供たちのことが頭の中を占めてくる。
みんなどうしてるだろう。
元気かな...
中耳炎になった娘のことが
気がかりだが、きっと大丈夫。
すぐに良くなるだろう。
早くみんなの顔が見たい。
こう思うと同時に、正直なところ、
私は家に帰るのがすごく嫌でもあった。
というより、怖かった。
家族や他の誰かに、先生の話を
しなければならないことが。
先生の顔が見られない場所で、
先生のことを考える生活が始まることが。
台湾に行く前より少しでも
明るい話ができるのなら、
真っ暗な高速道路を走るのも、
いくらか楽しいかもしれない。
でも、そうじゃない。
どこかに逃げて行けるものなら、
逃げて行きたかった。
自宅でも台湾でもない、どこかに。
でも、それはできない。
鈍いオレンジ色のライトに照らされた
トンネルをいくつか抜けてしばらく走ると、
のと里山海道を下りる。
ここからは、母親に
戻らなければならない。
「パパの容態は、台湾に行く前と変わりないよ。
大丈夫。パパはきっと良くなるからね。」
9時頃に帰宅し、
子供たちにこう話した。
「いいなー。母ちゃん。台湾で珍珠奶茶(タピオカミルクティー)飲んだりとか、
小籠包食べたりしてきてんろー?」
ああ。バカ息子。
のんきだな、お前は。
それでも中3なのか。
少しは察しろ。
ガイドブック片手に、グルメ三昧して
帰ってきたとでも思ってんのか...?
「あんたね... 母ちゃん、どっちも飲みも食べもせんかったわ。
そんな余裕なかったもん。」
「ええー!? ほんとにー?」
ああ。ほんとに。
ウソついてどうする。
息子に言われて
初めて気が付いた。
珍珠奶茶も小籠包も
大好きなのに。
実際、台湾グルメを楽しもうと
思えるだけの心の余裕があったら、
どんなに良かっただろう。
でも、深刻な面持ちをした息子に
父親の容態を根掘り葉掘り訊かれ、
心配そうな顔をされて
一緒に暗くなってしまうよりは、
この展開の方がはるかに救われる。
長男のおかげで、張り詰めていた
緊張がふっと解けた。
ありがとう。バカ息子。
「母ちゃん。おれの誕生日はー?」
私が台北にいる間に、
7歳の誕生日を迎えた次男だ。
「おお。そうやったね。プレゼントとケーキ用意せんとね。」
ご所望はサッカーボール。
赤いサッカーボールを買い、ケーキを注文して、
みんなで一緒にお祝いした。
もっとも。
先生の体は台北の病院だが。
でも、次男の誕生日のことは
先生にも伝えてある。
日本に帰ったらお祝いすると。
人の心は、時間も空間も
超越するという。
だから、きっと先生の心はここにいて、
みんなと一緒にお祝いして
くれているんじゃないだろうか。
遅くなってごめんね。次男。
「母ちゃん。もうすぐバス遠足やよー。」
娘の保育園の親子バス遠足だ。
「おお。そうやったね。もうそろそろやねー。動物園行くんやったね。」
これはきつい。
その時の私は、
毎日頭がふらついていた。
道を歩いていても、足を地面に着けて
歩いている感覚があまりなかったし、
自分がまっすぐ歩けているのかどうかも
分からなかった。
ちゃんと早起きして
お弁当を作れるのか。
最後まで動物園の中を
歩き通せるのか。
何とも自信がなかった。
「○○ちゃん、今度の遠足、大丈夫ですか?」
娘の中耳炎を心配した担任の
保育士さんが、こう訊いてくれた。
「はい。娘は大丈夫だと思うんですが... すみません。
実は私が大丈夫かどうか分からなくて。頭がふらつくもんですから...」
弱気になっていた私は、
ついこう言ってしまった。
「え? そうなんですか? お母さん、もし遠足中に
しんどくなったら言ってくださいね。」
保育士さんは、私が台湾に行った
経緯を知っていた。
「はい。ありがとうございます。」
ゾウやキリンの前で、
ぶっ倒れるのだけは避けたい。
できれば、うちで休んでいたいところだが、
一年に一度の親子遠足だ。
参加しない親子はいない。
娘も楽しみにしている。
這ってでも行かねば。
当日は何とかお弁当も作れたし、
ちゃんと園内を最後まで歩けた。
ペンギンのプールに落ちずに済んだし、
チンパンジーの前でへたり込むこともなかった。
誰にも迷惑をかけずに済んで、
本当に良かった...
ただ。やっぱり体がしんどい。
どうしてもしなければならない
家事や買い物、子供たちの面倒をみる
以外の時は、体を休めるようにしていた。
悔しいし、残念だけど、
千羽鶴を折る気力がない。
日本でもお百度参りをしようと
思っていたが、体がついてこない。
毎晩7時になると、
台北のファンツン宅に電話する。
呼び出し音を鳴らして待っている間が、
一日の中で一番緊張する時間だ。
毎晩バオメイが出てくれて、
先生の様子を伝えてくれる。
「今日も変わりなかったよ。」
悪くなったと言われるよりは、
はるかに良い知らせだ。
そんなある日の夜。
隣で寝ていた子供に布団をかけようと、
枕から頭を持ち上げ、布団をかけ、
枕に落とすように頭を戻したその瞬間。
天井がグルグル回った。
まるで、寝そべったままメリーゴーランドに
乗っているかのように、部屋全体が回る回る。
疲れが溜まってるんだな...
自分の体調が怖いというよりは、
無理もないことだと合点がいき、
生まれて初めての経験だったけれど、
割りと冷静に迎え入れた。
とにかく。
少しでも寝よう。
体を休めよう。
目を閉じていれば、何が回っていようが
見えることもない。
日中、コンピュータの画面をしばらく
見ていたり、そこに集中したりしていると、
頭の中をマドラーのようなもので
かき回されたような感覚を覚えて
くらくらすることがあり、長い時間、
パソコンの前に座っていられなくなった。
「今度はいつ来られる?」
病院でのファンツンの言葉が、
頭の中で絶えずこだまする。

