勝海舟を学びたかった/新しい政治の潮流を読み解く | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

勝海舟を学びたいと思ってきた。




福田総理と民主党の小沢一郎氏が党首会談を行ったという報道に接したときに、ふっと私の脳裏に浮かんだのは、江戸城の無血開城を実現した勝海舟と西郷隆盛の二人の会談だった。




参議院選挙で大敗し、政権の舵取りが出来なくなった安倍総理の後を受けて登板した福田総理は、まさに背水の陣を敷いて臨時国会に臨んでいた。


しかし、総理に就任して1箇月経っても一本の法律も成立しない。


このままでは、来年の予算も組めそうにない。これでは日本の政治が完全に機能不全になる。




身体窮まっていたはずの福田総理が、民主党の小沢代表とのさしでの会談を熱望していたのは当然だ。




私は、福田総理が明治維新の際の勝海舟の役割を果たしているように感じたのである。


だから、勝海舟を学びたいと思ってきた。




昨日東京駅の書店で、私が求めていた良書を見つけた。


中公新書の「維新前夜の群像シリーズ3」の「勝海舟」(松浦玲著)である。




その書籍の冒頭に、示唆的な一文が書かれている。




「歴史的な大事件に際会したときにその人物が何歳になっていたかということは、その人物にとっても、また歴史自身にとっても、しばしば重大な意味を持つ。


(中略)


維新変革の全コースの中で、多くの日本人を新しい統一国家を目指す運動へとかりたてる決定的な契機となったのは、なんといっても、嘉永6年(1853年)6月のペリー来航である。


この事件を機として、支配階級上層部での政治的混乱は最終的に収拾不能のものとなった。


そうして、その混乱のさなかから、日本国内に芽ばえあるいは底流として伏在していた近代的統一国家と市民社会とを目指す動きは、それを政治的に実現する方向をつかんでいく。


その動きのなかで中心的な役割を担っていく人物群を考えた場合に、やはり、彼らの分担した仕事と、嘉永6年


という時点での年齢との間に、密接な関係があるように思われてならない。


たとえば西郷隆盛。


彼は、嘉永6年に数え年で27歳である。


おなじ薩摩の大久保利通はその三つ下で24歳。


(中略)


長州にいくと、吉田松陰が大久保と同年で数え年24歳。


(中略)


土佐では、坂本竜馬が19歳。


後藤象二郎は16歳。板垣退助がその一つ上で17歳だった。


(中略)


倒幕派公卿では、その育ちのよさと一途さのために精神的シンボルともまたロボットともなった三条実美が嘉永6年で17歳。


(中略)


老獪をもって鳴った岩倉具視でさえ、そのときにはまだ19歳だったのである。


こうしてみると、倒幕・維新の政治行動の中心となった面々は、ペリー来航の時に、いずれも20代かもしくは10代だった。


(中略)


ところで、こうして維新変革の中心となった10代、20代の人物群のことを考え、数えあげていくと、これらの人物たちと密接に関係しながら、あきらかに彼らとは違う世代に属している、もう一つの人物群の存在に気づかされる。


佐久間象山、緒方洪庵、藤田東湖、(略)、徳川斉昭といった人たちである。


この顔ぶれは、いずれも、前に掲げた10代、20代の人物群のどれかの師匠筋にあたっている。


(中略)


嘉永6年、一方には、すでにそのときまでに自己の思想を確立し、その思想によって一定の事業をなしとげ、あるいはなしとげようとしていた先達的な群像があり、そうしてもう一方には、その先師、先達たちの影響下に入っており、またいずれ入ることが予定されているが、まだ自己の固有の思想までは形成しておらず、むしろペリー来航の衝撃によって飛躍し、がむしゃらに行動化しようとしている人物群がある。


前者は40代、50代であり、後者は10代、20代であった。


明治維新は、この後者によって達成された。


では勝海舟は、そのどちらに属しているのだろうか。


実はそのどちらにも属していない。


ペリーがやってきたときの勝海舟は、30代だった。


正確にいうと、数え年で31歳である。


(中略)


30代というのは、まことに中途半端な年齢である。


激情的な行動に身を挺してのりだすには、やや歳をとりすぎている。


思慮分別がつきすぎている。


しかし、30代では、まだ自分自身の人生における役割は果たしおえていない。


これから仕事をしなければならない。


激動に身をゆだねることが性に合わないからといって身を引くことは許されていないのだ。


(中略)


彼は、尊攘倒幕の志士にも、また、佐幕派の志士にもなれない。


そうなるためには世の中がみえすぎている。こといって、この激動から逃げだすわけにはいかない。


海舟の人生はこれからであり、好むと好まざるとにかかわらず、この動乱の中に自己の仕事を見出して生きるほかはないのだ。


海舟は、この運命に徹底的につきあった。」




40年前の1968年4月に上梓されたという「勝海舟」は、まさに私が求めていた本である。




日本人の平均寿命が78歳を超えるようになった現在は、明治維新の31歳が今の71歳に該当するということであろうか。




福田総理がどんな心境で小沢一郎氏との会談に臨んだか、なんとなく分かる。




その小沢氏は40人以上の民主党の国会議員を引き連れて訪中した。


この40人余りが、帰国後どんな政治行動を取るかが重要だ。


いよいよ政治の新しいステージの幕が上がったようである。




60代に突入した私も、多くの勝海舟の一人になれるだろうか。