岩付城(岩槻城)の北の守り、新正寺曲輪(しんしょうじくるわ)の散策の続きです。

神社の裏側は、森の中の散歩道、といった雰囲気で道が整備されていました(一枚目)。
左手が、久伊豆神社が乗っている台地です。

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北に目をやれば、武蔵野の元風景のような景色(二枚目)。

神社の表側は、密集した住宅街なのですが、裏側は森と農地が広がっています。
城の内側と外側の違いが、その後の開発にも影響を与えているのかもせません。

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北にあるはずの元荒川は、ここからは見えないのか、、、と思っていると、溜め池のようなものが見つかりました(三枚目)。

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農業用水のための溜め池か、地形上、雨水が自然に貯まって池になるのか。私には、後者のように見えました。

元荒川が大きく湾曲して流れるこの付近では、元荒川が土地を削り取ってできたこうした池が昔からあったのではないか。それらは、曲輪の外側にあって、堀の役割を果たしていたのではないか。

そんな妄想が広がりました。


<追記>
久伊豆神社裏の地形を、岩付城(岩槻城)の大構(総構)の跡ではないか、と見ている方は、他にもいらっしゃいました。
http://nakatsushiro.asablo.jp/blog/2010/06/26/5186717

この世界、先達が大勢いることが徐々にわかってきました。


<追記その2(2014年12月3日)>
現在の地形に残る岩付城(岩槻城)の大構跡を整理しました。
岩槻城(岩付城)の大構を探る