「理科のわかる5段階」は川勝博氏考案。
生徒がつぶやく「わからん」「わかった」の言葉の裏に、どんな背景があるかを探った、面白い一覧表です。
サークルで知り合った氏に「こんな表をつくって生徒に配っているんだけど、もっと印象づけたいんで、イラスト化してもらえないかな」と頼まれて、フキダシのセリフにぼくなりのアレンジを加えて作りました。もう、ずいぶん昔の話になります。
最初にイラスト化したものは、表が縦になっていました。イラスト化したらあちこちから使いたいという依頼があり、ご自由にどうぞといっていたら、中学生向けの参考書にまで載るようになってしまいました。
最初のものは急いで作ったので、正直絵も字もいいかげんで、いつか改訂版を出したいなと思っていました。
その後、川勝氏から英語版を作ってほしいと頼まれたとき(たぶん、物理教育の国際会議か、アメリカのAAPT(アメリカの物理教育学会のような組織)に行ったときだと思います。なにぶん古い話なので、記憶が曖昧)、横書きのセリフに対応できるよう、図の表も横向きにして、全面的に作り直したものです。
上のイラストは、その英語版をさらに日本語に戻した翻訳版(なんだか、ややこしい)です。「理科のわかる5段階」の決定版としてずっと使ってきたものです。
もとの原稿はもちろん白黒なんですが、ちょっと寂しいので、色をつけてみました。
ところで、この5段階、海外の物理教育関係者と交流を持つようになってわかったのですが、生徒がこの5段階で「わかる」「わからない」のイメージを持つようになるのは、日本独特の現象であるということです。
海外、とくに欧米の国々では、高校の学習段階では「まず点を取れ」というような風潮がありません。したがって、最初からわかる5段階の4段階目から始まるわけです。
おそらく、中国の科挙の影響を受けた国々(まず、結果を求めること、つまり点数をとることが求められる)では、日本と同じ影響があるでしょうね。
もっとも、4段階目からがホンモノの勉強なので、どの国でもそこで苦しんでいるのは同様です。
最初にアメリカに招かれたとき、日本では多くの学校で物理は必修科目でしたが、アメリカでは物理はすでに選択科目となって久しく、物理の選択者がどんどん減っている状態でした。AAPTの人たちは口をそろえて「どうすれば物理を面白いと思ってもらえるのか、どうすれば物理を選択してもらえるのか、それがわれわれのぶつかっている問題だ」といっていました。
一方、ぼくたち日本の物理教育関係者が抱えていた問題は、物理の全員履修により生まれたものです。誰もが物理が好きなわけではないのに、全員が習わなくてはならない。当然、授業を聞きたくない、という生徒も増えるわけで、その中でどう授業を成立させるかという闘いです。
ぼくたちが「すべての国民に物理を」という科教協のスローガンを紹介したとき、AAPTの人たちは「そういう発想はわれわれにはなかった」と驚いていました。まさに、異文化交流ですね。
その後まもなくして、日本でも「個性の尊重が云々・・・」という錦の御旗で、「教育改革」がなされ、物理は選択科目となり、現在の状況に続いているわけです。
ハンガリーのヤスベレーニョという町で、日本ハンガリー物理教育会議が開かれたとき、今度はぼくたちがびっくりする番になりました。ハンガリーでは、物理が全員必修科目に指定されていたんですね。
理由は簡単。
長らく社会主義国だった東ヨーロッパの国々は、自由主義経済に方針転換したとき、国力の遅れを取り戻すのには、科学教育に力を入れるしかないと判断したからです。
したがって、ハンガリーの物理教育関係者が抱えていた問題は、少し前までぼくたちが抱えていた問題とそっくりなわけです。ぼくたちは「すごい、まだ全員必修の国がある!」と興奮したことを覚えています。
余談ですが、バスに乗って国境を越え、ハンガリーへ向かう道のりで、一番目に入ってきたのが、当時は日本では珍しかった衛星放送の受信アンテナ。それはもう、どの家にもどの家にも、パラボラが並んでいました。
「ああして西ヨーロッパの放送を受信して、西側の豊かな生活や文化を知ったんだ。ベルリンの壁を壊したのは、情報だったんだなあ!」などと、みなで感心しきり。
そういえば、ヤスベレーニョの市長さんはもと物理の先生でした。ハンガリーのトス・エステルさんによれば、ロシアの支配を抜け出したとき、サイエンスの教育者の株が上がったのだそうです。「改革の後、社会の教師はいうことが180度変わったのに、理科の教師はいうことが変わらなかった。だから信頼されたんだ」と。ロシア語を教えていた教師は英語を教えるようになるなど、環境が激変したそうです。
そういえば、ハンガリーでは英語は日本と同じくらいにしか通じないので、一般の市民の方々と意思疎通をはかるのは大変でした。なんとか通じたのはドイツ語だけ。あちらこちらに表示されている看板もぜんぶハンガリー語で読めない。
でも、ハンガリーの人たちからは「私たちは日本の人たちと同じアジアの人間なんだ」といわれました。たしかに、日本語とハンガリーのマジャール語には共通点が数多くあり、同じ語族に属しています。しお、みず、など、命に関わる単語は、同じ発音でしたから。
生徒がつぶやく「わからん」「わかった」の言葉の裏に、どんな背景があるかを探った、面白い一覧表です。
サークルで知り合った氏に「こんな表をつくって生徒に配っているんだけど、もっと印象づけたいんで、イラスト化してもらえないかな」と頼まれて、フキダシのセリフにぼくなりのアレンジを加えて作りました。もう、ずいぶん昔の話になります。
最初にイラスト化したものは、表が縦になっていました。イラスト化したらあちこちから使いたいという依頼があり、ご自由にどうぞといっていたら、中学生向けの参考書にまで載るようになってしまいました。
最初のものは急いで作ったので、正直絵も字もいいかげんで、いつか改訂版を出したいなと思っていました。
その後、川勝氏から英語版を作ってほしいと頼まれたとき(たぶん、物理教育の国際会議か、アメリカのAAPT(アメリカの物理教育学会のような組織)に行ったときだと思います。なにぶん古い話なので、記憶が曖昧)、横書きのセリフに対応できるよう、図の表も横向きにして、全面的に作り直したものです。
上のイラストは、その英語版をさらに日本語に戻した翻訳版(なんだか、ややこしい)です。「理科のわかる5段階」の決定版としてずっと使ってきたものです。
もとの原稿はもちろん白黒なんですが、ちょっと寂しいので、色をつけてみました。
ところで、この5段階、海外の物理教育関係者と交流を持つようになってわかったのですが、生徒がこの5段階で「わかる」「わからない」のイメージを持つようになるのは、日本独特の現象であるということです。
海外、とくに欧米の国々では、高校の学習段階では「まず点を取れ」というような風潮がありません。したがって、最初からわかる5段階の4段階目から始まるわけです。
おそらく、中国の科挙の影響を受けた国々(まず、結果を求めること、つまり点数をとることが求められる)では、日本と同じ影響があるでしょうね。
もっとも、4段階目からがホンモノの勉強なので、どの国でもそこで苦しんでいるのは同様です。
最初にアメリカに招かれたとき、日本では多くの学校で物理は必修科目でしたが、アメリカでは物理はすでに選択科目となって久しく、物理の選択者がどんどん減っている状態でした。AAPTの人たちは口をそろえて「どうすれば物理を面白いと思ってもらえるのか、どうすれば物理を選択してもらえるのか、それがわれわれのぶつかっている問題だ」といっていました。
一方、ぼくたち日本の物理教育関係者が抱えていた問題は、物理の全員履修により生まれたものです。誰もが物理が好きなわけではないのに、全員が習わなくてはならない。当然、授業を聞きたくない、という生徒も増えるわけで、その中でどう授業を成立させるかという闘いです。
ぼくたちが「すべての国民に物理を」という科教協のスローガンを紹介したとき、AAPTの人たちは「そういう発想はわれわれにはなかった」と驚いていました。まさに、異文化交流ですね。
その後まもなくして、日本でも「個性の尊重が云々・・・」という錦の御旗で、「教育改革」がなされ、物理は選択科目となり、現在の状況に続いているわけです。
ハンガリーのヤスベレーニョという町で、日本ハンガリー物理教育会議が開かれたとき、今度はぼくたちがびっくりする番になりました。ハンガリーでは、物理が全員必修科目に指定されていたんですね。
理由は簡単。
長らく社会主義国だった東ヨーロッパの国々は、自由主義経済に方針転換したとき、国力の遅れを取り戻すのには、科学教育に力を入れるしかないと判断したからです。
したがって、ハンガリーの物理教育関係者が抱えていた問題は、少し前までぼくたちが抱えていた問題とそっくりなわけです。ぼくたちは「すごい、まだ全員必修の国がある!」と興奮したことを覚えています。
余談ですが、バスに乗って国境を越え、ハンガリーへ向かう道のりで、一番目に入ってきたのが、当時は日本では珍しかった衛星放送の受信アンテナ。それはもう、どの家にもどの家にも、パラボラが並んでいました。
「ああして西ヨーロッパの放送を受信して、西側の豊かな生活や文化を知ったんだ。ベルリンの壁を壊したのは、情報だったんだなあ!」などと、みなで感心しきり。
そういえば、ヤスベレーニョの市長さんはもと物理の先生でした。ハンガリーのトス・エステルさんによれば、ロシアの支配を抜け出したとき、サイエンスの教育者の株が上がったのだそうです。「改革の後、社会の教師はいうことが180度変わったのに、理科の教師はいうことが変わらなかった。だから信頼されたんだ」と。ロシア語を教えていた教師は英語を教えるようになるなど、環境が激変したそうです。
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