誤報の構造/だからこんな記事が出るのか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

昨日は、珍しく複数のテーマについて取材があった。


一番目は、共同通信の厚生労働省担当の記者が、原爆症認定問題について与党プロジェクトチームの取組み状況と厚生労働省の認定基準見直しの方向性について周辺取材をするもの。


二番目は、もう一人の共同通信の記者が、地下鉄サリン事件等オウム被害者に対する国の見舞金支給問題について自民党のプロジェクトチームで示した「オウム被害者の救済についての考え方(暫定A案)」と「オウム被害者の救済についての考え方(暫定B案)」について、その趣旨や適用範囲、さらには今後の作業スケジュール等を確認するもの。


最後の三番目が、毎日新聞で、民法772条問題(離婚後300日以内に出生した子どもの戸籍問題)について法務大臣の昨日の法務委員会での答弁について、私のコメントを求めるものである。


いずれも私が現在取り組んでいる大事な課題であるが、こんな風に丁寧に取材をしたうえで記事にしてもらえば、大体その報道は信頼できる。


ところが、現実には、実に誤報が多いことが分かった。


しばしば記者は、他社よりも先に記事にしようと思い、断片的な情報を勝手に組み合わせ、記者の推測や希望的観測を交えた断定的原稿にしてデスクに出してしまうようだ。

デスクに原稿を出稿した記者は、「記事にするかどうかはデスクの判断次第。自分はとりあえず原稿は書いてノルマは果たした。やっぱり記事としては取り上げられなかったか。」などと思っていると、思いがけないときに記事が採用になる。


こういうときに誤報が起きやすいのだ。


出稿した記者は、なんで今頃1面に大きく取り上げるのだろう、と訝しく思うが、そのときは遅い。

つい先日のオウム被害者に対する救済のあり方を検討するプロジェクトチームについての読売や朝日の報道はちょっと先走りすぎていた。

まだ私自身の思案の段階の考え方に過ぎず、正式の座長試案にまで昇華されていないものを、あたかも自民党の決定のように報道する。

新聞が大きく取り上げ多くの国民が関心を持ってくれるのは担当者の私としてありがたいが、時にはその後の地道な、詰めの作業の支障になることがある。


どうも今回の報道はそのケースになりそうだ。


何故、新聞が誤報記事を載せるのか、その構造が段々見えてきた。


つい先日、自民党の犯罪被害者基本計画の着実な推進を図るプロジェクトチームでの検討状況を報道した日経新聞が、自民党のプロジェクトチームを、与党プロジェクトチームと誤報していたのも明らかな誤報である。


一般の国民にはたいした違いがないように思えるかもしれないが、当事者にとっては大変な問題である。


こんな誤報は、あってはならないことだ。

部会の審議を直接取材しないで、他紙の後追いをするから、こんな間違いを起こすのだろう。


丁寧な取材をくれぐれもお願いしたい。


こうして見ると、先を争って映像を求めるテレビが、特に間違いを起こしやすいことも良く分かる。

テレビは、視聴率優先だから、その時々の国民の関心を引きやすいテーマを取り上げる。

限られた時間でどれだけインパクトのある番組を作るか、がもっぱら製作者の関心だから、報道内容の真実性や報道する価値の有無やニュース性はほとんど顧慮しない。


地道に取材を続け、あくまで真実を報道することに徹した記者が求められている。


最近、一人ひとりの記者の個性が見えてきたような気がする。

今度は、私が、皆さんを観察する番ですよ。