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福島県いわき市の仮設住宅訪問


昨日は一日の流れをお伝えしましたが


今日は交流会でのお話の内容を書きます



文章ばかりで長くなりますが是非お読みくださいませ

 

 

簡易的な小さな部屋で6年を過ごした方々



 

看板にもあるように”応急”の仮設住宅なのです


その”応急”に6年も住まわされて


「これで支援打ち切りです」 と


何の収束もしていない原発の放射能にさらされた地域へと


戻される方々の想いを聞いてください



交流会前にもひとりのおばあちゃまが


後ろに座った私に体ごとを向けてお話を始めました


「広野に戻ったら不便になっちゃうんだよね


 年寄りは車の運転も危なくて出来ないからね」


ここにお住まいのみなさんは


20キロほど北にある広野からの避難者さんたちです



広野といっても広い地域です


山に住む人と海に住む人では相当な距離があって


隣の家も見えないくらい家と家が離れているそうです



交流会では


私たちの知らない多くのご苦労や不安が語られました



3月いっぱいで仮設住宅の提供は終了になります。仮設住宅は全撤去になってこの土地は別のことに利用されます。

復興住宅の建設が進んでいますが、この周辺に出来る復興住宅の入居対象に、広野からの避難者は入っていません。他の地域に入居対象になる復興住宅もありますが、3月末までに完成予定ということ以外の情報はまったく届いてきません。また出来上がった復興住宅でも、そこへの入居希望者が少ないという話も聞きます。広野地域の人々は年配者=年金受給者で、高価な復興住宅へは入れません。元住んだ家に帰るしかないのです。

広野はとても広い地域です。この仮設住宅で、狭いけれども日々顔を合わせながらみんなと築いた絆は、帰宅することで途絶えてしまいます。悔しいです。年配者にとっては交通の便の悪い地域ですし、ここのような集会所もありません。寂しくなります。

広野に戻っても、今までのように田んぼや畑をする気力も体力もありません。作ったものを売ることもできないのですから。楽しみだった山菜採りも、食べるのが心配なのでしなくなるでしょう。広野に戻っても何もやることがありません

ここでは買物も駅前で出来ますが、広野にはここより小さなお店しかありませんし、商品の品揃えも乏しく生鮮食品が手に入りにくいです。広野の家からタクシーで広野駅に出て、3駅先のここ(四倉駅)まで電車に乗って来て、買物した重い荷物を持って広野駅まで電車で戻り、また家までタクシーです。移動販売のようなサービスもありません。結局ここまで来ることになります。

これから広野で生活するには大きな恐怖があります。それは広野の住民よりも、今は他県からの除染作業員が多く住んでいるということです。除染作業員のアパートが多く、見知らぬ人々に出くわすのが怖いです。泥棒に入られそうになったという話も聞いています。今まで広野では家に鍵をかけることはなかったのですが、今は必ず鍵をかけています。広野の小さなスーパーには除染作業員向けの弁当と酒は大量に売っています。

除染作業はいつまで続くのでしょう。原発の放射能は漏れ続けています。除染をしてもまたすぐに汚染されてしまうので作業は永遠に続きます。そんな除染作業に出す金があるのなら、住民への補償を充実させて欲しいです。

東電には地震と津波は補償には関係ないと言われました。でも地震と津波の影響で原発の爆発があったからこんなことになったのです。そんな会社に息子が毎日通って働いています。息子の寿命は短いと思う…。福島に残って働くくお父さんと、健康のために他の地へと移った母子の間での離婚率がとても多くなっています。福島の子どもたちの甲状腺がん発症は183人となりました。発表される放射線量は本当かどうかわらないのです。住民への健康被害は重大な問題です。

補償を打ち切り、地元への帰還を急がせることの裏には、2020年のオリンピックの為に安全をアピールする意図があります。広野も選手宿舎になるそうです。何事もない、何の心配もない証として、私たちは広野へと帰されるのです。

若い人たちのなかには、広野に戻らずに他の地へと移る決意をした人たちもいます。ここから乳幼児2人のお子さんを連れて千葉県へ引っ越す若夫婦がいます。子どもたちを保育園へ入れるときに、福島から来たとは言えないと悩んでいます。子どもたちがふるさとのことを話せないとは何と悲しいことでしょう。「菌」と呼ばれたり、お金を巻き上げられたり、福島からの子どもたちが非常に辛い思いをしていることをニュースで知るたびに苦しくなります。

福島県人を馬鹿にしている!悔しい!



みなさんがお話くださったことは


心の中にあるほんの少しの事柄なのだと思います


実際に


「私たちの不安や悔しさは言葉にはならない」


そうおっしゃっていました
 

 

私たちの訪問が終わりマイクロバスに乗り込むと



 

ライブでは最前列真ん中の席で元気にうたってくださって


交流会でもたくさん発言をして


「悔しい、悔しい」 と気持ちをぶつけていたおばさまが


家の外でお見送りをしてくれていました



バスの窓からみんなで


「ありがとうございま~す!」 とごあいさつをしたら


おばさまは手を振りながら大泣きでした



元気でも勢いがあっても


みなさんの心のなかは


不安と悔しさでいっぱいなのです



無くてもよかった


無い方がよかった原子力発電所が


自然界と人々の心をも破壊しました



帰宅のバスのなかでは


「帰ったらすぐにシャワーを浴びて衣類を洗濯してください」


と注意がありました



 

その危険の真っ只中に住んでいる方々がいます


 
福島だけではありませんね


私の住む松戸も今だにホットスポットであるというレポートを読みました


大気と海水にダダ漏れしている放射能は


世界規模で私たちを汚染しています



清い自然と人々の心は


どうしたら戻してもらえるのでしょう…