ある日のこと。
トイレに入って用を足した後、
私は凍り付いた。
何これ...
おしっこの色が、今までに
見たことがないほど濃い。
茶色だ。
何だか、薄めたコーヒー
みたいな色をしている。
朝はさほどでもないのだが、
昼から夜へと時間が経つにつれ
色が濃くなっていく。
まさか、血尿...?
目を凝らしてみても、
血液らしいものは見当たらない。
でも、何だかそれらしいものが
混じっているような気がしないでもない。
パニックに陥った人間には、何が
どんなふうにでも見えてしまうのものだ。
普段から現実逃避を得意とする私は、
今から思えば本当に滑稽だと思うが、
最初、これをトマトのせいにしようとした。
「ねえねえ。最近トマト食べ始めたから、トマトの色なんかな。
色の濃いおしっこ出るようになったよ。」
努めて明るい声で、長男にこう言った。
余計な心配をかけるかもしれないと思ったが、
恐怖に駆られて血迷った私は、
とても自分一人の胸にはしまっておけなかった。
トマト食べたからトマトの色って....
ちょっと。あんた。
今年いくつだっけ...?
イカスミ食べたら
真っ黒なおしっこが出るのか。
豆腐食べたら
白いおしっこが出てくるのか。
ソーダ味のガリガリ君食べたら、ソーダ色の
おしっこが出てくるとでも主張すんのか。
そんなことが、今までの人生で
ただの一度でもあったか...?
大体。
いつからトマトが茶色になったんだ。
いや。
プチトマトにはあったかも。
とにかく。
たとえどんなに怖くても、
ちゃんと向き合え。
いい年した大人なんだから。
ネットで自分の症状を検索してみるが、
どれだけ時間を費やしてみたところで、
自分で自分の恐怖心をいたずらに煽り、
わざわざ好き好んで不安になる材料を
探して回っているだけのことだと気が付いた。
自虐的な上に、時間とエネルギーの
無駄遣いにしかならず、全く何の役にも立たない。
むしろ逆効果だ。
不安や恐怖で心がいっぱいに
なっている人間が何かを探すとき。
そんな時は、さらに不安や恐怖を
感じさせるものしか見つからない。
人間は、自分が関心の
あるものしか目に入らないからだ。
例えば、私はパチンコに興味がない。
だから、しょっちゅうパチンコ屋の前を
車で走っていても、そこにパチンコ屋が
あることに、ずっと気が付かない。
でも、新しいコンビニができたら、すぐに気が付く。
それは、私がコンビニに関心があるからだ。
不安や恐怖も同じことだと思う。
そこに関心が向いている以上、どうしても
同じようなものばかりが目につく。
おまけに、どこかで断ち切る覚悟を
決めないと、増幅までする。
問題を解決する方法は、
まず、その問題を直視することだ。
いつか読んだ本に、こう書いてあった。
そういえば、市から
健康診断の案内がきていた。
今まで一度も行ったことがなかったけれど、
これを機に行ってみよう。
「健康診断を受けたいんですが...」
市から指定されている
医療機関に予約を入れた。
もし異常が見つかっても、
それはその時のこと。
とにかく、自分の体が置かれている
現実を知ることから始めようと思った。
健康診断の予約は多いらしく、
私の予約は何日も先になったが、
ただウジウジと恐ろしがっているよりは、
ずっと建設的じゃないか。
「予約したいんですが。」
ある日。
私の鍼灸院宛てにメールがきた。
最初は、体調不良を理由にお断りしようかと思ったが、
でも、せっかくうちを選んで下さったんだからと、
お引き受けすることにした。
収入になるという思いもあった。
肉体労働からくる腰痛を
抱えていたこの患者さん。
既往歴や手術歴に
特に気になるようなものはないし、
少し前に同じような症状の患者さんに
良くなってもらった経験もあるから、
別段難しいケースではないと思った。
ところが。
まったく効かなかった。
ご本人がそう言うのだから間違いない。
施術後も、腰痛に何ら変化がないとおっしゃる。
腰痛を訴えている患者さんの場合、
刺鍼後、その場で少なくとも何割かは
改善するのが、師匠から教わってきた鍼の常だ。
私自身、そう経験してきた。
これじゃ、お金を頂くわけにはいかない...
患者さんは払うとおっしゃって下さったが、
まったく効果がなかったものに対して、
お金を頂くことはできない。
師匠は、よくこう言っていた。
「効けば1万円でも安い。効かなければ500円でも高い。」
ただ単に、効かなかっただけではない。
お休みだったという、患者さんの
貴重なお時間を無駄にしてしまった。
さらに悪いことに。
次の日、腰に痛みを覚えて
仕事をお休みしたという。
偶然、私の娘と同じ保育園に通っている
お子さんがいて、お迎えの時にばったり出会い、
その後の様子をお訊きした時の答えがこれだった。
なんて申し訳ないことをしてしまったんだろう...
自分の体の面倒もろくに見られない時に、
人様の体の面倒を見られるわけがない。
自分にないものは、決して人様にも
差し上げられないのだ。
どうして、こんな簡単なことが
分からなかったんだろう...
なんて馬鹿だったんだろう...
師匠が入院したという台湾からの電話の直後、
死ぬほど動揺したまま施術して失敗したのと
同じような失敗を、ここでまた繰り返してしまった。
鍼治療とは、鍼を媒体にして、自分の気、
つまりエネルギーを患者さんに伝えることに
よって治す技術だ。
少なくとも、私が師匠から教わっていた鍼は、
その原理に基づく。
ただ。
問題なのは、鍼を媒介するエネルギーは、
そのエネルギーの良し悪しに関わらず
伝わるという点だ。
つまり。
鍼を刺す人間の気が乱れていれば、
その乱れた気が鍼を通じて患者さんに
伝わってしまう。
事実。ある日。
寝不足のときに師匠に鍼を刺した際、
「何? 痛いよ! 全然ダメ! 何やってるの!?」
大きな声で、こっぴどく叱られた。
こういう時は、もちろん効き目もない。
反対に、前の晩よく眠った日に
鍼を刺すと、
「うん。うん。いいね。いいよ。効いてる感じするよー。90点以上あるよー。」
穏やかな声で、こう言ってもらえる。
こういう時は、もちろん効き目もある。
やっていることは、寝不足の日も
よく眠った日も全く同じだ。
寝不足かどうかなんてことを
前もって師匠には話していない。
それなのに、出てくる結果が
天と地ほども違う。
鍼とは本当に恐ろしいものだと思う。
一切のごまかしがきかない。
刺す人間の心と体の状態が、
まるで鏡のように、忠実に結果に反映される。
あの日の施術はお断りするべきだったし、
それ以外に正しい選択はなかったのだ。
あの時の私は、鍼灸師失格だった。
そして、師匠の弟子としても、
間違いなく失格だった。
そんなことがあって、
落ち込んでいたある日。
「○○さんですか?」
「はい?」
「台湾の洪です。」
義妹バオメイの元同僚だ。
日本語が話せるということで、
バオメイに頼まれて、師匠が入院したことを
電話で知らせてくれた人だ。
「ああ。洪さん。こんにちは。どうかしました...?」
この人から電話がかかってくると、
思わず身構えてしまう。
「旦那さんが危ないそうです。」

