ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次



天才彫刻家・高橋 英吉 氏

明治44年(1911)4月13日、宮城県牡鹿郡石巻町湊本町(現・石巻市)に生まれる。
高橋家は角万の屋号で水産加工工場を経営していた。
五男三女の末っ子だった英吉氏は野球や剣道の名選手であったが幼少より工作を好み、旧制石巻中学に入ると教科書を衝立に鉛筆や白墨に彫刻を彫ったといわれる。
机に掘られた「般若面」は戦後しばらく石巻中学に在ったとされるが現在の行方は判らないようだ。
兄たちが水産学校(現大学)へ進学する中、英吉氏だけは母の応援を得て昭和五年東京美術学校への進学を目指し上京するも失敗。
翌昭和6年4月東京美術学校彫刻科木彫部(現・東京芸術大学)入学。
この頃家業が傾き経済的には苦しい環境だったようだ。

卒業後、昭和11年文部省美術展覧会に「少女像」を出展。

賞賛を浴びるも創作活動に行き詰まりを感じ新たな作品のイメージを求め、かつアトリエ資金調達も兼ね、昭和12年南氷洋へ捕鯨船に乗り込み半年の航海を経て生まれたのが此の三部作。

昭和13年第二回新文展入賞「黒潮閑日」


昭和14年第三回新文展特選 「潮音」


昭和16年第四回新文展無鑑査出品 「漁夫像」


これは先日お邪魔した長野県上田市・無言館に展示されている竹の子



奥さまの澄江さんの証言
「潮音」を作っているとき今度の作品が文展で特選になったら収入も安定するだろうから結婚しようって、そう言われたんです。

昭和14年「潮音」制作中の高橋英吉氏

昭和15年7月より昭和16年10月までの一年三ヶ月の新婚生活であった。

昭和16年10月応召直前、生まれたばかりの娘さんと


「漁夫像」を出品直後赤紙により応召、仙台(勇1301部隊)に入隊。
昭和16年12月16日出征 ジャワ~ミンダナオ~ラバウル~ショートランドを経て昭和17年9月ガダルカナル島上陸。

軍事はがきに描かれた輸送船の戦友

11月2日マタニカウ川攻防戦に於いて戦死。

ガ島のある戦没者の遺品の日記
「・・・前方の台地で、今まで重機関銃を撃ち続けていた高橋一等兵がガクリと前のめりに倒れたまま動かなくなった」

出征後、輸送船の中で拾った流木に彫り上げられた「不動明王」が従軍記者の手により奥さんの澄江さんに届けられた。

この「不動明王」高橋英吉氏の絶作となった。


昭和五十年代後半に公開された長編ドキュメンタリー映画
「潮音」 ある愛のかたみ



石巻文化センターにて高橋英吉氏のコーナーが設置され氏の作品の殆どが所蔵されている。
召集令状を受け取った英吉氏の手に抱かれていた娘の幸子さんは亡父のデッサンなどを手本に木版画家となられている。

しかし石巻文化センターは先の津波の被害を受け現在休館されているとのことで残念なことである。
一階に展示してあった小さい作品は被害を受けたようですが二階に展示されていた大型作品は被災を免れたとの事でありました。
一日も早く開館されることを熱望します。

令和三年十一月三日より石巻市マルホンまきあーとテラスさんで他の遺作と共に常設展示が再開されました。


ガ島に「潮音」のブロンズ像建立を伝える新聞



ガダルカナル島日本平和公苑に建立された「潮音」のブロンズ像

2014年4月撮影

昭和56年、石巻市・ライオンズクラブ・市民らの募金によりブロンズ像は三体作られたとされ、そのうちの一体がこのブロンズ像である。




次回、高橋英吉氏がガ島でどのような戦いを経て散華されたかを自分なりに追いかけてみたいと思います。


つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



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