働くママ(SOHO編) -2ページ目

”最近おぼえた「おしらさま」について。” その2

最近覚えた「おしらさま」は、蚕の四度の眠り(脱皮)の謂れを説く。
それは、金色姫の四度の受難を示す。

「シシのねむり」
「タカのねむり」
「舟やすみ」
「庭のかたすみ」

 

 

それと似た言葉が、愛知県北設楽郡「花祭」の神楽に登場する。

桑の木に宿り若葉を食む
足毛の名馬と姫が蚕種に変化して
日本の宝となって天降った
故に桑の若葉を食むときは父子と言う
たかみで飼うときはたかこと言う
舟で飼うときは舟子と言う
庭で飼うときは庭子と言う

 

<花祭に関する研究ノート その4> 北設楽の神楽と馬娘婚姻譚 P.4
https://core.ac.uk/download/pdf/235623261.pdf

 

「父子」「たかこ」「舟子」「庭子」は、蚕が育つ場所のようだが、野生のクワコの家畜化の謂れか、もしくは舟で渡来した蚕を本土へ招く唱え言葉かもしれない。
花祭は鎌倉時代(1185年〜1333年)末期から続く霜月神楽だそう。

 

 

時代を下り、戒言(1558年)とほぼ内容が一致するという、寛永8年(1631年)版庭訓徃來註(ていきんおうらいしょう)は、蚕影山縁起の最も古い言い伝えらしい。

私の理解のために、改行を加えている。

去社(サテコソ)蠶(カイコ)ヲ養(カフ)ニ始ノトマリヲバ
シゲメ留(ドメ)ト云ヘリ
キヌヲ一ツ脱(ヌグ)也

二番メノ留(トマリ)ヲバ
タカメドマリト云ヘリ
其時ハイカニモ寒(サム)カルベシ

三番ノトマリヲバ
フナ留(ドマリト)云也

後ノトマリヲバ
庭(ニハ)ドマリト云(ヘ)リ

 

庭訓往来抄「蠶養」の注として見える一説話

https://seijo.repo.nii.ac.jp/record/4969/files/029-05.pdf

 

「山の神と乙姫さん」に続き、「おしらさま」も祭文、つまり神楽、山の神を楽しませる神事に由来するようだ。

 

ちょうど今、吉田敦彦氏の『日本の神話』を読んでいるが、昔話と日本神話の類似性をわかりやすく説いている。最古の口承文芸が、昔話として残ったのも、さもありなんと思えてくる。

 

しかし、それらは宗教的な意味合いを持ち、時代によっては迫害を受けている。

おそらく、日本神話の本流から外れた昔話の多くが消え去っただろう。

 

それでもなお、ここにあるというのは、そのお話を胸に抱く人々の心が砦となって、守ってきた証。その昔話の命を繋いできた、代々の語り手の連綿と続く様を想像してみて。

現実はままならずとも、心は自由だ。

昔話は、そんなしなやかな人に守られて、したたかに生き残る。

 

 

語り伝えることは、失ったものを取り戻す行為でもある。

何を失って、何を取り戻すのか。

それを知れば、素話はもっと楽しく、更に意義あるものとなる。

 

 

 

 

 

 

びっくりしちゃったよ。

たしか、岩井志麻子さんの『ぼっけえ、きょうてえ』も、なんてことない日常会話で始まる。
今日、聞いたおはなしも、お婆さんが聞き取りにくい方言で旅行者相手に語り始める。ひまをつぶすためのお茶のみ話だ。
 

 

しかし、徐々に話に惹きこまれてゆく。
途切れ途切れながらも、お婆さんが奇妙なことを話そうとしていることがわかってくる。
飾らず、気取らず、気張らず、相手におもねらない語り口が、徐々に聴き手を本気にさせる。

 

 

なに? そのはなし?

 

 

って、思った瞬間に、自分はお婆さんの話をさらに注意深く聞こうと、前のめりになり、表情やしぐさで次の展開を促している。
本気で聞くって、そういうことだ。

 

 

古くて大きな屋敷。だだっ広いが薄暗く湿った座敷にぽつねんと座る老婆。私はその老婆の話に集中し、混乱しつつも先が気になってしようがない。

 

 

語り手と聴き手は、本来、そんなふうに始まったはずだ。
今日は、初めての体験をした。
半村良は好きだったけど、自分で読むのと素話で聞くのは別の体験だ。
今日は格別の、極上の、全身全霊で話を聴くという最高の体験をした。
飽きてきたところに、こんな爆弾を落とされて、いやいやまだまだやめられない。おはなしの会はおもしろい。

 

 

 

吉田敦彦氏の『昔話の考古学: 山姥と縄文の女神』には、あらゆる山姥が登場する。

吉田敦彦氏の『昔話の考古学: 山姥と縄文の女神』には、あらゆる山姥が登場する。

「三枚の護符」「糠福と粟福」「食わず女房」「牛方山姥」「天道さん金の鎖」「姥皮」、「うり姫」や「炭焼き長者」の類話なども豊富に紹介されている。

 

 

 

そして、第二章「苦しんでたくさんの子を生む山姥と山の神」で、ようやく「山の神と乙姫さん」の類話に出会ったのだ。

 

面白いのは、出産の場面だ。
徳島県三好郡の昔話は、「芋こぎ桶に入れて、こね板でこねまくり、かごでふりゆすいで洗いあげ(P.51)」、四百四病の山の神となる。
高知県香美郡の昔話は、九万九千の子を「芋こり籠(芋を掘って入れる籠)に何人もの子を入れて、水の中で揺すり上げ(P.52)」、この世に人間が誕生した。

 

ちなみに、私が覚えた「山の神と乙姫さん」では、「たくさんの子どもを目なしの籠(かご)に入れ、ごじゃごじゃとかきまわし、振りゆすいですすぎあげ」るが、「山の神とおこぜ」では「川原へ行って、芋こぎ桶に入れ、こね板でこねまくり、籠で振りゆすいて洗い上げ」る。

 

 

 

どちらも産まれたばかりの赤子の扱いではない。
「芋こぎ桶」「芋こり籠」という言葉が出てくるのが不思議。まるで土から掘り出す芋のようだ。
う〜ん、乙姫さんが産んだ神々が、芋のように土中から掘り起こしたものであれば、それは更に古い時代が影響しているのだろうか。

 

 

『昔話の考古学』は、第六章「古栽培民のハイヌウェレ型神話と殺害の儀礼」へと続く。

ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出して人々に分け与えるが、やがてその力に嫉妬した村人に殺害される。父親がハイヌウェレの死体を掘り出し、切り刻んであちこちに埋めると、様々な種類の芋が生まれる。

ハイヌウェレ型神話(ハイヌウェレがたしんわ、ハイヌヴェレとも[1])とは、世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つで、殺された神の死体から作物が生まれたとするものである。

 

 

 

豊穣の女神は、母なる大地、つまり土に帰属する。

その死と引き換えに、人間に必要な食べ物を与えて去ってゆく。永遠の妣だ。

日本神話もまた、オオゲツヒメや保食神(うけもちのかみ)などが、身体から食べ物や蚕を排出する。命と引きかえに。

その殺された女神の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生じました。

 

 

蚕もまた古く、五穀の起源と同等に神話に登場する。

庄屋の娘のおしらは継母に庭に生き埋めにされ、その桑の木に蚕がつく。

遠野物語では、殺害された馬と娘は天にのぼってゆくが、これも娘の死である。

そして、人は蚕を得る。

 

女神の死と土と糧。

『昔話の考古学』は、後半にむかい更に時代をさかのぼり、縄文宗教へと続く。

 

 

山姥→山妣→『妣が國へ・常世へ』→渡来した常世神「神樹蚕」へ

山姥を追いかけながら、小休止のつもりで坂東眞砂子さんの『山妣(やまはは)』を開いたら、巻頭のエピグラフが目に飛びこんだ。

 

われわれの祖(オヤ)たちが、まだ、靑雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。折口信夫『妣が國へ・常世へ』

 

興味を持ち、『妣が國へ・常世へ』を読むと予想外に面白い。

著者が『山妣(やまはは)』で描こうとしたのは、『山姥』の姿をした『山妣』だ。

 

 

折口信夫の『妣が國へ・常世へ』は、祖先が敬い恐れた精霊の世界観が、現代に速やかに失われていった嘆きから始まる。

われ/\の祖々が持つて居た二元様の世界観は、あまり飽気なく、吾々の代に霧散した。

 

 

はるか遠い昔、大陸から日本へ上陸した我々の祖先が、住み慣れた母国を想うこともあっただろう。見知らぬ土地での異族結婚が悲劇的な母子離別を招き、残された子が遠き母を想うこともあっただろう。それは永遠に乞い求める「妣(はは)」となる。
失われた母=妣だ。


渡来集団は、先住民との衝突を避け、安住の地を求めて東へ移動してゆく。

辛い旅路の道中に、語部(かたりべ)は仲間を回顧の情で癒し、常世のなかに希望を描きながら、道なき道の先へ先へと人々を誘う。

われ/\の祖たちの、此の国に移り住んだ大昔は、其を聴きついだ語部の物語の上でも、やはり大昔の出来事として語られて居る。其本つ国については、先史考古学者や、比較言語学者や、古代史研究家が、若干の旁証を提供することがあるのに過ぎぬ。其子・其孫は、祖オヤの渡らぬ先の国を、纔わづかに聞き知つて居たであらう。併し、其さへ直ぐに忘られて、唯残るは、父祖の口から吹き込まれた、本つ国に関する恋慕の心である。その千年・二千年前の祖々を動して居た力は、今も尚、われ/\の心に生きて居ると信じる。

 

(中略)

 

過ぎ来た方をふり返る妣が国の考へに関して、別な意味の、常世の国のあくがれが出て来た。ほんとうの異郷趣味(えきぞちしずむ)が、始まるのである。気候がよくて、物資の豊かな、住みよい国を求め/\て移らうと言ふ心ばかりが、彼らの生活を善くして行く力の泉であつた。彼らの歩みは、富みの予期に牽ひかれて、東へ/\と進んで行つた。


 

後半、飛鳥時代の大生部多(おおうべのおお)の常世神の信仰に触れている。
ほら、ここにも蚕が登場する。

飛鳥の都の始めの事、富士山の麓に、常世神(トコヨガミ)と言ふのが現れた。秦河勝の対治に会ふ迄のはやり方は、すばらしいものであつたらしい。「貧人富みを致し、老人少ワカきに還らむ」と託宣した神の御正体ミシヤウダイは、蚕の様な、橘や、曼椒ホソキに、いくらでもやどる虫であつた。

 

常世神の虫はアゲハチョウの幼虫、もしくは、山繭蛾の一種、神樹蚕(シンジュサン)の幼虫という説もある。
 

 

常世神は海を渡ってやってくる。船に乗ってやってきた神は、蚕和讃に登場する「ふなご」という名称のルーツだろうか。

古来、常世は常夜と書いた。常世とは暗黒の黄泉の国であった。古代の人々は幼虫、蛹、成虫と変態する蛾の姿に、死から生へのよみがえりを見た。常世神は海を渡ってやってくる。常世の虫はシンジュサンの幼虫だという。樗蚕、神樹蚕と表記する。カイコに似た、橘を食樹とする幼虫を常世神としてあがめた。シンジュサンの蛹はまるで蓑笠を着た人の姿のようだ。人々はその姿に神が宿ると感じた。

 

 

 

蚕も語り部も古くから在る。
山姥や蚕や山の神など古きもので構成される神話や昔話や伝説は、集団で共有された物語、つまり、神楽や祭文などを土台にして命がふきこまれたものだ。

そして、全国各地にその昔話の種をまいたのは、山間を自由に行き来し、旅先で人と交わることのできた語り部だ。

 

古いものをたどれば、調べる対象が違っても、必然的に同じ終着地に向かうように感じる。これまで調べてきたものが、相互に関連していることに気づく。
おそらく、これからは収穫の時期。

だから、これまで以上にワクワクしている。

 

 

 

 

仕事の達成感を思い出せるようになってきた。

集中力が復活してきた。

先日は、深夜を過ぎても仕事をやりとげた。

数年ぶりの快挙に驚きながら、幸せな気分で布団に入った。

きっと、その日がターニングポイントだ。
 

 

ふと外をながめ、洗濯物を取りこみながら、やっぱり(この仕事が)好きなんだなぁとつぶやく。

やりたい事、やりたかった作業が今日の私はできている。

そして、仕事にフルパワーで臨んでいた頃の達成感を思い出している。

 

 

更年期の自信喪失で、パソコンにむかうのも嫌になり、3年間ほど色々なことをした。

公園のトイレを掃除したり、菜の花の香りを発見したりしながら、情けない自分と静かに喜び悲しむ自分が何度も交錯した。まるで別人だ。出口はない。

 

 

失って取り戻す過程で、以前の私と違うのは、沢山のお土産を手にしていることだ。

ゆきてかえりし昔話の主人公が宝物を手にするのと同じか。

おそらく、必然の道をたどり、これから生きてゆくのに必要な経験をしたのだと思う。

成長と喜びと希望は、経験の肯定的な再解釈から始まる。

 

 

幼な子のように頼りないが歩くことは楽しい。

教えてくれたのは我が子であり、全ての子どもがそれを表現しているはずだ。

生きるって、それだ。

 

 

 

 

最近おぼえた「おしらさま」について。

最近おぼえた「おしらさま」は、養蚕の技術を伝えている。その内容は…

 

裕福な庄屋に「おしら」という美しい娘がいる。

母親が死ぬと、継母がやってくる。

庄屋がおしらにばかり着物や櫛を買い与えるので、継母はやきもちを焼く。

次第におしらが憎らしくなり、召使いに殺させようとする。

 

一度目は、獅子のでる山へ置き去りに。

二度目は、人喰い鷹のいる岩山へ。

三度目は、舟に乗せて沖へ流してしまう。

 

けれども、その度、おしらは無事に屋敷に戻ってくる。

とうとう、継母はおしらを庭に生き埋めにしてしまう。


都から戻った庄屋は、庭のすみで金色に輝く桑の木に気づく。その根元を掘ると、おしらのなきがらがでてくる。ようやく真相を知った庄屋は、継母と召使いを家から追い出す。


金色の桑の木には一匹の蚕(かいこ)がついていた。

庄屋はその蚕を、おしらの生まれ変わりと思って大事に育てる。
やがて、まゆから糸をひき、つむいで、布を織らせ、美しい着物にしたてて、おしらを偲んだ。

それから、かいこのことを「おしらさま」、そして四度の脱皮を「シシのねむり」「タカのねむり」「舟やすみ」「庭のかたすみ」とよぶようになった。

 

 

 

 

遠野の「おしらさま」は、馬と娘の悲恋を描く。その中国の捜神記に由来するとされる馬娘婚姻譚とは違い、継子譚や舟が登場するこの昔話は蚕影山縁起に近い。

明治から昭和初期にかけて、養蚕業の発展に伴って普及した養蚕信仰に由来し、その技術を伝えている。

 

家畜でありながら「オカイコサマ」「オシラサマ」と呼び、大事に育てなければ、繊細な蚕は死んでしまう。技術と信仰が養蚕を支えたのだろう。

 

今日、養蚕業は衰退し、地図から桑畑の記号も消えてしまったが、養蚕信仰は各地に名残をとどめている。

下記は、大正時代に盛行した和讃のひとつ。

女性が集い、皆で唱和したらしい。
七五調で耳に心地よい。ぜひ声に出して読んでみてほしい。

 

きみょうてふらいこかげさん、蚕の由来を尋ぬれば、昔神代のことなるが、天竺みかどの一人姫、ちぶさの実母に棄てられて、邪険な継母の手にかかり、清涼山の奥山に、獅子の餌食に棄てられて、この時獅子ごと申すなり。そまや山人憐れみて、みかどの館に連れ参り、それを継母は見るよりも、千里薮にと棄てられて、この時鷹ごと申すなり。神通得たる姫君は、またも我家へ帰られる。桑のうつろの船に乗せ、この時船ごと申すなり、桑の葉入れて流されて、憐れなるかや姫君は、沖吹く風にただようて、鳴戸の磯につき給う。浜の人々ひき上げて、見れば貴っとき姫君の、桑の梢を手に持ちて、扶榕(ふよう)の顔(かんばせ)、気高きに、ただ人ならぬ御人と、何故流れ給うぞや、国は何処と尋ぬれば、恥しながら自(みずか)らは、さいしょう国の主にて、父はせんしんじょうをうと、継母のねたみの恐ろしや、かかる難儀の悲しさよ。語り給えば浜人の、我々御共申さんと、さいしょう国へと送りける。それを継母が見しよりも、乾(いぬい)の御殿の広庭に、七尺深く埋めしぞ。その時庭ごと申すなり。いん七日のそのうちに、蚕の虫と現れて、日(ひ)の本(もと)さして天下る。豊浦港につき給う。これこそ蚕の本地なり。南無あむだぶつ、阿弥陀仏。

 

今野圓輔 『馬娘婚姻譚(ばろうこんいんたん)』

P.172 口承文芸と祭文 蚕影山縁起より

 

 

 

 

「ふるやのもり」を語る時。

「ふるやのもり」を語る時は、まず、聴き手に暗闇を想像してもらう必要がある。
 

「はるか遠い昔、電気がない頃の明かりは何でしょう?」と問いかけると、「火!」や「ろうそく!」という答えが返ってくる。

 

そして、囲炉裏を登場させるのだ。

薄暗い灯火や雨音が、家に忍びよる者たちの気配を消してくれる。



 

当時は人と馬が同じ屋根の下で暮らす。

仔馬を狙って厩に潜む泥棒と狼は、囲炉裏を囲む老夫婦の会話を盗み聞きしている。

 

「おまえがこの世でいちばん怖いものはなんだ?」という爺さんの問いに、婆さんが「ふるやのもり」だと答えると、爺さんが大いに頷く。

「そうじゃなぁ。この世でいちばん怖いのは、ふるやのもりじゃなぁ!」

 

すると、泥棒と狼は、「この世でいちばん恐ろしい、ふるやのもりとは、いったいどんな化け物だろう」と肝が震えるほど怖くなり、身体を縮めている。

 

次第に雨が強まると、「そら! ふるやのもりが出た!」と老夫婦が叫ぶ。

それに肝をつぶした彼らは、「きゃあ、ふるやのもりが出た!」とパニックに陥り、恐怖にかられて逃げ出すのだ。




「ふるやのもり」は、怪談に通じている。

そして、夜を徹して語られる怪談の起源は、この世のものではない者たちへの語り聞かせであったらしい。

「世の中にはもっと恐ろしいモノがいる」と知らしめることで、家に近づく怪しきモノを祓う呪詞となり、「ふるやのもり」はその名残をとどめている。

折口信夫は、夜、怖い話をすることで家に近づいてくる怪しきモノに対して恣意行動をしているものととらえ、<御伽衆>の役割との関連を説いている。


昔話・伝説を知る事典 P. 209「古屋の漏」より抜粋

 

 

 

闇も静けさも怪しきモノも感じられなくなった今、「ふるやのもり」の本質も消えてゆきそうだが、思い描くイメージが聴き手に届く時、想像力はそれを補えるのかもしれない。

 

昔話は非日常世界への没入体験なので、今はなき囲炉裏を再現できる。

現代では、ろうそくの火でさえ珍しがられるが、しかし、私たちは火明かりを通して、物語を伝搬してきたともいえる。囲炉裏の歴史は古く、口承文学の起源の場でもある。家族で火を囲み語らうことが幸せであった時代のほうが、はるかに長い。

最も古い歴史を持つ暖房は「囲炉裏(いろり)」です。竪穴住居(約16,000年前)の時代から家の中に作られ、食物の煮炊きや夜間の照明を兼ねつつ中を暖めてきました。

 

 

囲炉裏の火、馬や狼、そして原始的な恐怖、それらの古くから紡がれてきた物語や風習が、現世では途絶えてしまっている。

それを少しでも取り戻したいと思う。

 

最近は、古い昔話にかなり肩入れしてしまい、自分ごとを語る言葉よりも、聞いてもらいたい昔語りが増えてきた。 年のせいかしらね。

現世との別れの準備かもしれないが、私の人生はまだしばらく続くのだろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然こみあげてくる幸せの正体はなんだろう?

部屋にふきこむ風が花の香りを運んでくる。
この懐かしさは何だろうと思う間もなく、子どもの頃に過ごした庭のなかにいる。
その植物をいずれ住む場所に植えれば、私は安らぎを維持できるのかもしれない。


朝食のホットケーキを手でちぎって頬ばれば甘い卵の香り。
初めて家に電子レンジが届いた日に、スーツ姿の男性が焼いてくれた、黄色いふわふわの卵ケーキの驚きと歓声。
何度だって、あの時の小さな感動はよみがえる。


ならば、さきほど100円ショップで感じたのは何だったのだろう。
引っ越してきた当時の記憶だろうか?
必要な生活雑貨を買い求めながら、誰かへの愛おしさが募ってゆく多幸感は未来への期待?
ああきっとそうだな。
やがて生まれる赤ちゃんと暮らす日々を、心に描いていたんだろうなぁ。
18年が経過しても、意識の底にある不思議さよ。



しばらく続いた風邪がようやく治りかけて、ぼんやりふらふらと出歩いている。
しかし、身体は不調でも、心が上を向き始めたようだ。

言葉で表さなければ明日には忘れてしまうような小さな幸せを、今日の糧として記録する。

言葉の力で、私を満たしてくれるものを探すのだ。

 

気分のよい朝。非日常を楽しむ休日。

喉が枯れ、そのうえ調子っぱずれな自分の歌にうんざりして、ネットで曲を探したら、懐かしい作品に再会。

 

料理は最強の武器だね。

「めっちゃ、いいにおいするね」と昼寝から覚めた息子。
今日は、チャーシューとカレーを同時に煮込んでいるため、それらが混ざり合ったスパイシーな肉を連想させるのだ。

美味しい匂いは、浪人生の息子の心もほぐす。
料理は最強の武器だね。
不機嫌が、期待や充実感に変わってゆく。
健康で食欲があり、かつ私の気力体力が満ちている今この時こそ。
幸せは突然やってくる。


10年前はこうはいかなかった。
ここ最近は体調が悪く、ほとんど寝ていた。
だから、今日みたいな気分のよい日の出来事を、よ〜く覚えておくのだ。
私はお婆さんになり、今日の日の幸せを何度も思い返すだろう。