指定弁護士の立場に立って控訴の可否を検討する | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

無罪判決に対して控訴するか否かを指定弁護士に決めさせるというのは、ある意味で酷である。

指定弁護士にどの程度の補充捜査権限があるのかよく分からない状況で、手持ち証拠だけで控訴審の争いを続けても、さて原審判決の結論を引っくり返すことが出来るのかと問われれば、多分正直な指定弁護士たちはどうしても口を閉ざさなければならなくなる。

原審判決に一見して明白な誤謬があるときは簡単だ。
こういう時は、控訴すべきと即座に結論が出せる。
控訴すれば原判決の誤謬が訂正され、控訴によって正義が実現されることになるのだから、これは必ず控訴ということになる。

問題は、控訴しても裁判所の結論が簡単には覆らないだろと見込まれる時だ。

どうやっても控訴棄却になるような事案だったら、原判決に多少の疑念や不満があってもあえて控訴はしない、ということになる。
不当に抗争を続けるものではないというのが法曹としての一つの嗜みだから、小沢裁判については指定弁護士があえて控訴しないことも考えられる。

指定弁護士は、裁判所や検察庁に控訴の可否についてその指示を仰いだり相談できる立場にはないから、実に孤独な存在である。
控訴しても控訴しなくても、多分事件関係者から文句を言われるのだから、実にお気の毒な存在である。

私は、日本の司法にために、延いては日本の国民のために控訴すべきであるし、小沢氏や小沢氏の弁護団のためにも控訴してあげた方がいい、と考えているが、万一、指定弁護士が控訴しないという結論を出したとしても、これはこれで一応の理由があるのだから非難すべきではない。

もっとも、私は、本件は「控訴しても簡単には裁判所の結論が覆らない事案」には当たらない、と考えているが。