2014/01/27 標題を修正 「たかじんメモの疑念」→「疑惑のたかじんメモ」 (特に意味はありません。)


私は当初、半ば野次馬的に一連の殉愛騒動を眺めていました。例えれば、火事の対岸で「なんだ、なんだ、よく燃えているけど、何がどうなってるんだ」と取り巻く野次馬の如くです。


しかし、火事はますます燃え盛るばかりです。火事から遠い位置で見ていたのですが、より近くで見てみたいという衝動を抑えることができなくなってきました。


これは、ネットの存在が大きいです。殉愛が金スマで放映された直後、内容に違和感を覚えたネット民による掘り起しが始まりました。次から次へと掘り起こされてネットに晒されていく状況を見て、中には、随分いい加減な内容も含まれているんだろうなあ、と最初は半信半疑でした。ところが、これらの多くが徐々に傍証されていくのです。さくら氏のイタリア人等との婚姻歴、派手好きを示すブログの存在、不明確な遺産相続内容などは、元は全てネット発信です。


これらが契機となり、さらに、百田氏のツィッターによる杜撰な対応が拍車をかけ、もはや、殉愛という本と、さくら氏自身の世間的評価は地に落ちてしまったと思えます。


止まらぬ追及の勢い


私は、先のブログで、現時点で判明している事実だけでも百田氏とさくら氏の虚飾は剥がれている(→ コチラ )と書きました。個人的には、確定事実を一般に拡散していくだけで十分効果があると思っていますが、ネット民の皆さんは、こんなものでは足らず、さくら氏の犯罪性を立証しなければ終わらないくらいの勢いです。


今でも、次から次へとネット民による推定がツィッター上に順不同であげられています(同時に2チャンネルでもあげられているようですが、私は2ちゃんねるには直接関わりたくないと思っているので、ネット情報は、全てツィッター経由です。)。


ネット民による掘り起こしは多岐に及びますが、大雑把に整理すると、およそ次のように分類できます(多分、漏れあり。)。これら一つ一つについて相当量の情報が錯綜しているので、それぞれを集約、要約するとしたらそれだけで膨大な量になるでしょう。


① たかじんメモの真偽性(さくら氏又は別の第三者によるものではないかとの疑い。)
② さくら氏とたかじん氏の出会いエピソードの信憑性(FBによる出会いは非現実的)
③ さくら氏とたかじん氏が共に映った画像の真偽性(加工されたものではないかとの疑い。)
④ さくら氏がたかじん氏に行った介護内容の真偽性、違法性(たかじん氏の死因との関連を含む。)
⑤ たかじん氏からさくら氏への遺産相続の実態。(非営利団体への寄付行為を含む)
⑥ イタリア人の前夫との離婚届出の真偽性
⑦ さくら氏の過去の婚姻及び離婚の実態
⑧ さくら氏と関連事務所との利害関係、画策の実態
⑨ 百田氏によるマスコミへの圧力の実態(あるいはマスコミによる自粛)


このような掘り起こしは、執念(言葉を換えれば情熱)がなければできないことだと思いますが、核となっているものは、一つは、たかじん氏が汚されたことに対する怒り、もう一つは、公共性を謳いながらも今回の件について公平な姿勢を欠くマスコミに対する怒りだと感じます。これらを全てひっくり返してやる、くらいの勢いです。


この勢いには、百田氏の援護派もかたなしです。時折、百田氏援護を試みるツイを見かけますが、いかにも思いつきだけで、情報収集もせず理論武装もなく、何より、徹底的に援護してやろうという気概、気骨がないので、何回かのやりとりの後、捨て台詞を吐いて去ってしまっています。このくらいで撤退するなら最初から余計なことを言わなければいいのに、と思える程度のふがいなさです。


このような状況を見ると、もはや、百田氏の援護派というものは実質的に存在しておらず、百田氏と利害を共にする人達が、あたらずさわらず取り巻いているだけのような感じがします。当事者である百田氏も最近はほとんど沈黙しています。この期に及んで沈黙するのであれば最初から沈黙を守っていればよかったのにと思うのですが、当初、ツィッター上で、そのへんのチンピラのような物言いで脊髄反射的な反論を繰り返していたのは何だったのでしょうか。(あれは見る人の気分を害するだけで他には何の意味もありませんでした。もっとも、初めから見る人の気分を害することだけを目的にしていたのであれば大成功だったと言えるでしょう。)


さて、上に分類した①~⑨のうち、「⑨百田氏によるマスコミへの圧力の実態」については他と少し毛色が違っていて、極めて社会性が高いものですが、これについては、業界事情を知り、業界にツテがある人でなければ、素人にはなかなか手が出せない分野です。週刊誌の雄、文春や新潮でさえ影響が拭えないのかと思っていましたが、このほど、「宝島 3月号」がこれに切り込みました。私は、これまで宝島に対して、裏社会ネタとエロネタの二枚看板で売る雑誌という雑な印象しか持っていなかった(すみません)ので、白昼堂々と買って読むことはなかったのですが、今回の記事で考えを少し改めましたね。続報もあるようだし、ここはプロの根性と手腕に大いに期待したいと思います。


上記の①~⑧については、真実に近いと思われる情報は次々出てくるものの、いずれも決定的な事実確認には至っていません。このうちのいくつかには事実誤認もあるかもしれませんが、これだけの疑念が噴出するということ自体が、さくら氏に漂う胡散臭さを表しています。


これらの一つ一つについての感想を言うだけでも、いくつものブログ記事が書けそうですが、そんな需要もないと思いますので、今回は、この中の「たかじんメモ」について触れてみたいと思います。


たかじんメモ


たかじんメモは、一連の騒動の中で、最重要とも言える位置を占めています。百田氏がさくら氏に心酔し陶酔したとしても、さくら氏からの聞き取りだけでは殉愛を書こうとは思わなかったでしょう。これらのメモがあったからこそ、さくら氏の言うことを丸々信用し、杜撰な裏付けだけで書き始めたのです。


現時点で「さくら氏寄り」、「百田氏寄り」と目される人たちも、自らが褒められたり、励まされているこのメモの存在によって、そういう立ち位置になっています。


それだけではなく、相続や寄付行為、たかじん氏の関連事務所の代表や役員にさくら氏が名を連ねることになったこと、たかじん氏の冠番組の継続等々についても、このメモが重要な役割を果たしていると思われます。


そのような重要な役割を果たしているメモについて、疑念が多すぎるのです。概ね次のようなものです。

① たかじん氏は、本当にメモ魔だったのか(メモ魔なら病床に伏す前にも膨大なメモを残していたはず)。その事実を誰が認識していたのか。
② たかじん氏は、病床にあった時、本当に膨大なメモを残すだけの体力、気力が残っていたのか。
③ たかじん氏は、さくら氏から24時間介護を受けていたというが、いつ、さくら氏に知られぬように大量のメモを書いたのか。
④ たかじん氏のメモはどこに残されていたのか。(さくら氏によると金庫の中にあったそうだが、それなら他にメモの存在を確認した人がいるはず。マネージャーK氏、弁護士は見ていないのか。持ち逃げしたと証言したりわけがわからない。)
⑤ たかじん氏のメモの原本は、今、どこにあるのか。
⑥ (たかじん氏の往時の言動から考えると)たかじん氏が書いたものとは思えない内容ではないか。(たかじん氏なら、「本間に」、「つるべえ」などとは書かない、大阪弁では書かない、ピリオドが多すぎる等々)
⑦ メモの全部又は一部は、たかじん氏の筆跡ではないのではないか(さくら氏又は別の第三者の筆跡ではないか)


たかじんメモ一つとっても、湧いてくる疑念、突っ込みどころが多すぎて収拾がつかなくなりそうですが、百田、さくらのタッグチームからまともな説明が行われたことはなく、いつもわけのわからない言訳と強弁だけです。


これらの疑念が単なる思い込みによるものでメモが本当にたかじん氏の真筆であったとしても、それならば、このメモの内容は、たかじん氏の精神状態が普通でない時に書かれたからだろう、もしくはさくら氏に書かされたのだろう、と思うしかないほどの疑念の深さがあります。


筆跡鑑定


これらの疑念一つ一つを全て明らかにしていくことは困難だと思いますが、この中では、⑦の筆跡の違いについては、素人的に考えると、客観的な立証ができるような気がしてきます。及川眠子さんが違和感をとなえたのも筆跡の相違からでしたし(後に発言を修正し謝罪)、イワンのバカさんを初めとしてツィッターの人たちが精力的に取り組んでいる一つが筆跡です。


プロを名乗る藤田さんという方の鑑定結果が公表されていますが、極力、第三者的、客観的、公平な立場で見ようとしても、私には、ツィッターの人たちの検証のほうが説得力があるように感じました。これについては後述します。


私は筆跡鑑定についても完全な素人で、Wikipediaの記述(コチラ )以上の知識はありません。筆跡鑑定と言うものは、「AとBは同じ人物が書いたものである」、「AとBは同じ人物が書いたものではない」という両面を立証しようとするものだと思うのですが、指紋、DNA、網膜などのように完全に一致(又は不一致)を立証できるものではなく、あくまでもその可能性の大きさを示唆するに過ぎないもののようです。


Wikipediaを見ると、個人の筆跡の特徴は、筆順、字画構成、字画形態、筆勢、筆圧、誤字・誤用、個人的変動性などに現れ、記載時の客観的条件や心理状態によって多少の変動は不可避的に生じるので完全に不変不動と言うものではなく、その変動が、許容の範囲内にあるかどうかが決め手になるようですが、許容範囲の判断は経験によるところも大きく、ちょっとやそっとで断定できるシロモノではなさそうです。


したがって、たかじんメモの真偽性は、筆跡だけで決着がつけられるものではなく、そのメモに本人の指

紋が残されているか、メモを書いているところを目撃した人がいるか、書かれている内容(本人しか知り得ないことが書かれている、逆に本人が知っているはずのないことが書かれているなど)などの状況証拠の総合的な判断によるものだと思われます。その意味で、たかじんメモの原本の存在は重要だと思うのですが、どこかに保管されているのでしょうか。


当然のことながら、筆跡鑑定自体が無意味というわけではなく、真偽を判断する状況証拠の一つとして重要な位置を占めていることは間違いありません。たかじん氏の長女の訴訟又は打越氏に対する訴訟において、このたかじんメモの真偽性がどこまで問われることになるのか素人では想像もできませんが、このメモの真偽性に重大な疑いがある、一般人がパッと見たら別人の筆跡だと感じても無理がない、と言えるだけでも心証が変わってくるような気がします。


これらのことを前提として、藤田筆跡解析鑑定所の藤田晃一さんという方の鑑定結果(→コチラ )を見てください。これについては、実際の鑑定結果を直接見ていただいたほうが早いし、正確だと思うのですが、三様のメモ(たかじん氏の直筆メモ、疑惑メモ2点、さくら氏の直筆メモ)を比較して、疑惑メモ2点は、いずれもたかじん氏の真筆である、と結論付けています。


その理由としては、たかじん氏は執筆時の気分によって字画形態が大きく異なり、テンションが高い時は文字の大きさの変化が大きく、低いときは変化がなく文字間隔が広くなる(だから一見すると違った筆跡に見えてしまう、と言いたいのだと思います)、そして、「あ」、「な」、「た」、「心」については、(テンションの高低にかかわらず)恒常的な特徴を示しており、直筆と疑惑メモは一致していることから、疑惑メモはたかじんの直筆に間違いない、というものです。


この鑑定結果の信憑性の判断は皆さんにお任せしますが、私が思うには、プロの鑑定結果と言うには調査客体が少なすぎるし、これだけでテンションが高い時に書いたのか、低い時のものか判断してしまうのは乱暴だと思えるし、一致している特徴が「あ」、「な」、「た」、「心」だけというのも「真筆である」と言い切るには無理があるように感じました。私は、この藤田さんという人が筆跡鑑定の世界でどれほどの実績があってどのような評価を受けているのか知りませんが、この鑑定結果に限っては、あまり説得力を感じませんでした。


他方、イワンのバカさんを初めとするツィッター上の検証(コチラ )は、一致・不一致を判断する文字、部首の数が圧倒的に多いし、その後の皆さんによる検証では、筆順、誤字誤用のクセ、「で」などの濁点の位置(濁点が「て」の真ん中にあるか、右上に外れているか)、句点のクセなどにも及んでいるし、説得力という点で、こちらのほうが上回っていると感じました。


この両者の検証内容を見るとき、A、B、Cの三様の筆跡を鑑定するに当たって、Aの筆跡が、Bと同じか、Cと同じか、そのいずれでもないのかを完全に立証して確定するのは相当困難なことと思えます。先入観が大きければ大きいほど、先に描いた結論に沿って癖を探し出して比較してしまう危険性もあり、できるだけ客観的な立場にあり経験豊富な人が、できるだけ多くの客体(原本)を集めて検証を行うことが鑑定結果の説得力を高めるように思いますが、ネット上の皆さんのたゆまぬ検証作業は、こういった疑念があることを世間一般に知らしめるという点でも意味を持っていると思います。


いずれにしても、たかじんメモの行方が気になります。さくら氏が確信し、自信があるというのなら、所有しているメモの原本全てを出してしまえばいいのにと思うのですが、裁判にでも出そうとしているのでしょうか。


- 今回はこれで終わり -


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