ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
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現在地はソロモン諸島ガダルカナル島丸山道コンナブレ川上流右岸

四一式山砲鎮座位置。

よくぞ残っていてくれたと感無量。

一日でも多く此の地で鎮座して欲しいと祈念しつつ次の目的地アスタエ山頂へと歩を進めたのでありました。

山砲鎮座する平坦地より再びコンナブレ川へ降り


上流へ


案内人トンガの支持により目印も無い薮を掻き分け左折アスタエ山へ・・・
只管一直線に山頂を目指したのでありました。

コンナブレ川より登頂開始一度目の小休止
大木の前で消耗を隠せぬ隊長

写真の傾斜は緩い位置、もっと急な斜面も一直線であります。

同じく幾分余裕のあるk隊員

当時は工兵第二連隊により九十九折の丸山道が構築されていた筈なれど・・・
最短距離はローカルの基本のようであります。

コンナブレ川からアスタエ山間、資料を紐解くと「勇〇三部隊戦史」にはこのような記述がある。
マタニコウ川上流が消える頃から、行く先々で悪臭を放つ遺体が散見し始めた。これは川口支隊が攻撃に失敗して退却してくる途中に死んでいった兵士の遺体であり、白骨化して蛆が蠢いていた。
マタニコウ川の深い渓谷を越えると、泥々の道は登りとなった。
胸をつくような急坂を蔓につかまり、岩角に足を踏ん張り、樹木の雑草につかまり、掻き分けての前進行が続いた。


↓二師団と川口支隊の突撃地点

川口支隊最左翼が歩四第二大隊・青葉大隊(天才彫刻家・高橋英吉氏所属)、最右翼が歩28一木支隊第二梯団の熊大隊、其の間を歩124の第一・三大隊が担当。
二師団の突撃地点と重なっております。

昭和十七年九月、二師団総攻撃の以前に敢行された川口支隊の総攻撃の撤退路は舞鶴道だとばかり思い込んでおりました。
川口支隊総攻撃の前に舟艇機動し西方より攻撃をかけた歩124第二大隊とは艱難辛苦の末連絡が取れており退却するのであれば其の連絡路(舞鶴道)を使用した筈。

然し・・・
丸山道アスタエ山を越えた中腹に川口支隊将兵の遺体があるとは・・・

「丸山道」を踏破された他の部隊資料からは現在地で川口支隊の遺体があったとの記憶が無いので再確認の要ありです。
また一つ疑問が増えてしまいました。
以上の疑問も帰国後時系列に沿って資料を確認した結果であり、現地ではそんな疑問を持つ基礎記憶があった訳でもないので只管の登坂に顎を出していたのでありました。

二度目の小休止の際、案内人トンガが樹の枝を伐採し「コールドウォーター」と言いながら差し出す。

応!! これぞ丸山道関連資料に散見する水が滴る蔦なのかと驚くも・・・

どう見ても蔦の太さではなく太目の枝である。

水筒を持つ日本人二人もご相伴にあずかり

その水の勢いは滴るという表現には当たらず流れ出るというのが的を得てりました。
また、気温36℃の蒸し暑い密林に一時の清涼感をもたらしてくれる水温・無味無臭。
この樹の存在が日本兵の渇きを癒してはれていたならばと感傷的に考えてしまうも資料の記述は蔦なのでやはり滴る程度にしか口に出来なかったと思われます。

勝股氏の「丸山道偵察之記」
一三一〇稜線頂上に達し頂上のジャングルを切り払ひつつ数十米進み一三二〇台端に至る。
アントンの言に依ればここから東南方、目の前の谷二百米先のその稜線を伝ひ右に登ればアスタエに至り得る筈なるも既に往年の小径は消失し(タンブハ迄の小径残留せしは現地人が狩猟の為、今も利用しているからであり、アスタエの小径消滅は彼等も此処迄は狩猟に赴かざる為である)ジャングル深くして歩行困難、且つ骨影、銃砲、鉄帽を見ずと。

彼はかく称し、爾後の前進に難色を示す事巌。
大体彼は出発前三井金属事務所での情報聴取時既にアスタエ越えの至難性力説、依ってその席ではアスタエアタックは無理だらうとの結論の下、タンブハ周辺捜索と言ふ約束で雇用したわけであった。
然し本早朝の考察、折角此処迄来て、今一期一会の働きを期すべきでは無かろうかと思ひつき、敢えて予定外に無理な部署迄して、残留の原氏には多大な心労をお掛けし、小内氏苦心の通訳により嫌がるアントンを説得、漸くにして推定アスタエ手前八百米のこの地点迄来たわけであるが、今アントンの峻拒に会ひ、一方帰途時間も刻々失われつつあり。
已んぬる矣。(已矣哉?やんぬるかな)

アスタエ山中白骨累々たる筈の諸英霊、許され給え我等努力のの及ばざりしを。
来るべき日新たなる準備を整へ、百方手段を講じ、何とか御墳嵤を訪れ度思推する次第なりと心中深くお詫び申し上げ、念の為傍らの幹に標識を刻印し一三五〇反転開始、途中当初発見した右岸の御遺骨を収拾して一五三八タンブハに帰着した。
アスタエ越えの再アタックには、何としても通暁現地人の確保第一。

とあり此の付近で案内人の事情により反転を図られたのであります。

当時の勝股氏としては戦友・ご遺族の代表としての丸山道偵察行、同じ釜の飯を食べ戦傷病魔に苦しみ果てて逝った戦友の遺骨捜索が目的なれば此の地での反転は正に断腸の思いであったと推察するのであります。

このようなご苦労の積み重ねの末、丸山道を案内出来得るトンガたちのような案内人が存在し、右も左も解らぬ我々が丸山道を歩く事を可能としている訳で戦後御遺骨収集にご尽力され記録を遺された先輩方へ心より感謝申し上げる次第であります。


暫しトンガの厚意により自然の恵みを堪能した後、密林行は継続。

↑の写真など丸山道の密林をよく表している一枚。

そして前途に立ちはだかる密林は突如消え

想像すらしていなかった伐採地が眼前に広がったのでありました。


つづく


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