★藤田麻衣子プロフィール★ | 横浜の行政書士 藤田麻衣子| 建設業許可申請・経審ならお任せください!
横浜の行政書士 藤田麻衣子です!

いつもありがとうございます。



今、横浜の行政書士としてお仕事をさせて頂いています。1児の母でもあります。

この道を選ぶまでにはたくさんの挫折、紆余曲折がありました。そんな経歴も踏まえて今の私自身が出来上がったのだと思います。もちろんまだまだ成長過程!目の前の一つ一つをがんばる中で、もっともっともっと!進化していけたらと思っています。

私の人生のテーマは3つ
・ワクワクすることをする/選ぶ
・必要とされることをする/必要としてくれる人を大切にする
・幸せと笑いの沸点を低く

そんな人生を歩んでいけたらと思っています。



誕生~小学生:ごくごく普通の過疎地の子ども編-


1984年夏、【龍泉洞】で有名な岩手県岩泉町に産まれます。

なんと4,150gのBigBaby!典型的な「めぐさめんこ」として愛情たっぷりに育ちます。
…めぐさめんことは、岩手県の方言で、[めぐさい=可愛くない]と[めんこい=可愛い]が混ざった言葉。「顔そのものは可愛くないけど、愛嬌があって可愛いね」という意味。小さい頃は、どの人にもニコニコしている、愛嬌のある子どもだったようです。 ←よく考えると、ヒドイ話です(笑)


幼少時は父親の地元である青森県八戸市で暮らします。父、母、私の3人暮らし。両親が共働きだったため、小学校1年生で鍵っ子に。この頃からとても自立心が強い子どもだったようです。

小学校2年生で弟が生まれ、また母方の祖父の体の具合も良くなく、一家で母の実家である岩手県岩泉町へ、また戻りました。

やはり両親が共働きだったため、学校帰りは隣にある祖母の家で夜まで過ごしました。とっても可愛がってくれたけど、とっても厳しかったおばあちゃん。平成24年秋に倒れ、今も入院中。いつも叱咤激励してくれた元気な姿をもう一度見られるよう、家族みんなでサポートしています。



小学校時代。
超過疎地域で育った私。同級生は6人。テレビで見る、あんな感じです。小学校4年生から始めたバレーボールの練習に明け暮れていました。

あまりに田舎過ぎて、塾とか中学校受験なんて概念はゼロ。小学校と100mくらいしか離れていない地元の中学校に行く以外の選択肢はなく、すんなりと中学生に。大自然に囲まれた暮らしを除いては、ごくごく普通の小学生時代でした。



中学入学~高校入学:「超嫌なヤツ」編



中学校に入学しても、同級生はやっぱり6人(顔ぶれは同じ)。

入学して初めての学校の試験でたまたま良い点数だったことで気分を良くし、何となく勉強を頑張り始めました。更にこの頃、黒柳徹子さんの本を読んだことをきっかけに「アフリカの貧しい子どもたちのために働く」ことを夢みて、更に勉強。やればやるだけ結果が出ることが本当に楽しくなってきていました。もともと学習欲というか、好奇心が旺盛なのですが、この頃正に火がついた感じです。いわゆるガリ勉になりました。

中学校3年の時は朝4時半に起きて夜1時半に就寝、友達付き合いとかテレビとかどうでもよくて、とにかく勉強しているのが楽しくて自分を追い込んでいた時代がありました。部活にも打ち込んでいました。勉強して、部活して、勉強して、・・・友達からの誘いにも応じないような、本当に嫌な奴でした。何かに取り付かれていました。今、その体力が欲しい(笑) あまり誘惑が無かった環境も影響したのだと思います。

県内でトップの高校に進学したかったのですが、そのためには下宿が必須。経済的に厳しかったこともあり、泣く泣く地元の高校を受験。非常に悔しい想いをしました。



高校入学~大学受験:「初めての挫折」編



結局のところ、中学校時代は誘惑もなく、井の中の蛙でただただ勉強に打ち込んでいました。当時の娯楽がなんだったのか覚えていませんが、多分、勉強している時間が至福だったんだろうと思います(笑)


ところが高校に入ると、通学時間は片道1時間ほど。1学年100人くらいの小さな高校でしたが、同級生6人から比べたら新しい世界が広がったわけです(笑) 友達も出来、交友関係が広がり、だんだん勉強がどうでもよくなってきました。そして部活も。ここまで続けていたバレーボールも、練習のキツさ、周りと比較した時の自分のダメさに嫌気がさし、少しずつ離れていきました。

この辺りから、勉強しない、部活もしない、遊んで帰る、という、堕落の日々が始まりました。当然のことながら成績は急降下。同時期に両親の離婚の話もありました。そのことによって堕落したわけじゃないのに、まるでその問題のせいで私がダメになったかのように正当化し、部活も逃げるようにやめました。今でも、監督の先生に「それは逃げじゃないのか?」と聞かれたことを鮮明に思い出します。


この頃は心が本当に荒んでいました。今振り返ると、初めての挫折・諦めでした。色々なことがどうでも良くなってしまって、頑張れない、力が出ない、そんな時期でした。



しかしある時「こんな堕落した生活もいい加減つまらない!」と思い立ちました。とことん自分が嫌になっていた私。きっと、しゃがみきってしまったんだと思います。何かをしたかった。世界のことに、アフリカの教育のことに再び目が向きました。大学進学を再び志し心を入れ替えて猛烈に頑張るも時すでに遅し。加えてセンター試験直前に急性気管支炎となり、目を疑うような、最悪な点数を取ります。今でも鮮明に覚えているのは200点満点の国語のセンター試験。自己採点98点…これは、200点満点です。その結果、大学受験で失敗しまくります。

そもそも、大学進学は家族のみんなが反対していました。その時には既に両親も離婚していました。大学に行けるような経済的な余裕はありません。まだ小学生の弟もいました。でも諦めきれなかった。親戚の家で働かせてもらったバイト代と、奨学金を貯め、「学費も生活費も全部自分で出すという条件でなら、大学進学して良い」ということになりました。


失敗しまくりの大学受験、しかし夢を諦めきれず粘りに粘り、最後の最後、横浜市立大学国際文化学部(当時)後期試験に合格!飛び上がり踊りまくって喜びました。これは今でも鮮明に思い出すほどに、奇跡の合格でした。私も親も先生方もビックリ。実は、志願倍率は32倍でした。この後記試験は、センター試験なしの小論文2つをその場で書くのみ。「ちょっと変わった人が受かる試験」と、入学後に言われ、周りの顔ぶれを見て、何となく頷いたのでした(笑)


諦めなければ、頑張り続ければ、自分を信じ続ければ、結果に結びつくこともあるんだ!という、私を支えてくれた成功体験。


私にとってこの横浜市立大学に合格できたことは、人生のターニングポイント。大きな大きな出来事でした。


大学~ロースクール入学:「貧乏生活」編




まさか横浜市大に進学できるなんて思ってもいなかったのに本当に嬉しい入学を果たすも、大学時代は授業料、生活費を全て自分で賄わなければならず、まずは風呂なしの家賃2万5千円のアパートでたくましく暮らしました。あのアパートは、私の原点です。

経験したバイトは数知れず…試飲販売、家庭教師、水商売、パチンコ屋…一番多い時で4つのバイトを掛け持ちしていました。週7日バイトという時もありました。教育ローンも借り、奨学金もフルに借りました。借金大王への道の始まりです。「もやし」ばっかり食べてました笑




お金が無いなりに、やっぱり「アフリカの子どもたちの教育に関する仕事に就きたい」という夢・目標を持って過ごしていた大学時代。国際関係学科ならでは、周りにいる友達も、目が世界に向いている人たちがとても多かった。刺激的な空間でした。


ここで転機。


大学2年のとき、「ここがヘンだよ日本人」で有名なゾマホンさんと知り合いになり、お金を貯めてゾマホンさんが運営するベナンの日本語学校へ。が、この旅で、いかに自分が「上から目線」で貧しい人たちのことを見ていたのかを知ることとなります。「何かしてあげよう」という気持ち、これ自体はきっと良いこと。でも、もっと「施し」に近い感じで考えていました。

自分が偽善だったことを痛感し、夢・目標を見失ったわけです。

大学生に特有かもしれませんが、「自分が何をして生きていったらいいのか」その方向性探しの毎日だったような気がします。ぼんやりと、就職のことも考え始めた時期でした。


ここでも転機。



ちょうどアルバイト先のパチンコ屋が店を畳むということで次のバイト先を探さなくては、と思っていた矢先、普段は絶対見ない大学のアルバイト情報をたまたま見ていたら、家の近所で、かつ時給が良い法律事務所でのアルバイトを発見。絶対に受かりたくてアポ取りして履歴書を持参。持参したのは私くらいで、後になって笑い話となりましたが、無事に採用して頂き法律事務所でのアルバイトを開始。素晴らしい事務所の先生方と事務員の皆様に憧れ、また高校生の時の両親の離婚の問題もあり、弁護士になることを決意。


ロースクール入学に向けて、再び猛勉強。晴れて横浜国立大学のロースクールに合格できました。



ロースクール入学~退学:「決断そして大きなターニングポイント」編



ロースクールでは、素晴らしい仲間たちに恵まれました。そして人生最強に猛烈に勉強します。平均睡眠時間は3~4時間、1ヶ月のうちにベッドで寝るのは1~2回でした(他は勉強したままソファで寝たりしていました)。

そもそも法律なんてやったことない所からのスタート。法律書の読み方も分からず、入学してすぐの4月、5月は辛くて辛くてたまりませんでした。でも、仲間がいるから頑張ることができました。同じ目標に向かい、一緒に努力する人がいると更に力を振り絞れるんだということを体感した日々でした。



ところが。


入学後1年半、膨れ上がる借金(日本学生支援機構、自治体、教育ローン…)、今後の司法試験業界・弁護士業界への不安、結婚や出産、子育てと仕事を両立するビジョンの再構築、そして現実とのズレなどにより、弁護士への道をここでストップ。退学しました。


退学=目標を追うことをやめること。この決断は非常に勇気が要りました。高校の時の挫折が蘇ります。色々なことから逃げた高校時代。結局、たくさんの後悔が残った。だから、逃げることはしたくなかった。今の私の決断は「逃げ」なんじゃないのか?と、ずっと自問自答しました。「違う、逃げじゃない。この道を選んだんだ。」そう思えるまで考え尽くしました。このタイミングで退学したことが、私の人生の大きなターニングポイントです。



模索~妊娠:「今の道への決断」編



人生を模索。


この時、アレコレ本当に思い悩む中で

仕事は一生続けていきたい
でも仕事と家事や子育ては絶対に両立させたい
そして両立させやすい仕事をしたい


という結論が出ます。これは今も変わっていない考え方。



これを満たす中で、

自分がワクワク出来ることを仕事にしたい
広がりのある仕事がしたい
出来るだけ自分が得意なことを仕事にしたい


という思いが生まれます。やっぱり、学んだ法律を形にしたい、という想いもありました。



そしてあれこれ思案…その結果、【行政書士】の道が私のビジョンに相当合致していることが分かり、2008年受験。ロースクールで勉強していたことが幸いしたのか、一発合格。





しかし開業登録するお金もなく、社会人経験も無かったため、2008年冬、不動産の売買の営業の仕事につきます。なぜ不動産の売買営業の仕事を選んだか。それは、
・頑張れば頑張るほどお金になること(インセンティブが大きかった)
・「営業」はきっとどこでも活きると思った
・家を見るのが純粋に好きだった

こういった理由から。

働いた会社は横浜市旭区にある株式会社ハッピーハウス。 当時、社員10名くらいの小さな会社です。初社会人生活をここで過ごしました。基本のこと、営業のこと、不動産のこと、色々なことを教えて頂きました。不動産屋というと、「営業キツイんでしょ?」「残業ばっかりでしょ?」と言われますが、そんなことは全くなく、本当に本当に、良い会社でした。




2009年5月、会社員時代に開業登録。行政書士一本でいくことを目標に会社員を続けました。


本当は3年くらい続ける予定だった不動産の売買営業。1年ちょっと経過したところで妊娠が判明。それをきっかけとして2012年4月退職、これを機に行政書士一本でいくことを決意しました。


出産~実質的開業:「金なし、人脈なし、経験なしとはこのこと!」編



2010年10月、60時間にわたる出産。意識を失い、地獄が見えつつ、3,744gの男の子が生まれます。長引いた出産のせいか、疲れは想像以上。しっかり休みました。
>>出産レポ♪



そして2011年4月、専業での行政書士業を開始。これぞ正に、金なし、人脈なし、経験なし!のスタートでした。

<金なし>
 基本的には、前職の退職までに貯めたお金しかありませんでした。そのお金も、毎月の奨学金の返済や生活費などでジリジリ減っていきます。
<人脈なし>
 不動産屋時代には多くの不動産業者さんや建設業者さんと知り合う機会がありました。その方々に退職・開業と同時にご挨拶のご連絡でもすればよかったと思うのですが・・・しませんでした。退職した時にはツワリの真っ只中。退職のご挨拶もきちんとせずに離れた結果、機を逸してしまったわけです。今の仕事に繋がる人脈は、本当にありませんでした。
<経験なし>
 行政書士事務所での勤務経験はもちろんありません。法律事務所でのアルバイト経験はありましたが、行政書士の仕事とは当然全く違います。会社員時代に頂いたお仕事はいくつかありました。全くの手探り状態でした。こういう意味でも、開業したときは経験がほとんどありませんでした。

更に、私の場合は乳飲み子を抱えていました。家族のサポートがあるにせよ、実際面倒を見るのは私。仕事をしたい、しなきゃ、でも子どもがいる、泣いている、寝ない・・・子どもを抱えながら仕事をすることの大変さに、目の前が暗くなることもありました。

そんな、金なし、人脈なし、経験なし、そして乳飲み子!という、スーパー逆境からのスタートでした。


開業~現在:「皆様に支えられている今」編



開業後、模索の時期はあったものの、現在は建設業界の専門として、次のような業務をやっています。
・建設業許可申請
・経審
・入札参加資格申請
・解体工事業登録や電気工事業登録
・産廃収集運搬業許可申請
・会社設立
・その他、建設会社様が必要とする手続き


ターニングポイントになったのは、業務の絞込みをしたこと。そして、横浜という街が大好きで、そこに根付いた仕事をしようと決めたこと。


模索時期、色々なお仕事に携わらせて頂きましたが、今中心にしている業務については、その都度、心からやりがいを感じました。私が得た知識・経験をフルに使ってお手伝いさせて頂くことで、お客様に喜んで頂く。お客様の利益になる。未来に繋がる。


また幸いにも、人に恵まれました。助けてくださる方、心配してくださる方の多いこと。心から信頼出来る人もたくさん出来ました。皆様の支えが無ければ、まるで成り立たない日々だと痛感しています。



子育てをしながら仕事をするということは想像していた以上にとても大変でした。でも、毎日が本当に充実していて、幸せ度が非常に高い。たくさんの方と出会い、そのことが私の人生をとても楽しいものに、幸せなものにしてくれています。目の前にいる人のために、私を必要としてくれている人のために頑張ろう、そうココロに決めています。



将来的にやりたいことはたくさんあります。中学生の時に夢見たアフリカの教育の問題もそう、子どもが生まれてからは目を背けたくなるような子どもへの虐待の問題も。

もちろん、今自分が出来る範囲でやれることはたくさんある。でも、もっと大きなことをするには、まず自分が成功すること。まず自分が、一番近くにいる周りの人を幸せにすること。ここがスタートだと思っています。だからきっと、目の前に与えられたことを精一杯頑張ること。それが今私のするべきこと。



私の行政書士としての仕事は、今のところずっと右肩上がりで来ています。ありがたいことです。これから、仕事でやっていきたいこともあるし、これから達成していく目標もあります。子どもは2歳。これから更に成長していきます。

図らずも波乱万丈な半生でした。これからは穏やかに過ごしたいなと思いますが(笑)ワクワクすることを選んで、楽しく、たくましく、生きていきたいと思います。



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お読み頂き、ありがとうございます



こうやって振り返ってみると、まだ短い人生ではありますが、色々なことがあって、その場面場面で選択してきたことが重なって今があるんだな、と思い知らされます。

高校時代の挫折・諦めを経験して、「後悔するもしないも、この先私がどう頑張るかによるはず」と思っていました。もう二度と、絶対に絶対に後悔したくなかったので、選んだ道で頑張ってきました。



そして今、私が選んできた道に一つの後悔もなく(反省は星の数ほどありますが)、この道で良かったな~って心から思っています。
これからも目の前の一つ一つに真剣に向かって私の道を作っていきたいと思います。夢も目標もたくさんある。


人生のテーマ
・ワクワクすることをする/選ぶ
・必要とされることをする/必要としてくれる人を大切にする
・幸せと笑いの沸点を低く


こんな日々を着実に生きて、一度きりしかないこの人生、やりきりたいと思います。

そしてそんな私の人生と関わってくださる皆さんとの出会いを楽しみに、大切に。いつも本当にありがとうございます。


横浜の行政書士 藤田麻衣子横浜の建設業許可、経審、入札参加資格申請の専門家
各士業をはじめ、専門家紹介も完全無料


<建設業許可ウェブサイト>
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メールpink24時間受付中


<取扱業務一覧>
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