「なんて可愛らしい歌声なんだろう。」
彼女の歌を初めて聴いたとき、素直にそう思い、胸がふるえた。
話すことに障害を持っている彼女は、緊張する場面では、
スムーズに想いを伝えられない。
何度も何度も、言葉が詰まる。
当然、人前で話すなんて考えたこともなかっただろうし、
歌うなんてあり得なかった。
だけど彼女は、ある日、自分の世界を変える選択をした。
たくさんの人の前で話すと言う。
覚悟を決めて私の部屋を訪れた彼女は、とてもとても
密度の濃い空気に包まれているように感じられた。
私たちの会話は、途切れ、行きつ戻りつしながら進む。
「ねぇ、ちょっと歌ってみたら」
そんな私の提案を受けて、彼女は歌った。
歌は、サラサラと流れる。
彼女の持つ、強さも優しさも穏やかさも清々しさも、
その全てが歌の中で飛び跳ねていた。
可愛らしいな。
美しいな。
彼女しか歌えない、嘘のない歌。
ほんとうの歌だ。
話す言葉は流れなくても、歌は流れる。
「歌うように話してみると良いのかもね」
そんなやりとりを繰り返して、彼女は本番を迎えた。
周囲の人のサポートも受けながら、彼女は大きな一歩を
踏み出した。
「歌ったり、声を出すことが楽しい」
と、報告のメールに書いてあった。
「ありがとう」とお礼を言うのは、私の方だ。
勇気を持って闘った人の、かけがえのない時間に
立ち会えたのだから。
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「想いを伝える」
ということは、少しせつない。
たぶん、全ては届かないし、相手に受け取られた時には、
もうすでに、その想いは違うものになっている。
だけど私たちは、伝えずにはいられない。
ゆっくりでも、言葉に詰まっても、空回りしても、小さな声でも、
それでも、伝えずにはいられない。
それが、生きるということだから。
私が、ここにいる証だから。
だから、何にも、誰にも、恥じることはない。
堂々と、ゆっくりと、自分の声で、伝え続けて行けば良い。
「伝えたい」
という想いは、自分の内側から外へ溢れ出し、色を変え、
形を変え、静かに人を満たし、人を動かす。
そこに、上手い下手などの意味付けはない。
日々の出会いの中で、教わっているのは私。
救われているのも私だと、つくづく思う。