沖縄各地でひめゆり学徒ら慰霊祭::平和を守る力は軍隊には無いのは確かだ。 | 端事些事のブログ

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沖縄各地でひめゆり学徒ら慰霊祭(2012年06月23日 17:29 大分合同)

 沖縄戦から67年の「慰霊の日」を迎えた沖縄県では23日午後、糸満市の「ひめゆりの塔」など各地で犠牲者を追悼する行事があった。参列者は家族や友人らの死を悼み「次世代に平和の尊さを受け継いでいく」と決意を新たにした。
 看護要員として動員され犠牲になった「ひめゆり学徒隊」らの慰霊祭には、同級生ら約500人が参列。ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長(84)は「どこでどのように亡くなったか分からない友人もいる。戦争がむごい、悲惨なものであると伝えていかなければ」と目を潤ませた。
 同窓生らでつくる財団は学徒隊の活動を伝えるアニメ「ひめゆり」を完成させ、資料館で同日、初上映した。



沖縄 遺族高齢化で慰霊祭は断念(6月23日 18時40分 NHK)

沖縄戦の犠牲者をまつる慰霊塔の中には、遺族の高齢化で、ことしから「慰霊の日」の慰霊祭を開けなくなったところもありますが、こうした慰霊塔にも、遺族らが自主的に訪れて追悼する姿が見られました。

沖縄県糸満市伊原にある慰霊塔には、沖縄戦当時に負傷兵が運び込まれた、沖縄陸軍病院ごうで亡くなった、兵士や医師、看護師などの霊がまつられています。
この慰霊塔は、生存者や遺族で作る「沖縄陸軍病院慰霊会」が管理し、毎年「慰霊の日」に慰霊祭を開いてきましたが、遺族の高齢化などを理由に、ことしは慰霊祭の開催を断念し、慰霊塔の管理についても沖縄県の外郭団体に任せることになりました。
慰霊祭は開かれませんでしたが、慰霊塔には23日も自主的に遺族らが訪れ、花を手向けて、犠牲者を追悼していました
看護師の姉を亡くした、慰霊会の事務局長、宮里宏さん(79)は、「後継者が見つからなかったため、慰霊塔の管理や慰霊祭ができなくなってしまいました。それでも、戦争の悲惨さが若い人に伝わるよう、慰霊塔はいつまでも残してほしい」と話していました。
沖縄県によりますと、県内には戦争の犠牲者をまつる慰霊塔や慰霊碑が少なくとも370ありますが、遺族らの高齢化によって、管理が難しくなっている所が増えているということです。



慰霊の日 遺族ら平和願い行進(6月23日 11時41分 NHK)

沖縄戦最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、遺族などおよそ800人が平和の尊さを訴える平和行進を行いました。

ことしで51回目となる平和行進は、沖縄戦最後の激戦地となり多くの人が亡くなった沖縄本島南部から平和の尊さや戦争の悲惨さを訴えようと、毎年「慰霊の日」に行われています。
この日は、県内外の遺族などおよそ800人が糸満市役所前の広場から、戦没者の追悼式が行われる平和祈念公園までのおよそ9キロの道のりを行進しました。
主催する沖縄県遺族連合会によりますと、高齢化が進み、行進に参加できない遺族が年々増えていて、戦争の記憶をいかに継承していくかが課題になっているということです。
参加者は戦争で亡くなった人たちのことを思いながら、歩みを進めていました。
父親など家族4人を亡くしたという沖縄市の77歳の男性は「戦争は何ももたらさない悲惨なものです。基地問題が解決しないかぎり、沖縄に本当の平和は訪れないと思います」と話していました。
また、孫と一緒に毎年参加している那覇市の67歳の女性は、「父親を亡くした自分の体験を伝えていくことができたらという思いで、行進に参加しています」と話していました。



今、平和を壊し戦争へ導こうとしているものは誰で、それは何故か?

平和を守る力はどこにあるのか?

平和を守る力は軍隊には無いのは確かだ。