ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

バラナ村の夜明けです。

前夜は旅の疲れもあり爆睡、爽快な朝です。

ガ島は赤道に近いので年中朝六時頃夜明けとなり、十八時頃から陽が沈み始め十九時ともなりば漆黒の世界となります。
二時間の時差があるので日本時間は午前四時起床・・・欠伸を連発しながらゲストハウスの周りをウロウロ、高床の手前シートの掛かっている所は調理スペース。

昨晩少し雨が降ったので高床の下と屋根のない部分では土の色が違っております。
このバラナ村は標高350米ほどあり、朝はTシャツ一枚では肌寒く感じます。

まずは軒先を借りてお湯を沸かし


床下の犬を見ながら癒されている間にお湯も沸き


右おっちゃんのインスタントカフェオレ(ノンシュガー) 
左K隊員のインスタント味噌汁

贅沢なひと時であります。

ゲストハウスからの眺望
正面鉄底海峡の左にはサボ島


右へ視線を移動するとツラギ・ガブツ・タナンボコのあるフロリダ諸島。

絶景であります。


本日の行動予定
1.タサファロングの鬼怒川ボーイことジョン氏と三年ぶり再会する事
 昨年はサイクロンによりタナバサ川の橋が決壊しタサファロングに行く事が出来ず会えなかった。
2.明日からの密林行のための買出し
 主に同行者の食料。我々の食料は事前発送済み。
3.同じく密林行の案内人・荷役人との打ち合わせ
 この段階で同行者達が何処まで密林行の道程を把握しているか不明。

まずはタサファロングへ向かうべくバラナ村を出発
位置関係↓の通り


日本車CR-Vは快調


サボ島を視界に入れながらラフロードのダウンヒル


途中、目に入った慰霊碑らしきもの

今まで何度も通っていたのに気づかなかったとは不覚でありました。
おそらく草叢に覆われて発見しづらかったのでしょう。
帰路に詳細を調べることにして日本政府建立・ソロモン平和慰霊公苑へと進みます。

平和慰霊公苑

昭和46年より戦友が主体となって行われた御遺骨収集の際、焼骨場であった位置に建立されました。

平和慰霊公苑の慰霊碑


ガ島で戦死した天才彫刻家・高橋英吉氏の作品「潮音」のブロンズ像

いずれも2014年撮影

高橋英吉氏関連の過去記事
ガ島で散華された天才彫刻家・高橋英吉
天才彫刻家・高橋英吉のガ島戦

現在地を当時の写真に書き込むとこうなります。

この公苑一帯が ARTILLERY と有りますのでギフ高地を狙った砲兵隊が位置した事が覗えます。
そして GIFU STRONGPOINT の文字、ギフ高地で玉砕された歩228稲垣大隊・歩124西畑大隊、ギフ高地の激闘に駆けつけた歩230の増援隊がいかに健闘されたかが米軍資料より読み取れるのであります。

此の地は昨年訪れご冥福と世界平和を祈念申し上げたので今回は入り口にて失礼申し上げ・・・ 合掌
(公苑内に入ると拝観料?が発生する為)


公苑入り口駐車場より左手から

エスペランス・タサファロング・コカンボナ等の西部戦跡が一望


少し右へ、勇川河口から沖川付近


さらに右へ、首都ホニアラの街並みは手前の丘により望見出来ません。

後方にはサボ島

中央少し左の船が集まっている付近がクルツ岬


さらに右へ、後方ツラギ・ガブツ・タナンボコのあるフロリダ諸島が・・・


次第に逆光となり画質が・・・

米軍揚陸地点ククムビーチから西飛行場方面

遠すぎたルンガ飛行場・・・

この飛行場奪回の為に・・・

逆光に霞む左ルンガ飛行場とムカデ高地付近


この眺望を目の当たりにし、あらためて「嗚呼・・・餓島へ再び帰って来た」と実感するのでありました。

つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



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