(参考:0922「ニカラグア・コスタリカ紛争、ハ-グ司法裁判所の場へ」)

http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-10768347293.html


ニカラグアの東、カリブ海上にはコーン諸島がある。その東にサンアンドレス島とプロビデンシア島がある。この二つの島と近くの小島は、現在コロンビア領で、サンアンドレス・イ・プロビデンシア県となっている。したがってコーン島とサンアンドレス島のあいだに領海線が引かれている。ニカラグアとコロンビアのあいだにはコスタリカ、パナマがあり、これらの島がなぜ離れたコロンビア領なのかは不思議である。


サンアンドレス島は1527年以前にはスペイン植民者が到達していたことは、当時の地図から明らかになっている。その後はイギリスの海賊ヘンリー・モーガンの基地になるなど、イギリス人の植民が進むが、1786年イギリスはスペインの支配権を承認する。1792年サンアンドレスはグアテマラ総督領の管轄となる。1802年サンアンドレスは政治的経済的理由から、ヌエバグラナダ副王領の管轄となる。ラテンアメリカのスペインからの独立の結果、1822年サンアンドレスはグランコロンビアの一部となり、やがて1903年の米国によるパナマの分離独立の際にもコロンビアに残ることになる。しかし基本的な国境線については、1826年のパナマ会議(グランコロンビア、中米連邦、ペルー、メキシコが参加)で確認されたとはいえ、その後の修正の余地が残されていた。


現在のコロンビア領の根拠は、1928年に調印され1930年に発効した、バルセナス・エスゲルラ条約による。このときニカラグアはサンアンドレスのコロンビア領有を承認していた。しかしこのとき、ニカラグアは米国の軍事占領下(1927-1933)のもとにあった。1971年コロンビアが米国とサンアンドレス諸島のロンカドル、キタスエニョ、セルラナにかかわる交渉を始めたとき、ニカラグア政府はこれに抗議をおこなう。1980年代ニカラグア議会はバルセナス・エスゲルラ条約の無効を宣言し、サンアンドレス諸島の領有権を主張する。2001年にはオランダ、ハーグの国際司法裁判所(CIJ)にこの問題を提訴した。2007年CIJは条約の有効性を認めるが、サンアンドレスなどをめぐっては、訴訟の対象になることを決定している。


4月23日から5月4日にかけて、ハーグにおいて、弁論、公開審理も含めた裁判が開始される。ニカラグアの要求は50,000㎢の範囲の海洋領土である。サンアンドレス島自体は44㎢であるが、カリブ海のリゾート地として有名であり、65,000人の住人を持つ。ニカラグアの漁船はこの海域でコロンビア当局によって拿捕されてきた。また海底油田の採掘の主権をめぐる問題が存在している。判決は年内が予想されている。(N0277)