ガダルカナル戦書籍一覧


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日本陸軍が誇る高速輸送船団のひとつであつた鬼怒川丸。
この鬼怒川丸に船舶高射砲隊軍曹として浜野正男氏は鬼怒川丸の印象をこう書き残している。

その船は大阪商船籍の鬼怒川丸という船で約八千屯ぐらいであっただろうか、相当古い型の船であって昭和十七年の夏の終わりに宇品で再武装して私たちが乗り組んだが速力も十二~三ノットぐらい、普段は十ノットを割っていたろう。


鬼怒川丸の武装は資料によりまちまちで高射砲二門と機銃というのが戦史叢書にも明記されており定説のようだが浜野氏は
船首と船尾に高射砲二門づつ据え、更に船橋付近に高射機関砲を据えて空襲にそなえる。私はその高射砲隊の軍曹であった。
と証言している。

事実当時の鬼怒川丸の船首には二門の高射砲が見てとれる。


当時ラバウルに居た鬼怒川丸の浜野氏は第二次ソロモン海戦で帰港した艦艇の損傷状況を目の当たりにし危機感を覚えている。
ショートランドに進出して対空戦闘に頭を痛めた氏は砲弾を全て撃ち尽くすまで徹底的に撃たなければならないという結論にたっした。
榴散弾の信管を五百米から二千米までのところで破裂するように、まちまちに切って砲座に積み、それを船首・船尾の計四門で滅多やたらに込めては撃つ、撃っては込める。
砲身は一定の角度にしたまま撃ちまくる。
一定の角度というのは敵の飛行機が急降下する角度でこの角度に入ってこなければ急降下爆撃は命中しない。
米軍が急降下を始める前に弾幕を作る作戦だ。

この作戦を基にショートランドで訓練に訓練を重ね、高射砲操典には一分間に六発とある発射速度を一分間に六十発までの速度を極めてしまった。

昭和十七年十一月十四日
ショートランドを出港した第二次高速輸送船団十一隻の中に鬼怒川丸は居た。
10:50 B-17八機 艦爆十七機 雷撃機八機 戦闘機八機 
   佐渡丸被爆航行不能 長良丸被爆沈没
12:30 艦爆二十四機 B-17八機 
   ぶりすべん丸 被爆火災発生
13:30 艦爆五機 B-17八機
   信濃川丸 ありぞな丸 被爆沈没
15:15 艦爆十七機 B-17四機
   那古丸 被爆火災
残る輸送船は、鬼怒川丸・宏川丸・山浦丸・山月丸 の四隻となっている。

11月14日、鬼怒川丸高射砲隊
夜明けとともに対空見張りが始まり戦闘態勢に入る。
やがて"敵機発見"という一声によって緊張の矢は放たれた。
遥か水平線、双眼鏡に入ったのは偵察機で船団と並行に近寄らず南下して行く。
我中隊は本格的に戦闘態勢を整え砲座には信管をまちまちの距離に合わせた全ての砲弾を取り出し足許に積み上げた。
朝食をとって直ぐ"敵機襲来"が叫ばれ双眼鏡を覗くと目の中一杯にグラマンらしき奴が蚊の如くうなりこちらへ向かって来る。
何十機・・・あれが全部来たらとても駄目だろう・・・。
一番機が真っ逆さまに落ちてくる。
その前に三発ほど発射し弾幕を張る。
ゴーゴーという飛行機の爆音、金属製のキューウンという旧肥え蚊の音と高射砲の発射音・爆裂音、そして舷側に落下する爆弾の炸裂音、水柱高くマストまで上がって水面に叩きつける音。
私は赤い手旗で"撃て撃て"と連呼した。
第一波、第二波、第三波・・・
爆弾はどれも一発も当たらなかった。



昭和十七年十一月十五日
02:40 残る四隻の輸送船を命令によりタサファロング海岸に擱座、揚陸開始
黄字擱座位置

06:40 米軍海岸砲と飛行機の銃爆撃により二隻が火災を起す。
08:00 米巡洋艦・駆逐艦が沖合いに現れ四隻全て火災を起した。
輸送船の船員及び船舶部隊は砲爆撃と火焔を冒し揚陸を継続。

11月15日鬼怒川丸船舶高射砲隊
夜は開け放たれた。
荷役のガラガラとというウインチの音と陸で荷を受け取る兵隊の叫び声。
ルンガの方向から飛行機のエンジンの始動する音が地面・海面を通じて聞こえて来る。
「おーい飛行機が来るぞ」
私たちは朝食の握り飯もそこそこに位置についた。
始めの奴は偵察機だった。
後で分かったのだが擱座に成功したのは四隻で、それも皆バラバニの位置の砂浜にのしあげていたのだ。
敵もそのことを確かめる為に偵察に来たのだろう。
偵察機が去ると愈々攻撃して来た。
海上と同じ方法で弾幕を張ったが今度は船が動いていないので敵も攻撃角度を変えたので苦戦だった。
榴散弾を撃ち尽し榴弾まで込めて撃った。
適飛行場が近く繰り返しの波状攻撃を仕掛けてきたが幸い一発の爆弾も命中する事無く荷揚げを終わり、我中隊からは負傷者も出さず船のタラップから陸上に立った。


米軍が撮影した鬼怒川丸

船体中央にタラップが見える

そして手前には輸送船から弾薬・糧秣を運んだ大発動艇、浜野軍曹の記録には船のタラップから陸上に立ったとあるがタラップと陸上の間には近距離ながら海が障碍となっているので此の大発動艇で移動したと推察される。

大発動艇を担当したのは船舶工兵第二連隊主力と船舶工兵第一連隊の一部で迫り来る米軍機にわき目をふらず輸送船と砂浜を往復され揚陸作業を黙々と進めたのでありました。
暁部隊と呼ばれたこの船舶工兵の働きはガ島戦史には大きく取り上げられておりませんが揚陸から撤退のケ号作戦まで殊勲甲の闘いを続けたのであります。

炎上する輸送船

手前宏川丸、右上鬼怒川丸
浜野軍曹と戦史叢書の記録を併せ読むと鬼怒川丸は艦砲射撃を受け火災を起こしたのか・・・
または高射砲部隊上陸後、空爆を受けたのかも知れない。

上陸成功部隊
歩229連隊本部
歩229連隊第一大隊の一部
歩230連隊第二大隊主力
工兵38連隊主力
輜重38連隊主力
の約二千名が上陸

揚陸成功軍需品
糧秣 約千五百俵
野山砲の弾薬 二百六十箱
※糧秣千五百俵は第十七軍の所要量末四日分
弾薬は米軍の砲爆撃により殆ど消失

以上が十一隻の大輸送船団、第二次高速輸送船団の揚陸結果でありました。
そしてこの揚陸結果により三八師団の総攻撃は見送られ爾後持久戦へと移行していったのであります。

現在の鬼怒川丸

穏やかな波間から一部顔をのぞかせている。

そして目に止まったのは・・・


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あの鉄の残骸と思われるのは何なのだ!!

まさか・・・

大発の残骸???

応!!  と驚きながら鉄の塊へと足を走らせたのでありました。

つづく


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