ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal


作文 従軍慰安婦・慶子
十二日の 西山日誌
七日の 若林日誌絶筆
十一日の 亀岡日誌
十日の アウステン山の記録
三日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦


父のガダルカナル戦争日誌より概略
台第一拠点、歩兵第228連隊第一大隊
第三中隊 第三小隊 第四分隊(擲弾筒)
一月十二日日 重野上等兵(12月20日一等兵より上等兵へ進級)の記録

敵の砲撃は愈々熾烈となり水汲みに行くのも死を覚悟しての決死隊である。
ここ数日来敵の動きは活発で、一両日中には何か起こりそうな気配を感じる。
敵砲撃の間隙を縫って無人地帯を行く恐怖、健康体であればまだしも歩行がやっとの身体で危険を冒し他人の飲料水まで汲みに行くのが馬鹿らしくなる。

古年兵は当然の権利かのように飲料水が無くなれば新兵や、お人好しの俺に危険であろうが歩けなかろうが水汲みを強請する。
命の惜しいのは将校、下士官、古年兵、年次の新しい兵誰しも変わりはない。
戦闘間は全員差別無く水汲みも含め協力して欲しい。
だから撤退の際、二ヶ月も壕に篭っていたのが原因で足腰が弱りついて行けなくなるのだ。

私が水汲みに行く時はいつも一人で行く。
体力の無い者と行くと危険地帯でも平気でゆっくり歩き、私が自由に行動出来ないからだ。
谷間の細道を行くと三分岐点があり密林となる。
更に東南に向うと一・二中隊陣地方向で、北へ折れ本来であれば稜線を越えず安全な遠回りの道を行かねばならない。
稜線上には仙台編成の迫撃砲隊が布陣しており、敵砲撃の目標となるので兵隊は稜線上を通過してはいけないのだが、近道でありこの稜線を通りぬける。
日本軍第一線布陣図
ガダルカナル Guadalcanal

あまりに水汲みの兵隊が稜線上の草原を走るため敵に察知され砲爆撃を受けた結果、迫撃砲隊は陣地変換の止むなきに到り現在は無人地帯である。
水源地には何時も誰か居る。
他部隊の兵も居る。
それが今日は誰も居ないのだ。
水汲み場周辺は砲撃により周囲の木はなぎ倒され日差しが燦燦と明るさで一杯だ。
安全地帯がここ一両日で尤も危険な場所へ変わってしまったのだ。
どうにか水を汲み逃げるように離れながら「もう危なくて此処へは近寄れない」と考えながら駆け足で三小隊へ戻った。
結局この水汲みが私の最後の水汲みとなった。

第一小隊長原田中尉が三小隊に来られた。
手に軽い負傷をされている。
各小隊より一名づつ体力のあるものを選抜し中隊の目の上の瘤である敵監視哨へ攻撃を加え、俺の手首に受けた負傷の仇を討って欲しいと言い出した。
一小隊より十四年兵の新村辰雄、二小隊より塩野浅吉、三小隊より私の三人が選抜され、闇夜を利用して忍び寄り破壊出来ぬまでも手榴弾をぶち込んで欲しいとのこと。
本日配給のあった乾パンに混ざっている金平糖二十粒を三小隊全員より集め、重野への餞別とする旨の指示が出された。
ということは生きて帰れないと暗示されたようなものだ。
金平糖二十粒と命の引き換えか・・・
小銃に着剣し弾を五発装填、予備弾は持たず手榴弾三発携行、二十時頃一小隊の陣地を出た。

西南に美しい月、目標は南へ約七十米、いやもっとあるかも知れない。
高低傾斜は少なく立ち木もまばらな草原で身を隠す遮蔽物もなく、地を這いながら低い姿勢で匍匐前進、五米程進んでは一息入れ、六つの眼差しで周囲を警戒し応戦体勢をとる。
私は恐怖のあまり小銃の安全装置を外した。
今此処で、この混乱の中で私が死しても虫けら一匹踏み潰された事と同じと思うと、深く暗い谷間に引き摺り込まれる様な絶望感に襲われる。

重野上等兵が夜襲攻撃を決行した翌日より開始される第一・第二拠点への米軍侵攻図
ガダルカナル Guadalcanal
重野上等兵の現在地はヒル76附近と推察されます。

一小隊陣地を出たときに西南に美しく光を放っていた三日月も没し、五十米も進めたか何時間も要している。
闇夜で遮蔽物の無い草原は思いのほか周囲を見渡せる。
漸く、敵の監視哨らしき陣前へ進み、息を殺して窺う。
敵を前にして不思議と恐怖心は全然湧かない。
各人域を殺し手榴弾の安全ピンを抜いて三個前に並べ、立ち上がりながら信管を叩き三人一斉に力一杯投げる。
手榴弾はシュシュシュと不気味な音を立てて敵陣地らしき地点で炸裂、ダダーンと轟音がを周囲に振るわせた。

機先を制された敵は反撃の間も無かったのか、やはり夜間は引き上げていたのか応戦も無く、吾々はもと来た道を夢中で走り、一小隊陣地に着くまで要した時間は数分である。
敵監視哨へ前進の時はいかに慎重であったか窺える。
新村辰雄が一小隊長にどのように報告したが判らないが、中隊長は三人の行為に感激賞賛、二二八連隊へ感状の手続きが行われ連隊長より感状を戴くこととなった。

ちょうど大阪毎日新聞の記者が来ており、内地にて毎日新聞名古屋紙面、写真付で大きく報道された。
後に女子青年団、国防婦人会、知人より賞賛の手紙を頂戴し得意満面、日頃怨んでいた小崎正一も中隊長サマサマでした。
日頃悪態をついておきながら厚意を受けた時のみ感謝感激せしは身勝手なもの心より反省せし。

この感激は生まれてただ一つの体験せしことにて生涯忘れ得ないであろう。
今もこの新聞は小宅にあります。


穏忍持久の死守防衛の中、積極攻勢に出ることを禁じられていた二二八連隊としては、このような小規模奇襲攻撃の成功が唯一の積極行動だったと思われます。

一兵士の重野氏の胸中が如何なものであったかが読み取れます、
隣の見晴台陣地の状況を一兵士である重野上等兵が把握されている筈も無く、翌13日には見晴台に続き第一拠点へも米軍の侵攻は開始されて行きます。

つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年8月18日(土)より9月1日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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○原発関連情報○

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文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

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