ガダルカナル戦書籍一覧


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現在地はソロモン諸島ガダルカナル島丸山道タンブハ=ルンガ渡河点


昭和五十年 勝股氏「丸山道偵察之記」より胸打つ場面なので長文引用いたします。
細川 直知氏 元第三八師団後方参謀 陸軍少佐
勝股 治郎氏 元歩兵第二十九連隊第十一中隊長 陸軍大尉
原 久吉氏  元歩兵第230連隊第二機関銃中隊 陸軍軍曹
小内 通有氏 元工兵第二連隊第一中隊 陸軍軍曹
ピーター バラナ村(ギフ高地) 先代村長
一一〇七タンブレロ(或いはタンベルとも称す)着。
直ちに渡河し左岸の大小石塊礫々たるに驚愕。
かかる筈なしと石河原を突っ切り上流の大岩上に立ち四方観望。
この足下の岩も見たる事なし、対岸疎林の筈なり。
小山見えたる筈なり、各れも然らず、されば更に上流あの地点ならん

赴きて調査の要ありと小内、原両氏口々に叫び直ちに渡河し始む。
そこは深し、若干下流からとかすべきならんと答える。
ピーターは頑として是渡河点なり、病院はその辺りなりと下流数十米若木ジャングルを指して譲らず。
当時一往復のみなりし小生には各れとも判定し兼ね、下流の山更に近く、上流の河向かって右折して居った筈、さらば此処より上流には非ざるべく、然し大体現在地は図上タンベルとは地形異れりと感じ、傍らの細川様から「勝股君、磁石で現在地を評定し給へ」と促され、はっと気付きルンガの流れを評定するに図上タンベルの更に上流であること判明はてさてと案じ佇立すること暫時。

一旦下流河原に降りたら小内氏は現地青年より対岸直後に砲ありと聞き、之を確認せは其処が渡河点であると考え即座に青年を案内とし下流に急行した。
一方右岸に渡河し始めた原氏は不図立ち止まり振り返って繁々と左岸を眺望、ピーターの言葉病院は此処なりやと問ひ答えを聞くや引き返して該病院跡を彷徨し始めた。
更にピーターは丸山道の登り口は此処から下流の地点なりと言ふ。
かくなる以上はピーターの言を信ぜざるべからずと考へ細川様と小生はピーターの案内で河原に戻り下流に向かった。
青年一名を連れた原氏は左側のジャングルを覗き覗きながら我々に属行していたが、いきなり物も言わずジャングル内に入り始めた。

ピーターと細川様は下流に向ひ若干戸惑った小生は今のガ島ジャングルには不馴れの筈の原氏だけ放置するわけには行かずと考へ原氏に随行し上田氏また随行した。
 吾が棲家かかる汀にありしかと
     杖を片手に密林(もり)に入りぬ 「原」

ジャングルに入るや内部は一段と高く平坦であり且つ茂みも割りに空いていた。
突然青年が蕃刀で足下を指した。

途端に原氏は腸を絞るような絶叫を挙げた。
そこに紛れもなく白骨の一片直ぐ右傍らに地面に突き刺さった別の一片、原氏は声を挙げて嗚咽し号泣した。
御遺骨を前にし顔を両膝の間に埋め「近藤軍医殿!!安らかに眠って下さい!!!」と叫ぶや後は言葉にもならず身も世もあらず肩をふるはしよよと泣き崩れる原氏の姿、感動又感動、渡河点幾百の御英霊翕然として立ち、原氏一身に凝集憑依してよよとばかり再開の嬉し泣きに手を取り合って泣き崩れしものの如く、正に御英霊の慟哭の御姿、小生は申上ぐる言葉さえなく何と申したか定かに記憶せず。

「原君良かった良かった貴方の誠心が御英霊に通じ御英霊が此処に来いと呼んで下さったのだ。本当に良かった。」と言ふ意味の事を申したつもりのみであった。


※歩230は二師団総攻撃、右翼隊主力として参戦するも武運に恵まれず、西海岸では無く東海岸に「飛行場敵地を捜索せよ」の命を受けコリ岬方面へ転進、増援部隊歩230第二中隊は遅れてコリ岬付近に上陸するも敵機の空爆艦砲射撃により合流に苦心しながらも二中隊と同時に揚陸された糧秣と共に合流を果たす。
同時に米軍逆上陸部隊の追撃を受け一時かなりの被害を与えるも衆寡適せず糧秣の殆どを捨て今一度丸山道を辿り西海岸に転進、多くの餓死者を出すに至る。
原氏の第二大隊のみルンガ渡河点警備隊として残置され昭和18年1月エスペランス岬へ転進の命を受けるまで此の地ルンガ渡河点を警備され多くの餓死者・戦病死者を出されました。
原氏が御遺骨を発見した近藤軍医は歩230第二大隊付の軍医だったと推察されます。

原氏の所属したルンガ警備隊配置図

私たちの小屋と記されている小さな□が原軍曹の小屋であります。
大隊付軍医であった近藤軍医殿は・・・
恐らく大隊本部で冥府に旅立たれたのではと推察します。

ルンガ河を背にして上流糧秣交付所方面よりアスタエ山麓を右へ












※写真の上半分が濃霧のように見えますが、カメラのレンズが曇っているからであります。

原軍曹が此の地で艱難辛苦の警備任務につかれていたのは昭和17年11月より18年1月まで。
勝股氏一行が此の地に訪れた昭和50年の段階で、案内人ピーター氏は「ガ島に大洪水が二回起こり、ルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場-今のひこうじょう)も滑走路が水浸びになった」との説明を受けております。
昭和50年から40年を経た現在までに何度ルンガ河が暴れたことか・・・当時の地形とは大きく相違している事でしょう。
昨年のサイクロン・アイタではルンガ下流でも大きな被害を出している事を考えると此の地にあったレリック(戦争遺物)、そして御遺骨も流されてしまったと考えるに至ったのでありました。

つづく


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